悪魔カラスと私の攻防戦- 前編 -

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※ 選択で飛びます。


▼ 1

仕事に行き、家に帰る。
そんな当たり前の生活を繰り返すのが社会人だ。
大多数の人間が線路が引かれているかのような生活で誰もが下を向き、目の前のタスクをこなすだけの日々を送る。
それは満員電車を待つも例外ではない。

電車を待つ間、新聞を読む者、音楽に耳を傾ける者、携帯をいじる者が多い中は決まって向かい側のホームの屋根に止まるカラスを観察するのが日課だった。
カラスは賢く、人間の動向をよく観察し、学習すると聞く。
カラスから見て自分達はどう思っているのだろうか。
毎日同じようなスーツに身を包み、同じ時間に同じ場所に並ぶ人間はカラスから見たらどう見えているのか。
そんなことをぼんやりと考えながら見ていると群れから離れた一匹のカラスが目に止まった。
他のカラスとなんら変りないが、何故群れから離れているのかが気になった。
集団で行動するものだとばかり思っていたため興味が引かれた。
もしかしたら仲間はずれのカラスなのかもしれない。
人間と一緒でカラスの世界にも出る杭は打たれる環境なのかもしれないと動物相手に同情した。

群れから外れたカラスは明日には別の群れを求めて居なくなっているかもしれない。
早く落ち着ける場所が見つかることを願ってはホームに入ってきた電車を目で追った。

決まった時間に出社し、決まった時間に朝礼が始まる。
決まった仕事、決まったメールの返信文、そして決まった時間に退勤とまではいかないが決まった日常にはただ黙々と目の前の”決まったこと”をこなしていく。
上司の話に付き合ったり、急案件が舞い込んのは日常茶飯事で社会人になりたての頃は悪態をつく日もあったがそれも今ではもう慣れてしまった。
むしろ定時に帰れることの方が珍しく、そんなものは幻だったと気づくのに時間はかからなかった。
友人に相談しても結局は「辞めちゃえば?」と他人事で、少しずつ距離を置き始めて気がつけば一人で過ごす時間の方が多くなった。

には趣味もなければ、彼氏も居ない。
社会人デビューを目指して上京したは良いが、これと言って変わったことなど無く、強いて言えば家計の危機管理を身につけたぐらいだった。
そんなの唯一の楽しみと言えば1人でバラエティ番組を見ながらの晩祝だけ。
周りの女子社員が合コンだの彼氏とデートだのと耳にするが自分には無縁の物だと感じていた。
男性に興味はあるが、行動に移す気力がないと言った方が正しい。
どうせ知り合っても話しが合う女友達から進まず、気づいた時には友人や他の女性と付き合っている事を知ることが多く、自分にはそういう物とは縁がないのだと諦めていた。
そして何より、生まれた時から共に過ごしてきた鎖骨下にある痣にコンプレックスを抱いていた。
成長しても消えない痣はまるで何かの呪いのように消えずにそこにある。

華の金曜でも真っ直ぐに帰宅を目指すは帰りの電車を待つ間、スマートフォンで1日のニュースを読み漁る。
ふいに聞こえたカラスの鳴き声には顔を上げると、ホームの向かいに1羽のカラスが止まっていた。
どこにでも居るようなごく普通のカラス。
結局群に混ざれなかったのだろうか。
ぼんやりとそんな事を思いながらスマートフォンの画面に視線を戻すともう一度鳴いた。
最初は気にしなかったが視線を感じたはゆっくりと、少しだけ顔を上げた。
なんとなくそのカラスと目が合っているような気がしたは目を少しだけ細める。
そのカラスはまるで女性としての喜びや楽しみ、生き方を諦めて世間から孤立している自分のことを見ているような気がした。

▼ 2

最寄駅のコンビニで今日の晩酌のお供買ったあと、ふと電柱を見上げると1羽のカラスが止まっていた。
今日はやたらとカラスを見るなと思いながらも気にせずは帰路を進む。
決して広くはないが1DKの我が家についてため息を吐いた。
疲れたわけではないが自分のような群に混ざれないでいるカラスを見て気落ちしているのかもしれないと思った。
パンプスを乱暴に脱ぎ捨て、冷蔵庫から最近ハマっている缶チューハイを取り出してダイニングのソファに腰掛けた。
テレビをつけるとろくでもない番組しかやっておらず、仕方なく今夜は女2人が激論を飛ばす番組を酒のつまみにすることにした。

内容はいたってくだらないものだった。
どうやら1人の男を2人の女が奪い合っている内容で、そのうち1人が男の現在の彼女でもう一人が彼氏の浮気相手らしい。
冷めた目で「馬鹿だなぁ」と零しながらもその2人のやりとりをは見ていた。
煮玉子を頬張りながらだんだんと2人で男を責めだして番組も終わりに近づいてきた頃、何かが窓に当たった。
最初は風か何かだろうと思っていたが、コツコツと小さな物が当たるような音が一定間隔で鳴る。

「え……な、何?」

流石のも怖くなり、窓の方を見る。
カーテンで外の様子は見えないが、確実にベランダに何かが居るのが分かった。
コツコツ。
テレビどころではなくなったは得体の知れない気配に眉間に皺を寄せて警戒した。
もし人間であればこんな分かりやすいことはしないだろう。
手慣れた人間は寝込みを襲うに違いない。
そうなると相手は何だ。
窓を叩くということは自力では開けられないのだろうと踏んではゆっくりと立ち上がり、カーテンへと手を伸ばした。
こういうのは少しずつ開けるよりも潔く一気に開けるのが一番良いと感じたは勢いよくカーテンを開けた。

「……え? カラス?」

ベランダには1羽のカラスがおり、を見上げると長くて細い嘴で窓をコツコツと突いた。

▼ 3

窓の外の存在が人間ではないとは思っていたが、実際に人間ではなくて安堵のため息が思わずの口から漏れる。
しかし、何故カラスがベランダにいるのだろうか。
は窓の前でゆっくりとしゃがみ、カラスに顔を近づけた。
こんなに近くでカラスを見る機会が無かったはのんきに「案外目って大きいんだ」と観察していた。
ふいにカラスが横を向くと頭に丸緑色の飴のような装飾がついた針のような物が刺さっていた。

「うわっ……刺さってる……怪我してるの?」

しかし行政の許可が無ければカラスは捕まえられない。
こういう時何処に相談すれば良いのか見当がつかなかったはテーブルの上に置いてあるスマートフォンに手を伸ばした。
調べてみてもやはり野生の鳥類を捕まえることは禁止されていることだけが分かった。

「警察? いや、でも……管理人に言うのが先?」

スマートフォンを操作しているとカラスがもう一度窓ガラスを突き、口を大きく開けた。

「……開けて欲しいのかな」

カラスは賢い。
自分の頭に刺さった針を取って欲しくてたまたま降り立った部屋の住人に助けを求めているだけかもしれないと思ったが、流石に針を抜くのには抵抗があった。
コツコツ。
コツコツ。
叩く間隔が短くなり、結局の方が根負けしてしまい、窓を開ける事にした。

「どうぞ……ってちょっと!」

窓を開けた瞬間、我が物顔で室内に入るカラス相手に言ったところで通じるわけではないが言わずにいられなかった。
そのカラスはキョロキョロと部屋を見回すとテーブルに飛び乗り楽しみに最後に取っておいた煮玉子を器用に食べた。

「あぁああ! 私の玉子が! ちょっと止めてよ!」

カラスから器を遠ざけ、勝手に食べた犯人を睨む。
カチカチと嘴を鳴らしたカラスはに背を向けて頭に刺さった針を見せた。

「カァ」
「……いや、”カァ”じゃないんだけど」

まるでその”カァ”は”さっさと抜け”と言っているようだった。

▼ 4

よく見ればそのカラスの身体はとても綺麗で、光の反射で輝いているようにすら見えた。
漆黒のボディと綺麗な大きな丸い目は何処か愛くるしく見えたが、頭に刺さった針がどうしても気になった。
痛くないのだろうか。
ゆっくりとその針に手を伸ばすとカラスが「カァ!」と鳴き、すぐにその手を引っ込めた。

「ご、ごめんごめん! でも本当どうしよう……獣医さんに見せてもなんて説明すれば良いんだろう」

ソファに座りながらテーブルの上で毛づくろいを始めたカラスを見ながらはうーんと唸る。
器用に嘴で羽を動かしていたカラスはふいに動きを止めるとを見上げる。

「な、何?」

その辺のカラスよりも賢そうな顔をしているカラスと目が合うと、威圧感のようなものを感じては蛇に睨まれた蛙のように身体を硬直させた。

「え……本当何なの……?」

逸らすことなく真っ直ぐに見つめてくる丸い目が一瞬だけ細くなり首を横に振った。

「えっと、病院は……イヤってこと?」

カラスは一瞬だけから視線を外すと、また毛づくろいを始めた。
一体なんなのか。
まさか人間の言葉を理解しているような動きには困惑しながらカラスを見ているとカラスはテーブルの淵まで移動するとに背中を向けた。
まるでその行動は動物病院ではなく、に針を抜いて欲しそうだった。

「えー……嫌なんだけどなぁ。血とか……出ないよね?」

針を抜いたら血飛沫が出るかもしれないことに躊躇っていると、バサバサと漆黒の羽を広げた。
抜けた羽が舞い、床に落ちる。
案外短期なのかもしれないと思いながらもはなかなか決断が出来なかった。
血の事を考えると本当なら風呂場で行うのが一番なのだが、ウイルスや細菌を持っていると聞くカラスに触れるのは怖かった。

ここで抜くしかないと思ったはゴクリと生唾を飲みながら緑の装飾に恐る恐る手を伸ばす。
それに気がついたカラスは「カァ」と小さく鳴いた。

「……痛かったら、ごめんね?」

緑の飴玉のような物に触れてゆっくりと引き抜くと不思議なことに針には血が付いていなかった。
そのままゆっくりと引き抜くとカラスはふわりと羽を広げてソファへと飛び移った。

「え、どうしようこれ……」

とりあえず手の中にある不気味な針を見ながらは頭を掻いた。
このまま部屋に置いておくのも困るので、ゴミ箱に針を投げ捨ててカラスを見た。
大きな黒目が徐々に赤く染まりだし、は思わず悲鳴を上げた。
嘴から黒い煙を吐き出し、危機感を感じたはとりあえずスマートフォンだけ確保して部屋からの脱出を試みることにした。
もうこの際部屋がどうなっても構わない、そんな思いだった。
それよりもこの部屋に隔離して人を呼ぼうと思い、テーブルの上のスマートフォンを取って玄関へと走った。
乱暴に脱いだことで散らかったパンプスを足で手繰り寄せ、ドアノブに手をかけた時だった。

「オレから逃げられるわけないじゃん」

ドアに衝撃があり、耳を衝撃音が刺激した。
思わず目を瞑り、ゆっくりと何が起こったのか確認すると、耳をかすめるすれすれの位置に突き刺さった針が見えた。
それは先ほどカラスの頭から引き抜いた針と全く同じもので、全身に寒気を感じた。

「ねぇ、何処行くの」

突然聞こえた男の抑揚のない声にの身体は固まり、背後を振り返る事が出来なかった。

▼ 5

この場合、得体の知れない物を見たら死ぬというのがホラー映画のセオリーだ。
間違いなくこの場合振り返ったら死ぬ。
そんなことを思いながらは背後から近づいてくる男の気配に唇を噛み締めた。
しかしこの場に居るのも危険だった。
ホラー映画を見ている時、危険だと分かっているのに逃げない主人公達に”早く逃げれば良いのに”と文句を言いながら見ていたのを思い出し、そんな奴と一緒になりたくないという思いではドアを開けた。

は振り返らずおぼつかない足取りで走り、エレベーターへと向かったが待っている間に追いつかれては折角逃げた意味がない。
仕方なくは階段を駆け下り、一目散に管理人室へと目指す。
途中追いかけて来ないか心配だったが、幸いな事に足音は聞こえない。
久しぶりに走ったからか簡単に息は上がり、1階にたどり着く頃には喋る事もままならない状態だった。
それでも足を動かして管理人室の小さな窓を拳で何度も叩いた。
奥から「はいはい」と気の抜けたような声が聞こえ、そこでは初めて振り返った。
背後には誰もいない。
カーテンの隙間から顔を出した管理人の手が小さな窓を開け、カーテンを避けてくれた。

「はいはい。今開けますから。何ですかもう……って ……だ、大丈夫ですか?」
「け、け、警察! 警察を呼んで下さい!」
「警察?」
「部屋! 部屋に……部屋に知らない男が!」
「えぇ……知らない男? 本当ですか?」
「本当です! だから早く、早く警察を!」
「わ、わかり……ました……!」

の必死な形相に驚きながらもが慌てている理由を理解した管理人はすぐに受話器を手にとったとき、何かがの頬をかすめた。
トスンと針が管理人のこめかみに刺さり、ゆっくりと皮膚がそれを飲み込むように針が沈んでいく。

「えっ!? な、何! 何なの!?」

消えた針には腰を抜かすと、管理人は何事も無かったかのように受話器を戻すとの方に振り返ってニコリと笑った。

「いつも遅くまでお勤め大変だね」
「え? ちょ、ちょっと何の話ですか? そ、それより! 部屋に知らない男が居るんですってば!」
「いつも遅くまでお勤め大変だね」
「いや、だから……部屋に男が……!」
「いつも遅くまでお勤め大変だね」

全く話が通じない。
何か変な違和感を感じたは立ち上ってその場から逃げるように走り出した。
一体何がどうなっているのか。
管理人に話が通じない事に半ばパニックになりながらも、マンションの近くに交番がある事を思い出してはそこに駆け込む事に決めた。
夜道を走りながらは何度も背後を振り返った。
行き交う人達から好奇な視線を受けたが気にせず無我夢中で駅前の交番まで走る。
交差点も待たずに、横断歩道を走ると轢かれそうになったがそれよりも自分の周りで起こっている怪奇現象から身を守る事を優先した。

口元から垂れる唾液を腕で拭い、酸欠になりながら交番に到着すると中に居た警察が血相を変えて背中を摩ってくれた。

「ど、どうしましたか!?」
「お、男、が……部屋に……」
「え?」
「知らない……人……た、助けてください!」

が警察官の腕に触れ、見上げるといつの間にか警官の額には針が刺さっていた。
先ほどの管理人のようにその針は肉に吸い込まれるように食い込み、ゆっくりとその針は消えた。

▼ 6

は咄嗟に警官から距離を取ろうとすると警官に羽交締めにされた。
男の本気の力にが勝てるわけがないが、それでも抵抗しないわけにもいかず必死にもがいていると全身に寒気を感じた。

「本契約前なんだからあんまり使わせないで欲しいんだけど」

部屋に居る時に聞いた男の声にの動悸が増す。
追いつけるはずがないと思ったが、その謎の男は現に背後に居る事を感じて息ができなかった。

「もう離して良いよ。どうせ体力残ってないだろうし」

男がそういうと警官は力を緩めてカタカタと頭を揺らし始めた。

「捕まえてくれて有難う」

は困惑の表情で警官を見上げる。
一体何の話をしているのか全く分からなかった。
理解出来ない現実に頭が痛くなり、うつむくと男は「ま、そういうことだから」と言う。
何が”そういうこと”なのか分からず、諦めてはゆっくりと振り返った。
黒い長い髪を靡かせ、大きな瞳を持つ男がどことなく針を抜いたカラスと重なって見えたところでの意識は途絶えた。

*****

はゆっくりと目を覚ました。
ぼやける視界に映るのは自分の家の天井で、徐々にしっかりしてくる意識の中では夢を見ていたのかと思った。
やけに生々しくて恐ろしい夢にはため息を零しながらゆっくりと身体を起こすと「倒れるとは思わなかった」と誰かに言われた。
すぐに声の方に振り向くと、夢で見た黒髪の男がそこにおり、呑気に酒のつまみを食べていた。
が叫びそうになるとすぐに口を手で抑えられ、ソファに押し倒された。

「んー!! んー!!!」

手足をばたつかせると両手首を掴まれて頭の上でソファに縫い付けられたかのように抑えられた。
馬乗りになる男の足がの足の間を割って入り、長い髪の毛がの頬にかかる。
掴まれている腕の痛みにが顔を歪ませると男の顔がぐっと近く。

が起きるまで待っててあげたんだから感謝してよ」

自分の名前を知っている事に恐怖を覚えたは目を大きく見開かせた。
見知らぬ男の記憶など一切なく、にはとっては初対面でしかない。
何をされるか分からないこの状況には何度も首を横に振ると男は首を傾げた。

▼ 7

「それで、契約の内容は決まった?」

には心当たりのない事ばかりで自然と身体は震え、目には涙が浮かび始めた。
それを見た男は「あぁごめんごめん」との口を抑えていた手を外してくれたが、が「だ、誰か!」と叫んだところでまた口を手で塞がれた。

「人が来たところで操作するだけだけど……に刺して強制的に契約するって手もあるけどどうする?」

脳裏に針を刺された管理人と警官が浮かんだ。
針を刺された後、明らかに2人は不自然な行動を取った。
もしこの場で刺されたらと思うと怖くなり、はゆっくりと首を振った。

「……叫ばない?」

男の問いには小刻みに頷くと口元を塞いでいた手が離れた。

「ひ、人違い……です!」

開口一番にがそう言うと男は少しだけ目を細めた。

「人違い?」
「わ、私は……貴方を知りません! こんなこと、止めてください! け、警察呼びますよ!」
「さっきの見てなかったの? どうせオレに操作されるだけだし、それにオレを呼んだのはそっちでしょ?」

何の話しをしているのか理解出来ないは首を何度も横に振った。
そもそも呼んだ記憶など一切ない。
知り合いにも友人にもこんなに整った顔の人は居ない。
一体いつどこで知り合ったというのか。

「本当に! 人違いです!」
「1ヶ月前」
「……1ヶ月前? し、知りませんってば! 何なんですか!?」
「オレを呼んだじゃん」
「呼んでません! ど、何処の誰だか知りませんが……これは立派な犯罪ですよ!」

話しが平行線で埒があかないと感じたのか男は小さくため息をつきながら「参ったなぁ」と前髪をかきあげる。
その仕草が意外にも色っぽく、は複雑な気持ちになった。

「もしかして、自覚がないってやつ?」
「何ですか、それ……」
「仕方ない、か」

男はの上から退かずに自身の服の上のボタンを外していく。
「ちょ、ちょっと!」と思わず大きい声をが出すと男は胸元を晒した。
一瞬目を逸らしたが、ゆっくりと男の首元を見るとと同じように鎖骨の下に”痣のような物”があった。
ただと違う点は、は痣で男のは魔法陣のような円形の中に何か記号のようなマークが記されたタトゥーだった。

「これに見覚えは?」

見下ろされる黒い目と刻まれたタトゥーに思わず息を飲んだ。
丁度1ヶ月前、そのタトゥーの柄を見た記憶があった。
否、見たというよりは”描いた”に近い。

「……ま、待ってください。だってそれ……嘘、でしょ? あ、ありえないですよ! あ、あんなの、嘘に決まってるじゃないですか!」
「現にオレがこうして居るんだから嘘じゃないよ」
「冗談……です、よね……?」
「冗談じゃないから」

丁度1ヶ月前には”この人なら”と思える人に振られた。
理由は身体を重ねるために晒した痣が原因だった。
”痣が何となく気持ち悪いから”という何とも理不尽な理由で振られた。

学生の頃からからかわれ続けた痣のせいで信じられると思った相手に振られたショックは大きく、その頃のは半ば自暴自棄になっていた。
やっぱり自分には恋愛なんて物は無理だろう、と。

そんな時、普段なら気にならない古本屋が妙に気になり足を踏み入れたのがきっかけだった。
知ってる作家の作品は一冊もなく、宗教色の強い本が並んでおり帰ろうとしたところ、一冊の黒い本が気になり手に取ってみたのがきっかけだった。
タイトルも著者名も無いその本の中身は人を呪う方法が記載されていた。
馬鹿馬鹿しいと鼻で笑いながらもページ捲っていくと、魔法陣を紹介したページに目が釘付けになった。
どうしても内容が気になってしまい結局その本を購入し、自宅に帰って見よう見まねでその魔法陣を描き、自分を罵った相手を恨んでやろうと思ったが途中で止めていた。
自分はなんて馬鹿な事をしているのだろうか。
こんな事をして何になるというのだろうか。
少しずつ冷静さを取り戻したはその紙をくしゃくしゃに丸めて捨てたのだった。
その魔法陣と同じ物を鎖骨下に刻んでる男を目を点にして見ていると男は鼻で笑った。

「ね? オレを呼んだのはお前だろ?」

まるで心を読まれたかのような言葉には絶句した。


2020.11.18 UP
2021.08.18 加筆修正