悪魔カラスと私の攻防戦- 後編 -

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▼ 8

が言葉に詰まらせていると男は「オレはさっさと終わらせて帰りたいんだけど」とに顔を近づける。
慣れない距離感には堪らず「止めて!!!」と叫ぶと、男は動きがピタリとなり、押さえつけられていた手が解放され、目の前で正座をした。
急な態度の変化には眉間に皺を作りながら胸元に手を置きながらすぐに男から距離を取った。

「な、何……?」
「何って、従っただけだけど。不本意だけどね」
「従った? 私、何か……言いました?」
「”止めて”って言ったじゃん」
「それは……え?」

2人の間に沈黙が訪れる。

「仮契約中だけど、オレの主人は今、、お前なわけ」
「……はぁ……私が……主人? っていうか何で私の名前を……」
「そりゃ契約主の名前は調べ済み。それと、契約中は主人の命令は絶対だから」
「私命令したつもりは……そもそも仮契約って……私いつそんなこと」
「オレの針抜いたじゃん」
「あぁ……あれ、か……って、あんなことで!? わ、私はそんなつもりじゃ!」
「でもお前は抜いた」

黒目の瞳に見つめられながらはゆっくりとソファから立ち上がると頭を抱えた。
「えーと……」と言葉を探しながらは唸る。
まずこの男が”本当は”何者なのかを知る必要があると感じたは横目で男を見ると、背筋を伸ばして正座している男は「決まった?」と首を傾げた。

「質問に……答えて欲しい、です」
「それは命令?」
「……まぁ。そ、そう。命令、ね」

男は一瞬口元だけで笑うとすぐに「良いよ。何?」と質問に答える事を承諾した。
あっさりすぎる回答に戸惑いながらもはまず名前を尋ねた。

▼ 9

が男に尋ねると、男は短く「イルミ」とだけ答えた。
何者なのかと聞けばイルミはさも当たり前のように「こっちの世界では悪魔って呼ばれてる」と答えてくれた。
そもそも悪魔とは”悪”を象徴するもので、人に災いをもたらし、悪の道へと誘惑する存在。
そんなものは漫画やアニメ、映画の世界だけに存在する作り物だと思っていただけにイルミの言葉はにわかには信じられなかった。
半信半疑のはソファから離れながら「本当……なの?」と問う。

「嘘言ってどうなるのさ」
「で、でも……悪魔とか天使とかって作り話じゃ……」
「言わないだけでその辺にいっぱい居るって」
「嘘でしょ?」
「嘘じゃない」

イルミの大きな黒い瞳を見ると嘘を言っているようには見えなかった。
しかしこの男が本当に”悪魔”だと言うのなら何か災いが起こるはずだ。
その時、何か引っかかるものがあった。

「……管理人さん」
「ん?」
「管理人さんは……どうなるの? 針が刺さったように見えたけど……貴方がやったの?」
「そうだよ」
「……あの後変だったけど、元に、戻るの?」
「オレの針だよ? 戻るわけないじゃん」
「警察の人は?」
「あれはオレが命令しちゃったから死ぬしかないね。もう死んでるんじゃない?」

はすぐにテレビのリモコンでテレビを点けた。
生憎ほとんどのニュース番組は終了しており、事実確認は出来なかった。
この男を野放しにしていおくと何の罪も無い人が変になってしまい、ましてや関係の無い人が死んでしまう。
は拳を作りながら「管理人さんは?」と不安を含んだ目を向けるとイルミは「あれは情報を制御しただけ」と答えて足を崩した。

「し、死ぬ……の?」
「明日の朝ぐらいには死ぬんじゃないかな」
「……なんとか、ならないの?」

イルミの目が少し細まり笑みを浮かべた。

「出来なくないけど」
「……何?」
「これ以上の命令は反動が来るよ」
「反動?」
「そう。お前にね」

イルミはゆっくりとを指差して「どうする?」と笑いながら首を傾げた。
反動の内容が気になったが、それでも関係の無い人が巻き込まれるのは何か違うと思ったは震える声で「それでも良いから」と答えた。

▼ 10

の言葉を聞いたイルミはゆっくりと立ち上がり「じゃ、行ってくるね」と手をヒラヒラと振った。
さっさと玄関へと向かうイルミを目で追い、ドアが閉まる音では我に返った。
一体何をするというのか。
気になったはその後を慌てて追ったが、ドアを開けるとその背中はなかった。
夢中で走り、一目散で階段を駆け下りると管理人と話せる小窓の前にイルミが立っていた。

「ちょっと……何やって……!」

息が上がる中声を発すると心臓が重く、傷んだ。
立っていられなくなったは膝から崩れ、その場に手をついてイルミを見る事しか出来なかった。
ゆっくりと振り返ったイルミはに向かって針を振った。
管理人の頭に刺さったと思われる針にの視界が揺れる。
動悸が激しくなり、口からは荒い息遣いが漏れる。

「それが反動」

イルミの声を聞いた途端、動悸が激しくなり、口からは荒い息が漏れ始めた。
ゆっくりと近くイルミを見つめながらどうにもならない衝動がを襲う。
縮まる距離に反しての身体が疼き、今まで感じた事の無い欲情感がの身体を揺する。
目の前でしゃがみ、膝に頬杖をつきながら見つめてくるイルミの唇から目が離せなかった。

「オレが欲しい?」

楽しんでいるような二つの目にの目が虚ろになる。
もう何でも良いからこの身体の疼きをどうにかして欲しかった。
しかし此処はマンションの入り口でこんな姿を誰かに見られたら何を言われるか分からない。
は最後の理性を保ちながら静かに首を振るとイルミは「ふーん」と笑う。

「じゃ、自分で帰ってね」

は顔を上げて立ち去ろうとするイルミの足元に縋り付いた。

「い、嫌っ……! 待って!」
「我儘な主人だなぁ」
「置いてか……ないで……」
「しょうがないなぁ」

勝ち誇ったような表情に目の前がチカチカした。
これでこの身体の疼きから解放される。
ふいに頭に乗せられた手で撫でられると心地よく、それだけでも気持ち良かった。
この感覚が続くのなら悪魔のような男と契約しても良いと思っては目を瞑った。

▼ 11

部屋に戻ってきたイルミは抱えていたをソファに下ろす。
離れる温もりが恋しくてはイルミの腕を掴み、ソファに座らせると押し倒した。
きょとんとしている表情を見下ろすのは気分が良かった。

「結構積極的なんだ」

見上げてくる黒目を見ていると全身がぞくぞくした。
初めて男を押し倒し、初めて男の上に乗るのはこの上なく興奮した。
この男は自分の命令ならば何でも言う事を聞く。
支配感に満たされながらはイルミの頬に静かに触れた。
手から感じる温もりがの全身に伝わるような気がした。
早く触れたい。
その欲に押されては顔をゆっくりと近づけた。

「ストップ」
「え……?」
「その前に本契約がまだだから」
「……そんなの後でも」
「本契約前にキスしたら死ぬよ?」

攻めているのに攻められている感じにの身体が小さく震えた。

「本契約前の接触じゃオレにメリットが無いからダメ」
「メリット?」
「うん。だから早くオレと本契約して」

イルミの言葉にの喉がなる。
本契約をしたらどうなるのか。
本来ならもっと慎重になるべきなのだが、それすらも考えられないほど目の前のイルミが欲しかった。

「なら私を……世界で、一番幸せな女にして」

口から出たのはまるで悪魔のような願いだった。
今まで馬鹿にしてきた男共を見返してやりたい。
好きになった男を横取りしていった女共よりも良い男を見つけたい。
そして何より、自分を一番大切にしてくれる人と出会いたい。
そんな想いで口にした願いをイルミはまっすぐな目で「良いよ」と承諾してくれた。

▼ 12

唇を重ねると幸福感がの胸に広がった。
初めてするキスは暖かく、くすぐったかった。
啄ばむようなキスに混じって唇を軽く噛まれた。
その反動で口を開けると中に別の生暖かい物が侵入してくる。
簡単に絡めとられる舌が吸われたり、硬口蓋を舌先で撫でられると全身が痺れる想いだった。
初めてキスというものが気持ちが良いと感じ、堪らず腰が動く。

「んんっ……んっ……」

キスだけで感じている自分が恥ずかしくなったが、それよりも満たされる感覚には酔っていた。
他の部分も触って欲しい。
イルミの手を持って自分の腰に添えさせ、身体で”触って欲しい”と伝える。
腰を撫でる手がブラウス捲り、素肌を確かめるように動く。
徐々に背中へと向かう手に合わせてが身を捩るとイルミは「敏感」と囁く。
それもそうだ。
男に触られるのが初めてだから。
はその口を塞ぐように唇を寄せた。

下着のホックにたどり着いた手が器用にそれを外すと、胸が解放されたのが分かった。
それと同時には目を開き、唇を離した。
ぱっちりと開いている黒目と目が合い、は逃げるようにソファから転げ落ちると窓ガラスまでバックした。

「あ、あわ……あわわわわ……!」

正気に戻ったとはまさにこの事だと痛感した。
自分は今まで何をしていたのか。
唇に触れると生々しく残る感触と、垂れる唾液に顔を青くさせた。

「わ、私……私……!」
「あーあ、良い所だったのに」
「な、何が……何が起こって……待って! 動かないで!!」

身体を起こしたイルミには叫んだ。
今しがたしていた行為に恥ずかしくなり、は頭を抱えて「何? 何が起こったの?」と嘆いた。

▼ 13

徐々に冷静さを取り戻したはゆっくりとイルミを見つめた。
そんなを見ながらイルミは「だから反動が来るって言っただろ」と少し不機嫌だった。

「反動って……」
「オレに指示をしたり、使えば主人の欲求不満が溜まるってこと」
「な、何それ……聞いてない……んだけど……」
「だって聞かなかったじゃん」

腕を組みながら「オレを使うならそれなりの対価は必要だし」と言うイルミには顔をしかめた。
確かに反動の内容を聞かずに管理人を元に戻して欲しいとは言った。
それが”イルミを使う”に該当するのであれば、口走ってしまった自分の願いを叶えてもらった時、自分はどうなるのだろうか。

「あ、あの……本契約って……」
「あぁ。締結されたから」
「え? い、いい何時? 何時締結されの!?」

イルミは一瞬考えた後「ほら、あれだよ」と手を叩いた。

「オレにして欲しい事を言った後キスしただろ? あれで締結」
「だ、だ、だって! あれは! 仕方なく!」
「ちなみに本契約前のキスで死ぬとか嘘だから」

「そうでもしないと契約内容言わないだろ」と笑うイルミには言葉を失った。
あの時、無我夢中ではあったものの嘘だとは思わなかった。
なんとなく純情を弄ばれたような気がしてが俯くとイルミは「大丈夫」と続けた。

「オレが世界で一番幸せな女にしてあげるよ。なんせ悪魔だし」

自信満々に言うイルミをは睨んだ。
その先を聞くのが怖かったが、今後のためにも聞いておかなくてはならないことがある。

「待って……それが……叶ったら……?」
「叶ったら? 死ぬよ」
「死ぬって……誰が?」
「主人であるが」
「……冗談……だよね?」
「悪魔と契約するってのはそういうことだから。そしてお前の寿命はオレの寿命になる」

の顔が引きつるのに対してイルミは涼しい顔をしていた。

「人間の女の幸せは極上な快感だろ?」
「い、いや……そういう幸せじゃなくて……なんて言うかこう、その……自慢したくなるような彼氏というか、羨むような家庭というか……」
「いやー処女は久しぶりだから腕が鳴るなぁ。案外簡単な契約で良かったよ」
「しょ……!?」
「ヤるからにはちゃんとイかせてあげるから。あ、でもその後すぐ死ぬかもだけど」

の一番知られたくない部分を知られ、とんでもない事を言われた弾みで思わず「だ、黙って!!」と言うとイルミは小さく笑った。

「それは命令?」
「ち、違う!! 断じて命令じゃ……ないです!」
「あぁそう。残念。さっさとオレに抱かれちゃえば良いのに」
「あぁあもう! そういう事言わないで!!!」
「……命令?」
「だから違う!!」

平行線をたどる2人の攻防戦がこれから始まろうとしていた。


2020.11.18 UP
2021.08.18 加筆修正