パラダイムシフト・ラブ

1

雨が激しく地面を打ち付けるそんなある日、暗殺稼業を営むゾルディック家の長男・イルミは廃墟となったビルの6階に来ていた。
分厚い雲は月を覆い隠し、光が一切届かないフロアを歩いているとポケットに忍ばせていた携帯電話が小刻みに揺れた。
届いたメールには「突き当たりの奥だよ◆」と、一言だけ綴られており、送り主はビジネスライクとして付き合いがある奇術師・ヒソカ。

「……オレ結構忙しいんだけどなぁ」

イルミは水気を含んだ前髪が鬱陶しくなり、搔き上げながらため息を零した。
まっすぐに伸びた通路を進み、言われた通りの突き当たりの部屋を目指すが、それまで軽快だった歩みをおもむろに止めた。

「やっぱ帰ろっかな。どうせアイツのことだからくだらない事かもしれないし」

そう小さく呟きながら踵を返そうとしたところ、また携帯電話が震えた。
今度は震えが長い。
おそらくメールではなく、電話だろう。
ディスプレイに表示された名前を確認するや否や、イルミの眉間に薄っすらと皺が寄る。
電話に出るとクスクスと笑う声に混じって「今帰ろうとしたでしょ」と真意を突かれた。

「……だって面倒臭いし。口頭で教えてくれればそれで良いよ」
「それだとボクが面白くないじゃないか」
「ならオレにとっては面白くないだろうから帰るよ」
「え、ちょ」

相手の反応を確認せずに電話を切ると、また電話が鳴る。

「何?」
「切るなんて酷いじゃないか」
「だったら手短に教えてよ」
「来たらわかるからさ」

間髪入れずに「帰らないでね」と言い残し、今度は相手が電話を切った。

「本当にくだらない事だったら迷惑料を貰えば良いか」

会話の後、渋々といった感じでイルミは再度歩みを進めた。
突き当たりまでくると左手に木製のボロボロに劣化したドアがあった。
錆びたドアノブを見つめながら、片足で重心を取りながらもう片方の足でドアを蹴破る。
飛び散った破片と、崩壊したドアの先に見えたのは窓枠に腰掛ける奇術師だった。
飛んできた破片を払いながら入って来たイルミに奇術師・ヒソカは喉で笑いながら「まったく君は乱暴だなぁ」と投げる。

「ヒソカほどじゃないよ」
「ボクは紳士で優しいよ?」
「それ、面白くもなんともないからね」
「まったくイルミは手厳しいなぁ」
「で、何?」

真っ黒に染まった大きな瞳がヒソカを見つめる。
言葉にしなくても相手に伝わるよう正面から”早く要件を言え”と威圧すると、その視線に口元を少し釣り上げたヒソカはポケットの中から小さな小箱を取り出した。

「仕事の話って何?」
「あぁ、あれね。あれは嘘で、本当はボクから親友である君にプレゼントがあるのさ」
「……帰る」

滅多に表情が動く事がないイルミは口元を歪めながら長い黒髪を翻した。
仕事中に「急な仕事の話があるんだけど♣︎」と連絡してきたものだから何かと思って来てみればくだらない一言。
その一言はイルミを帰路へと向かわせるには十分なほどだったが、それ以上イルミが動くことはなかった。
もしやと思い、イルミは視線を落として凝を発動させるとピンクのオーラが足元に絡みついているのが視えた。

「まぁまぁ。此処まで来てくれたんだからボクの話を最後まで聞いてよ」
「……ならオレの足に付けたバンジーガムを取ってくれないかな」
「最後まで話しに付き合ってくれたら取ってあげるよ」

背後で聞こえるクスクスと笑う声にイルミは小さく舌打ちをする。
この念を外せるのは術者であるヒソカの意思でないと外せないのを知っていたイルミは諦めたように本日何度目かのため息を吐いた。

「これでボクの話、聞いてくれる気になったかい?」
「聞かざるを得ない状況にさせた張本人がそれを聞くの? 外した後殺されたくなかったら先に外しておいた方が良いと思うけど」
「……わかったよ、外してあげるよ」

外されたオーラを確認するとイルミはヒソカに向き直った。
ヒソカの手の中で揺れる小さな小箱に嫌でも視線がいってしまう。

「君……最近見合いの話とかあるんだって?」
「……それ今関係ある?」
「そう殺気を出さないでくれよ」
「ヒソカが手短に話さないからだろ」

ちらつかせる小箱の蓋をヒソカが開くとシンプルな指輪が姿を現した。

「これがあるとその見合いを全て白紙に出来るっぽいんだよね」
「……ぽいってなに」
「流星街で見つけたんだけど、自動的に運命の相手が見つかるアクセサリーなんだってさ」
「馬鹿らしい。オレにはそんなの必要ないから。第一盗品を人にあげようとするのはどうかと思う」
「面白そうだからつい頂いちゃったわけさ。でも、ボクには必要ないからお見合い話に困ってるイルミにあげるよ」
「ねぇオレの話聞いてた?」

そう言ってヒソカは小箱から指輪を取り出すと振りかぶり、イルミに向かって投げつけた。
放たれたそれは一直線を描いてイルミの方へと真っ直ぐに飛んでいく。
まるでイルミを追いかけるかのような軌道を取る指輪に不信感を持ったイルミは直ぐに後ろに飛び退いたが、ピンク色のオーラに包まれている指輪を見て諦めた。
逃げるのを止めると指輪はなんの抵抗もなくイルミの小指へと収まった。

「……ほんと厄介な念だよね、ソレ」
「そう褒めないでくれよ。足を外した代わりに指につけただけのことさ」
「っていうかオレの趣味じゃないんだけど、コレ」
「だと思ったよ。どうせ渡しても捨てられちゃうと思ったから……無理やりハメちゃった」

指に収まった銀色のそれを外そうとしてもびくともしない。
まるで生まれた時からそこにあったかのようなフィット感に舌打ちすると、ヒソカがゆっくりとイルミに近づく。
「君の指には収まるみたいだね」と意味深な言葉をつぶやきながら鈍色に輝く指輪に顔を寄せた。

「ボクの指には一つも合わなかったんだよ。でも、イルミには合うみたいだね。ってことは、メモ書きは本当ってことかな」
「メモ?」

ヒソカはズボンのポケットから一枚の紙切れを取り出した。
4つ折りにされていたそれを広げるとヒソカはイルミに手渡した。

「箱の中にこれが入ってたんだよ」
「”運命の相手が手の届かない所に居るとき、この指輪は力を発揮する”?」
「多分だけどイルミの運命の相手はどこか違う所に居るってことじゃないかな?」
「ならお前の相手は近くに居るってことになるわけ?」
「そういう事になるのかな。ボクの運命の相手ってもしかして……君だったりして?」
「気持ち悪いからそういう冗談は止めろって何度も言ってるよね」
「わーこわーい。ボク泣いちゃうよ?」

ふざけるヒソカには視線を向けず、「馬鹿馬鹿しい」と言いながらもイルミはそのメモ書きに書かれた文章を静かに目で追う。
その様子を見ながらヒソカは不敵な笑みを浮かべていた。
「なかなか面白そうじゃない?」と聞いてみるが相手からの反応はない。
一通り目を通したのか、長いため息を吐きながらイルミは視線をヒソカへと戻した。

「この”運命の人が死ぬと持ち主も死ぬ”って意味が分からない」
「相手が死ぬとイルミも死ぬってことじゃない? 君すぐ殺しそうだもんね」
「まるで子供じみてる。本当はイタズラかなんかじゃないの?」
「んー? どうしてそう思うんだい?」
「だって、キスしないと外れないとか、外れないと元の世界に戻れないとか、ルールにしては頭悪すぎでしょ。それに元の世界って何?」
「ボクは面白いと思うけどなぁ。ファンタジーな感じがしてさ」

イルミが「それに」と言葉を続けようとした時だった。
咄嗟にイルミは小指を抑えながら、一言「熱い」と零した。
怪訝な表情を見ながら「どうしたの?」とヒソカが問うと目の前で炎が立ち上りイルミの体全体を覆った。
ヒソカはすぐにその場から離れ、距離を取りながら熱から守るように腕で顔を覆い、静かにその炎を見つめた。
しかし何事も無かったかのようにその炎はすぐに消えた。
一つ何かあったとするならば、そこにイルミの姿はなかった。

「わーお。まさか本当に消えるとは……」

軽く口笛を吹く。
辺りを見渡してもどこにもイルミの姿はなく、本当に消えてしまったかのようだった。
静まり返る空間と、外から聞こえる止まない雨の音。
帰ってきたあかつきには面白い話が聞けることを信じ、ヒソカはまた窓枠に向かい、静かに腰掛けた


2019.10.18 UP
2020.06.02 加筆修正
2021.07.22 加筆修正