パラダイムシフト・ラブ

17

半日をロスした影響は結構大きかったようで溜まりに溜まった洗濯物や部屋に転がる荷物を見ては肩を落とした。
貴重な休みをこれから挽回するために二人は溜まった洗濯物を片付けたり、もしかしたら今後増えるかもしれないイルミの物を置くスペースを確保したり、無くなりそうな日用品を買い出しに行ったりと目まぐるしく動いた。
予想外だったのは文句ひとつ言わずにの後ろを付いて歩くイルミだった。
多少の文句は覚悟していたが何だか拍子抜けしてしまったはどうしたものかと考える。
買い物からの帰宅後、レジ袋からシャンプーやらトイレクリーナーを取り出しながらは一瞬だけイルミを見た。
不思議そうに入浴剤を見ていたイルミと目があうと無意識に目を逸らしてしまった。

「コレなんて書いてあるの?」
「……”日本の秘湯シリーズ”です」
「何に使うの」
「入浴剤ですよ。いい香りがして好きなんです」
「ふーん」

そこでやっと気がついた。
そう言えばイルミは日本語が読めない、と。
普通に話せるからつい読めるものだと思ってしまったが、イルミは日本の文字とは違う文字が使われている国に居たのだ。
今度は消臭剤を手にしながら「これは?」とに聞く。
一見クールで近寄りがたい雰囲気を纏っているが、実際は好奇心が強く、気になったものは追求しないと気が済まない性格なのが少しずつ見えてきた。
話し方は単調でマイペースだが、決して悪い気はしない。
必要以上なコミュニケーションは煙たがりそうだが、決して話すことが嫌いではなさそう。
そこでふと疑問が生まれた。

「イルミさんって本当に今まで彼女とか居なかったんですか?」
「この前居ないって言ったよね」
「いや、まぁ、そうなんですけど……なんか不思議で。こうして話しも出来るし、荷物も持ってくれて優しいところだってあるから」
「だから?」
「えっと、本当はモテるんじゃないかなーって、思って」
「モテるって何」

キョトンとした顔がに向けられる。

「え? だから、チヤホヤされたり、なんか、あの、デートに誘われたりとか……じゃないですか?」
「殺しの依頼は来るけどそういうのはないよ」
「え、無いんですか」
「ない。はオレがモテると思うの?」
「お、思いますよ! だって背も高いしモデルさんみたいですし。ちょっとこう、強引な人が好きって人は多いと思うし……あとえっとカ、カッコ、いい……と思います!」
「自分で言って照れないでくれる?」
「は、はい……すみません」

穴があったら入りたいとは初めて思った。
途中から自分でも何を言いたいのかわからなくなり、つい最後には思っていた言葉が出てしまった。
仕分けの手元が止まってるとイルミから「本当のオレを知ったら、驚くよ」と言われた。

「オレは仕事のためなら親父達と違って一般人でも利用するし、依頼されたからにはやり遂げるから」
「……でもそれは、あくまで仕事で好きでその、しているわけじゃないですよね」
「どうだろうね。ウザい奴は依頼とか関係なく殺すよ。だからが思ってるような生緩い生活はしたことないしオレにはそういう生き方しかないから」

何を思ってそう言ったのか分からない表情をしていたが、少なくともその言葉はの胸に突き刺さった。
が想像したところでイルミが過ごしてきた環境や生き方は理解できないだろう。
もし、人を殺すことでしか生きていけないのであればそれは悲しすぎる人生だ。
でもそれを本人は理解していない。
家庭環境のせいで歪んでしまった心の感情は今どこにあるのだろうか。

「殺して欲しい奴が居るなら言いなよ。世話になった分格安でやってあげるから」

その言葉はあまりにも乾いていて、はなんて答えれば良いか分からなかった。

*****

貴重な土曜日は終わりを告げようとしていた。
時間はあっという間に過ぎていったが起こったことが濃密すぎてベッドに腰掛けるとドっと疲れが押し寄せてきた。
普段の土曜日だったらダラダラ過ごしながら撮り溜めしていたドラマを見て、パソコンでネットサーフィンをしていたら終わっているところだが、予想外の客人が来てから生活が一変し、一人で居る時より喜怒哀楽が多くなった気がした。
首元まで布団を引き寄せ、ソファに座りながらバラエティー番組を見ているイルミを見つめる。

「すみません。布団の用意がなくて……すっかり忘れてました」
「いいよ。どこでも寝れるし。近くに土があるのも分かったから」
「土って……あ、あれは止めましょう。他の通行人が見たら絶対通報されちゃいますから」
「そう言えば、さっきその小さな機械が光ってたよ」
「え、本当ですか?」

はゆっくりと体を起こし、テーブルに置いておいたスマホに手を伸ばすと画面には1件の通知があった。
内容はお風呂に入る前に送った相手からの返事で、それに対して返す内容に躊躇いを感じた。
なかなかスマホを離さないを横目で見ながらイルミはそれとなく「誰?」と聞くとは「彼ですね」と小さな声で返した。

「返さないの?」
「返し……ますけど」
「何てきたの」
「来週末出かけようって」
「ふーん。行けば良いじゃん」
「行けませんよ」
「何で?」
「な、何でって……だって、イルミさんが居るし」

もし、イルミが居なければはいつも通りその誘いを受けていたかもしれない。
最初の頃は幸せに満ち溢れた生活だったが、今となってはルーチンな日々の一つにすぎないデート。
同じ部署に居た頃に始まった恋は別々の部署になった時に変化が生まれた。
相手は花形の営業職でどんどんと出世し、社内に居ないことが多くなった。
片やは、資料の見栄えや掲示物のデザインからデザインセンスを買われて専門部署へと移動になり、社内に居ることが多くなった。
お互いのすれ違いが続き、帳尻合わせのようなデートの後は必ずと言って良いほど体を重ねた。
将来の話もなければ、同棲の話もないマンネリ化した付き合いにはどこか流されていた。
そんな時に出会ったイルミの存在はどこか特別に思えた。

「オレのことは気にしなくて良い」
「生死が関わってる間はイルミさんを放っておくわけにはいきませんよ」

結局来週末のデートは難しい旨を送ってスマホをテーブルの上に戻し、先ほどと同じように首元まで布団を引き寄せて目を瞑った。
イルミの事もなんとかしないといけないが、彼氏の事もなんとかしないといけないと思いながら小さく「おやすみなさい」と告げて目を瞑った。


2019.12.10 UP
2020.06.03 加筆修正
2021.07.22 加筆修正