あなたの元に永久就職

5

内側のカーテンを下ろし、ドアプレートが”CLOSE”になっているのを確認した後、はドアに鍵をかけた。
肩からずり落ちた鞄の紐を肩にかけ直し、買ってもらったパンが入った紙袋を持ちながら立ち上がって腕を組んで立っている”ロバート”に振り返った。

「お待たせしました」
「えぇ。待たされました」
「うっ……す、すみません」
「いいえ。貴女のパンを潰してしまった事をこれでチャラに出来るなら安いもんです」
「案外気にしてくれてたんですね」

2人で暗い道を歩きながらはいつ話を切り出そうか悩んでいた。
バイト先と家までの距離は限られているし、時間も限られている。
今日聞きたい事を聞かなければもうチャンスはない。
街頭がポツポツと灯る道を歩き、気づけばもう折り返し地点。
人通りも少なく、まもなく例の”現場”に近づいている。
焦る思いを抑えながらは鞄の紐を握りしめながら小さく息を吸い、「あの」と声を出すと同じタイミングで声が重なった。

「……どうぞ」
「そちらからどうぞ」

先を譲ってもらった。

「じゃ、じゃあ……あの……お名前、教えてください」
「は?」

違う。
それも知りたいが本当に知りたいのはそれじゃない。
自分の初心な恋心に負けた悔しさがの体を駆け巡る。
がチラリと”ロバート”を見ると、気難しそうな表情をしながら一言「七海です」と教えてくれた。

「七海ですさん?」
「いえ、七海建人です」
「建人さん?」
「何故下の名前で呼ぶんですか」
「あ、すみません!!! つい!」

まさか純日本人な名前だと思わず、ふいに呼んでしまった名前に顔が赤くなりながらは「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」と何度も謝った。
ロバート、もとい七海はため息を吐きながら「気にしていません」と零した。

「聞きたいのはそれだけですか?」
「あ、いえ、えっと……彼女、居ますか?」

違う。
それも知りたいがそれじゃない。

「……居ません」
「え? 本当ですか?」
「何故貴女が嬉しそうな顔するんですか」
「すみません……つい」
「聞きたいのはそんなことじゃないでしょう」

ピタリと足を止めた七海には振り返った。
ゴーグルに手を添えて少し首を傾げる七海は絵になる。
こんなに格好良い人が悪い人な訳がない。
はごくりと喉を鳴らしながら真っ直ぐに七海を見つめた。

「……七海さんって、何してる人、なんですか?」
「一言で言えば掃除みたいなもんです」
「掃除? 清掃員?」
「違います」

何かを隠している七海を見つめながら「なら……何の、掃除をしているんですか?」と尋ねる時、心臓がこれでもかと鼓動した。

「何だと思いますか?」

その言葉を聞いた時、全身がピリピリと痺れた。
何だか嫌な予感がする。
握りしめていた鞄の紐がぐしゃりと歪み、の背中を一筋の冷や汗が辿る。
七海は自身の背中に手を伸ばし、ゴソゴソと腕を動かした後、以前見たような大鉈を手に持っていた。

「え、え……?」

自分のネクタイを外し、それを大鉈に巻きつける姿から目が離せなかった。
もしかして自分は死ぬのかもしれない。
口封じに殺されるのかもしれない。
そう思ったはその場から逃げようと前を向いた時、得体の知れない何かが目に入った。
それは前回見たような赤黒い”何か”で、の目が大きく見開き、叫ばずにはいられなかった。

「いやぁああああ!!!」
「伏せてください」

言われた言葉に従ったのか、本能的にそうしたのか分からなかったがは耳を塞ぎ、目を硬く頭ながら体を丸めてしゃがんだ。
人の物でも動物でもない物の叫び声が手をすり抜けて聞こえてくる。
一体何が起こっているのか考えるよりも早く背中に激しい痛みを感じた。
何かに踏まれたような感覚には顔を歪ませながらも何が起こっているのか知りたくて目を開いた。
その時、大鉈を振り上げた七海が飛んでいるように見えた。
何も考えられなかったが、これだけは分かった。
七海は自分の背中を踏み台にして何かに向かって大鉈を振り下ろし、この前のように辺りに赤くてどす黒い何かをばら撒いていた。


2021.10.27 UP