あなたの元に永久就職

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店長への交渉の末、バイトに入れる日を増やしてもらった事でに暇な時間という物は無くなった。
午前中に面接があった日は午後からバイトに入り、逆も然り。
夜になって自宅に帰って来ればヘロヘロの身体を引きずって風呂に入る。
そんな日々の繰り返しだったが、ニュースだけは欠かさず見る週間がすっかり日常の一コマとして溶け込んだ。
もしかしたらあの時の事件が取り上げられるかもしれないと思うとどうしてもチェックしてしまう。
あの日から”ロバート”も店には来ていないようでますます怪しく思えてきた。
それでも心のどこかであの日の夜見た事は何かの間違いであって欲しいと思えたのは、の一目惚れだからだ。

連勤による疲れが現れ始めたのは早かった。
慣れない事を急にするもんじゃないと思いつつも、自分の生活の事を考えると弱音なんて吐いてられなかった。
最後のお客さんを見送り閉店時間までの間、はカウンターに頬杖をつきながら閉店時間を待っていた。
帰り支度を終えた店長がカウンターまで来ると「そんな顔するぐらいなら休め」と言う。
はすぐにいつもの笑顔に切り替えて「ミステリアスな女の練習してるんです」と笑うと、店長は「10年早いわ」と呆れた表情を見せる。
戸締りを任されたは店長を見送ると時計に目をやった。
閉店まであと30分。

レジ袋の補充や、トレイの位置を直したり細かい所の掃除をしていると30分というのはあっという間に過ぎる。
閉店から5分程過ぎてがドアプレートを回転させようと入り口に近づいてた時、小さなベルが鳴り、ドアが開いた。

「まだ、間に合いますか?」
「え、あ……」

目の前に広がるブルーのシャツとレオパード調のネクタイ。
そしてグレイッシュベージュのスーツにの心臓が力強く動く。
見上げる程に高い位置にある顔を見るとは「だ、だ、大丈夫です」と息をする事を忘れた。

は後ろに下がりながら”ロバート”を店内に招き入れるとはそそくさとカウンターに戻り、しゃがんだ。
ポケットに入れていたスマートフォンを取り出してすぐにグループチャットで”ロバート来たんだけど!!!”と送ると背中を教えてくれるメッセージが続々と届く。
少しだけ顔を上げて行動を見守っていると”ロバート”は顎に手を当てながら店内を見回していた。
一体何をしているのだろうか。
まさか目撃者である自分を始末しに来たのではないだろうか。

「ヤバイヤバイヤバイ……!」

はすぐに”私死ぬかも”と送ると「すみません」と声を掛けられた。

「は、はい!!!」

はすぐに立ち上がって、スマートフォンをポケットにしまった。

「どれでも良いのでいくつか見繕ってください」
「……へ?」
「貴女が食べたいと思う物で結構ですから」

どういう意図があるのか分からなかったが、は警戒しながらも言われた通りにトレイとトングを持ち、残っているパンを適当に選ぶことにした。
一つ選んでは後ろを付いてくる”ロバート”をチラリと見る。
4つ程選んだ所で「お会計を」と言われ、すぐにレジへと向かった。

「1020……円です」
「小銭の持ち合わせが無いのでこれで」

財布から出てきたのはしがないパン屋で受け取るには荷が重すぎる1万円札だった。
お釣りを2回数えてから相手の手の上に乗せ、どういうわけか自分で選んだパンを自分で包む。
形が崩れないように入れたあと、その紙袋を手渡すと「どうぞ受け取ってください」と言われた。
状況を理解していないにこの前踏んでしまったパンの詫びだと”ロバート”が言うと、は顔の前で手を振った。

「なっ!? う、受け取れませんよ! あ、あ、あの事なら、気にしないでください! 私は何も見てませんから! って言うか、覚えてたんですね。お店の事も、私の事も……」
「えぇ。独特な宣伝方法だったので」
「あぁ、あの揚げたての愛ですね」
「違います。カレーパンです」

二人の間に沈黙が落ちる。
は手に持った紙袋に視線を落とすと頭上から「では、私はこれで」と”ロバート”が別れを告げる。
なんとなくはこれを最後にもう会えないと思った。
今日立ち寄ったのも踏んづけてしまったパンの詫びのためでそれ以上でもそれ以下でも無いと直感で感じた。

「ま、待ってください!」
「……何ですか?」

振り返った”ロバート”の目はゴーグルに隠れて見えなかったが、うざがられているのが予想出来た。
それでもは確かめたい事があった。
そのチャンスは今日逃したらもう一生無いと思え、必死だった。

「あ、えっと……その……」

は止まりそうになる脳みそを必死で叩き起こした。
何か言わないと帰ってしまう。
どうすれば足止め出来る?
どうすれば少しでも長く一緒に居られる?
どうすればあの事件と関係無いと証明出来る?

「あの……なんていうか……最近物騒ですよね!」
「……はぁ」
「こ、この前変質者に会って! 怖くて、その、お、お店閉まるまでその……」

我ながら無茶苦茶な提案だった。
変質者に遭遇したからといって名前も知らない赤の他人にはそんな事など知ったこっちゃ無い。
せいぜい”気をつけて”と言われるのが関の山だ。
結局自分の脳みそのパワーなんてのはその程度かと自分自身に呆れた。
こんなレベルだから面接官の質問にも満足のいく返答が出来ないし、就職活動も失敗続きなんだとため息をついた。

「あー、やっぱりその、大丈夫です……。すみません、急に呼びとめてしまって」

は諦めの笑顔を浮かべながら片手でレジの清算ボタンを押した。
今日1日の売り上げが印字されたレシートが出てくる間、”ロバート”は腕時計に視線を落とすと小さなため息をついた。

「分かりました。待っていますので、片付けを始めてください」
「え……嘘……え? い、良いんですか?」
「早く始めてください」
「は、はい!」

しょんぼりしていた表情に花が咲く。
あの時の揚げたてのカレーパンを宣伝していた時のような明るくて、元気で、無垢な笑顔を見せるを見て”ロバート”は視線を逸らした。


2020.12.23 UP
2021.10.27 加筆修正