パラダイムシフト・ラブ

7

にわかには信じられない現象を目の前で見せたイルミをは呆気に取られた表情で見つめていた。
本人は練習すれば誰でも出来るようになる念能力だと言うが、そんなものは初めて聞く。
手を触れずに水を張ったどんぶりの上に浮かべた爪楊枝を自由自在に動かせるなんて信じられないが、現に目の前でそれは動いた。
理解し難い現象は本当に世の中にあるのだと理解した。

「と、とりあえずその念……と言う力のせいでイルミさんは今此処に居る、と言うわけですよね」
「そうだね」
「では、話しを、戻しましょう。えっと、その指輪をするとう、う、運命の人……と出会える、と」
「別に照れなくて良いから」
「す、すみません。こういう言葉には慣れてないので……」
「ふーん」

イルミは頬杖をつきながら半ば呆れ顔でを見る。
その表情にの言葉が一瞬詰まる。
この数時間で分かった事ではあるが、イルミは表情筋が全く動かないという訳ではないらしい。
呆れている時は大きな黒目が少しだけ細くなる。

「で、協力者となる”運命の人”を探しているんですよね」
「そもそもその協力者が居ないと指輪が外れないからね。何度も言うけど、こっちに来てからオレに近づいてくる人間、いや近づける人間は誰も居なかったからオレの中ではお前じゃないかって予想してるわけ」
「そ、それはイルミさんが殺気を出してたからじゃないですか? それを抑えれば声とか……かけられたんじゃないんですか?」
「あの程度の殺気で近づけない人間とか近くに居て邪魔でしかないから」
「邪魔って……」

イルミのあんまりな言い方にの表情が若干曇る。

「でも、このメモが本当ならオレの殺気なんか関係なく近づいてくる馬鹿が居るんだろうと思ったけど……本当に居るとは思わなかったから正直驚いた」
「それが……私だったんですね」
「どんな人間でもさ、目に見えなくても危険な雰囲気って察知出来るもんだから警戒するけど、あの状況でオレに近づける奴なんてよっぽどの変態か同業者ぐらいだよ」

何が面白いのかハハハと笑う男、イルミには眉を寄せた。

「私には……イルミさんの仕事は正直言って理解出来ませんが……帰らないとその、家族が心配しますよね」
「どうだろう。しないんじゃない? 1ヶ月家に帰らないとか仕事で普通にあるし」

突然寂しい事を言うイルミにの瞳が揺らいだ。
一体どんな家庭環境なのだろうか。
本人はあっけらかんとしており、はますますイルミの居た世界が分からなくなった。

「で、でも……戻りたい……ですよね」
「そりゃね。仕事も溜まるだろうし」
「お仕事って……その……」
「さっき話したけど、暗殺。殺しだね」

言葉が詰まった。
普通にイルミの口から出てくる物騒な言葉に肩が跳ねる。
日本では殺しは犯罪ではあるが、イルミの居る世界では職業としてまかり通っている事に驚きが隠せなかった。
道徳的に考えれば許される事では無いはずだが、それを生業にしているという事はそれが認められていての常識なんかは通じない世界で生きている人であると痛感した。
ある意味危険人物なイルミが日本に居て良い訳がない。
しかし、イルミが元の世界に帰るにはイルミの小指にはまっている指輪を外さないといけない。
そのためにはキスをしないといけない。
黒くて深いその瞳は一体何を見て、何を考えているのだろうか。
時々吸い込まれそうになるその瞳で見つめられると考えが停止してしまう感覚に陥る。
さっさと離れなくてはいけないのに、指輪の最後の条件が頭の中でちらつく。
どの道にはあまり選択肢が残されてないが、それでも躊躇いがあった。

「ほ、本当にその……キ、キスをしないと、外れないんですか?」
「自分では外れないからそうじゃない?」
「で、でも私……」
「なんなら試してみる?」
「へ?」

まるで”夕飯何食べる?”みたいなノリで聞いてくるイルミには思わず言葉を失った。
口をパクパクと金魚のように動かすを横目にイルミはゆっくりと立ち上がり、が座るソファへ腰掛けた。
ギシっと沈むソファと落ちてくる影にの目が大きく見開かれる。

「え、ちょ! ちょ、ちょ、ちょっと……イルミさん!?」
「目ぐらい閉じなよ」
「いや! ちょっと、む、無理! 無理無理! 落ち着いてください!」
「オレは落ち着いてるけど?」
「お、お、落ち着いてないです! とりあえず待ってください!」

近づいてくる体を押し退けようとするがビクともせず、男の割には綺麗な長い指がの頬に触れる。
冷たいその指先にの肩が跳ねた。

「待つのは性に合わないんだけど」
「っや、やだーっ! やめましょう! 無理! ちょ、無理ですってば!」
「煩いなぁ……」
「う、う、煩くもなります! こんなの! ま、間違ってます!」

徐々に近く顔。
イルイの大きな瞳にはの焦る顔が映る。
バタバタと足を動かしながら思わず能面のような顔に手が伸び、イルミの視界を手で隠した。

「……何してるの」
「ま、まだ私が運命の人と決まったわけじゃないです!」
「それを確認するためにまずこの案を試すんでしょ」
「まず確認が取れてから強行的な手段に出てください!」

の提案に渋々納得したのか、イルミの動きがピタリと止まった。
体をゆっくり離したことで、もゆっくりと腕を引っ込めた。
肩で息をしながらイルミの顔を伺うと本人は気にしている様子はなかった。

「と、とりあえずもう遅いので明日また考えましょう」
「あんまり悠長にしていると期限が来て死ぬかもしれないよ?」
「そ、そもそも私達出会ってまだ数時間です!」
「なら協力してくれるって事で良いんだよね?」

小首を傾げる仕草が思わず可愛く見えての思考が停止した。
大の大人がこんな時にそんな可愛い仕草をするとは思わず、胸が少しだけ跳ねる。
固まるの手を掴み、イルミは自分の手を重ねて握手した。

「これからよろしく、

不覚にも呼ばれた名前と少しだけ笑った口元にめまいがして、また頭が痛くなってきた。


2019.11.06 UP
2020.06.02 加筆修正
2021.07.22 加筆修正