パラダイムシフト・ラブ

11

先にがシャワーを浴び、その後にイルミが続いた。
イルミがシャワーを浴びている間には食器を洗い終え、ソファに座ってクッションを抱きながらテレビを見ていた。
1日の出来事を紹介するニュースの中に関心を引かれるような内容は無かったが、なんとなくぼんやりと見ていた。

「そう言えば……」

昨日イルミはどこで寝たのだろうか。
今朝起きた時は自分はベッドの中にいたが、ベッドに自分で入った記憶がない。
ではどうやってベッドに行ったのか。
その後イルミはどこで寝たのか。
そもそもいつ帰ってきたのか。
記憶が全く無く、怖くなって膝を抱えた。
まさか気がつかないうちに一線を超えてしまったのか。
いや、そんなことはない。
頭を振っていると脱衣所のドアが開き、は俯かせていた顔を上げた。

「イ、イルミさん! 昨日は何処で寝たんですか?」
「昨日?」

いつ覚えたのかイルミは髪の毛を拭きながらスティックコーヒーが入っている棚を開け、慣れた手つきでコップ2つを取り出すとそこに粉末を入れ始めた。
電気ポットにもスイッチを入れ、完全にコーヒーの淹れ方をマスターしていた。

「ベッド」
「ベッド……ベッド!? え、私……ベッドで? え?!」
「一緒に寝たじゃん」
「は!? ど、ど、どういう事ですか!?」
「あ、覚えてないんだ」

コポコポと小さな音を立てる電気ポットの音。
自分でベッドに入った記憶はないが、今朝起きた時は確かにベッドで寝ていた。
しかしイルミが隣で寝たような記憶は一切ない。
困惑の表情を浮かべながらイルミを見ると当の本人は少し目を細めながら「本当に覚えてないんだ」と追撃してくる。

「私……え、だって昨日イルミさん出てっちゃって……」
「酷いなぁ忘れるなんて。誘ったのはなのに」
「え! えぇ!? わ、私……嘘!」

ピーっと湯が分ける音がした。
イルミの言葉を純粋に信じ、みるみるの顔が赤くなり頬を抑えながらしどろもどろになる様もイルミは無表情で見つめる。
慣れた手つきでポットを持ちながら熱湯をカップに注ぐとそれを持って自室へと入ってきた。

「あ、あの……あの本当ですか? わ、私……な、何かしちゃいました、か?」
「結構大胆だなって思った」
「ぇええ?! 嘘ですよ嘘! それは嘘ですよね?!」

悲鳴と共にはクッションに顔を埋め、ジタバタと足を動かした。
昨日の夜はイルミが出て行ってから戻ってくるまで待ってようと思ったものの、ついうとうとしてしまって寝てしまったのが最後。
次に意識が戻った時は既に朝だった。
体が熱くなり、顔を上げられないでいると頭上から「嘘」と降ってきた。
頭が真っ白になりながら「嘘?」と聞くと「嘘」と返ってきた。
ゆっくりと顔を上げるとイルミは「ちょっとからかっただけ」と言いながら湯気が立つマグカップをに差し出した。
思わずそれを受け取り、カップに映る自分の顔を見つめた。
立ち上る湯気でよく見えなかったが相当間抜けな顔していた。

「一緒に寝たのは本当。けど、何かしたわけじゃないから」
「……い、意味が分かりません」
「オレが戻った時にはもうは寝ててさ、呼んでも起きないからベッドに運んだんだよ」
「……はぁ」
「運んだ時にシャツの裾を掴まれてさ、全然離してくれないから仕方なくオレも寝た。ね? オレって結構優しいだろ?」

ほんの少しだけイルミの口角が上がる。
恐らく本人はドヤ顔をしているんだろうが、他の人が見れば普通の真顔にしか見えない程度の変化だった。
なんて答えて良いのか分からずとりあえず無難に「そ、そうですね」と答えた後、何のために外に出たのか尋ねると予想外の答えが返ってきた。

「万が一を考えてこの辺で寝れるところを探し行っただけだから」
「寝れるって……例えば?」
「オレはどこでも寝れるけど一番落ち着くのは土の中」
「土の中……本当ですか?」
「涼しくて案外過ごしやすいよ。も入ってみる?」
「遠慮しときます」

本当に不思議な人だと思い、複雑な心境になった。
ぶっきら棒で感情の無い人かと思えば唐突に冗談を言ったり、摩訶不思議な事を言う。
不思議そうにがイルミを見ているとソファを気に入ったのかイルミは「詰めて」と言う。
「あ、はい」とが少し横にずれると、空いたスペースにイルミは腰を下ろした。
縮こまって飲むコーヒーはまだには熱すぎた。

*****

日付が変わってすぐの頃、イルミは指輪をに見せた。

「昨日は100だったの覚えてる? 今は99になってる」
「……本当ですね」
「0時を過ぎると変化するみたい」
「ってことは後99日しか残されていないってことですか?」
「たぶん」

は指輪を見た後イルミの顔を見つめた。
表情は動かず、何を考えているのか読めなかった。
あと99日の間になんとかしてイルミの指から指輪を外さないと自分の命が、人生が終わるかもしれない。
でもそれにはキスをしなくてはならない。
どうしたものかと考えているとイルミは口を開いた。

「試してみようか」
「な、なんですか突然」
「さっさとこの指輪を外すために試そうって言ってるんだよ」
「え……?」
「カウントも始まってるんだからもう後には引けない状況にオレ達は居るわけ」

背中にヒヤリとした汗が流れた気がした。
まさか、と思った。
目を点にしてイルミを見つめると、ゆっくりと視線が交わる。
危険な雰囲気には身構えた。

「イ、イルミさん……?」
「オレは死ぬわけにはいかないし、も死にたくないだろ。だったら手取り早く」

イルミが持っていたカップをテーブルに置くと、やけにその音が大きく聞こえた。
その音に驚き、視線を逸らすと冷たい手が顎を掴み、上を無理やり向かされる。
逃げられない、そう思った。
本気なのかどうかわからない黒い瞳に反射して映るの表情は怯えている。

「さっさとそのキスってやつを試してみようと思うんだ」
「だ、駄目ですよ……昨日言った……じゃないですか」
「うん。確認が取れてから強行的な手段に出る。で、がその相手って確認は取れた。なら試しても良いよね?」

後ずさるを追いかけるようにイルミが近づき、片方の伸びた手がからカップを優しく奪い取る。
そっちに視線が移った時だった。
背筋が凍るような冷たい声が耳元で発せられる。

「恋人の存在が気になる?」
「と、当然じゃないですか!」
「別にそれ以上のことをしようって言ってるわけじゃない。お互い生きる為だと思えば良い」
「イ、イルミさん……! 待って! 話し合いましょう! ね?」
「すぐ済むから」
「イルミさっ……!」

近づく顔に思わず硬く目を瞑り、唇を閉ざした。
不意に触れた唇は冷たく、肩が跳ねた。
でも思ったより乱暴ではなく、優しく触れてくるそれがチュっと音を立てて離れる。

「ちょ、やっ……め」

言葉を塞ぐようにまた触れた。
優しく啄ばまれる唇に体が強張り、咄嗟にイルミの服を握りしめた。

「イル……ミさん!」

口を開いてしまったのが悪かったのか。
すぐに入り込んできた生暖かいそれがの舌を絡め取る。
優しく舌を絡め取られ、くぐもった声と粘着音がテレビの音と混ざり合う音は聞いていて恥ずかしくなる。
散々口内を犯され、解放された頃にはの身体からは力が抜け、ソファに倒れこんだ。

「うーん。ダメみたい。メモにも書いてあったようにからじゃないとダメなのかな?」
「最……低……」
「よし。今度はからしてみてよ」

いつもの顔で「試す価値はあるはずだから」と言うイルミをは恨みを含んだ目で睨む。
イルミはゆっくりと体を起こし、指輪を見つめた後、顔を赤くしながら睨むへと視線を戻した。

「そういう……問題……ですか……」
「メモには”運命の人からのキス”ってあったわけだし。試してみないと分からないだろ?」
「意味……分かんない……」

はゆっくりと体を起こし、唇を袖で拭いながら一言告げた。

「って……」
「ん?」
「出てって……ください」
「どうして?」
「良いから! 出てってください!」

怒気を含んだ瞳からは大粒の涙が今にもこぼれ落ちそうだった。


2019.11.24 UP
2020.06.02 加筆修正
2021.07.22 加筆修正