パラダイムシフト・ラブ

12

深夜の3時を回ってもは眠れずにいた。
布団を頭まで被り、目を閉じても一向に眠れる気がしなかった。
そっと布団から顔を出し、誰も居ない室内を見渡した。
ソファには無残にも置かれた洋服と、飲みかけのカップが一つ。
イルミはに追い出される時、何も言わず、に言われた通りにイルミはあっさりと家を出て行ったのだ。

ゆっくりと体を起こし、一人で居るのを改めて再確認した。
部屋の電気をつけて時計を見るとイルミを追い出してから約3時間が経っていた。
頭の中にあるのはイルミのことばかりで重たいため息が漏れる。
あんな最低なことをされたにも関わらず、身を案じているのは馬鹿げていると頭を掻いた。

行く宛てもなく、土地勘も無いイルミは何処へ行こうと言うのか。
そもそも運命の相手は私ではなかったのか。
その相手と離れたら、99日後にはお互いが死んでしまう。
それで良いと言うのだろうか。
の中でイルミの行いが許せるものではなかったが、本当に死んでしまうかもしれない恐怖の方が大きかった。
ほんの少し様子を見に行くだけで、他にそれ以外の理由はないと自分に言い聞かせてはゆっくりと地に足を下ろし、クローゼットの中からカーディガンを引っ張り出してそれを羽織った。
いつも履いてるパンプスはストラップが有り、止めるのが面倒臭く、急いでいたは普通のパンプスを取り出して強引に足を突っ込むと急いで扉を開けた。

静まり返った住宅街は昼の顔とはまた違った別の顔を持っている。
人通りもそれなりにある昼間と違って深夜は静まり返り、少し不気味だ。
カーディガンの前を抑えながらマンション周辺を見て回るがそれらしき人物は見当たらなかった。
行くとすれば、駅からマンションまでの道のりかショッピングセンターからの帰り道かもしれないと思ったが、ふとイルミが何気なく言った言葉を思い出した。
もし、本当にそうなのだとすれば、あそこしかないとは思った。

が住んでいる地域は住宅街ではあるが、夜中に女性が一人で歩き回って良い場所ではあまりない。
少し離れた所に公園があるのを思い出して、一か八かでそこへ向かった。
しかしその公園は浮浪者や柄の悪い連中が屯ろしている事で有名で、暗黙の了解として夜中に近寄ってはいけない、と言う認識でいた。
それでも、一つの可能性を信じ、気は乗らなかったが少し様子を見るだけという気持ちでは公園へと向かった。

「……居なさそう?」

少し離れた場所から公園を見ると柄の悪そうな男が3人見えた。
足元とベンチに置かれた缶は恐らく酒であろう。
溜息を吐きながら引き返そうとした時、不自然に盛り上がっている砂場が目に入った。
まさかあの中に、とは思ったがどうにも確認せずにはいられなかったはなるべく男達の視界に入らないよう、恐る恐る公園へと近づき、ゆっくりと砂場へと近寄った。
しゃがみこんで盛り上がっている山に手を伸ばそうとした時だった。

「あれー? お姉さーん? 何してんのー?」

ビクリと体が跳ね、声がした方向へと顔を向けると3人の男達が缶を片手に手を振っていた。
咄嗟に立ち上がり、上ずった声で「な、何でもないです!」と告げると男達は一瞬顔を見合わせた後立ち上がった。
本能的に危ないと思ったものの、不自然な山を作る砂場から離れるのも惜しい気がした。
ケタケタと笑いながら走ってきた一人の男が「探し物ー?」と聞いてきた。

「い、いえ、えっと私は……」
「お姉さん一人?」
「えっと、違うんですけど」
「でも一人じゃん。こんな時間に何してんの?」

後から近づいてくる男達に後ずさりすると砂場の縁にパンプスのかかとが当たり、後ろに尻餅をついた。
頭上で聞こえる下品な笑い声が煩かった。

「お姉さん転んじゃったよ!」
「お前が驚かすからだろ」
「怪我してるかもしれねーから見てみようぜ」
「い、いや……やめてください」

伸びてくる手が気持ち悪くて震えた。
盛り上がってる山に目を向けてもピクリとも動かない。
もしかしたら山だけに山が外れたのだろうか、なんて呑気に考えてる時、一人の男がの足に触れた。

「キャッ!」

慌てて足を引っ込めると男達はいらやしい笑みを浮かべながら笑っている。
見ず知らずの男達に恐怖を覚え、逃げられないでいると少しだけ山が動いた気がした。

「お姉さん美人さんだね! それパジャマ? ってことは下はノーブラ?」
「こんな所に一人で来たらわるーいお兄さん達に食べられちゃうよ?」
「バーカそれを望んで来たかもしれねーじゃん」
「や、やめて……くださ……い」

一人の男が面白可笑しくの真似をし、一人の男がの腕を掴んで無理やり立たせた。
気持ち悪い視線が身体中を這い、声が震えて力が入らない。

「どうして……」
「あぁ?」
「そこに……居るんじゃないの……?」
「どうしたのお姉さん? 何かあんの?」
「は、離して!」
「おい、暴れんじゃねぇ!」

腕を振り払おうと無我夢中だった。
悲鳴をあげても誰も来てくれない。
誰も助けてくれない。
それでも可能性があるならと思い、は無我夢中で名前を叫んだ。

「イルミさん!」
「おい! 馬鹿、煩せぇ!」
「てめぇこのアマ!」
「いや! 離して! イルミさん! 助け……!」

男が振り上げた手がの頬に当たった。
咄嗟に走った痛みに言葉が出ず、唇を噛んでしまい口内に広がる鉄の味に頭が真っ白になった時だった。
足元で何かが動き、突如砂の山が崩れ落ちる。
そこから白い腕が一本、そしてもう一本出てきて一同の息が止まった。

「お、おい……何だあれ……」

細い指が砂を掴むように曲げられ、ズズズと地鳴りのようなものと共に土が盛り上がる。
サラサラと落ちるそこから見えた黒い頭、白い顔、ゆっくりと開かれた大きな黒い瞳がを見上げる。
突然現れた人間に男達は小さな悲鳴をあげながら後ずさった。
砂を振り払うかのように出てきた男は左右に小さく頭を振ると首を傾げた。

「煩いなぁ」
「イ、イルミ……さん……」
「あれ? やぁ。数時間ぶりだね。何してるの」
「イ、イルミさん! 助けて!」
「この男達は? 知り合い?」
「ち、ちがっ……!」

顔を出すだけで出てこようとしないイルミには小さく「助けて」と求める。
それでもイルミは出てこようとはせず、周りを見渡してから目だけで男3人を見上げる。
突然出てきた人間に相当驚いているのか男達は引け腰で、イルミを指差しながら何やら文句を垂れている。

「な、何なんだよテメェ!」
「こ、こいつい、今! 砂から! オイ! 女だけ連れて逃げるぞ!」
「あ、あぁ! オラ! さっさと走れ!」
「痛いっ! イ、イルミさん!」

の腕を掴んでいた男は咄嗟にを引き寄せ、走り出した。
その様子にほんの少しだけ、イルミの目が細まる。
イルミの頭上に影が落ち、見上げると男2人が見下ろしていた。

「な、何なんだよオメェ!」
「ブッコロしてやる!」
「止めといた方が良いと思うけど」
「うるせぇ!」
「一応プロとして有名なんだけど、ってこっちの世界じゃ無名と一緒か」

思い切り振り上げられた足がイルミの頭めがけて振り下ろされるがそれが当たることはなく、イルミは簡単に足首を掴んだ。
手の甲に血管が浮き出るほど込められた力は男の顔を悲痛の表情へと変えさせた。

「先に手を出したのはそっちだからね」 「痛ぇ! 痛ぇよ!! やめっ! やめてくれ! 頼む!」
男はその場に崩れ、逃げ腰になっている男に助けを求めるが異常な光景に固まっていた。
掴んでいた場所から鈍い音がしたと同時に男の口から断末魔が飛び出す。
仲間の男は一目散にその場から逃げ出し、イルミは簡単に砂の中から出ての腕を引っ張り無理やり歩かせようとしている男を確認すると、服についた砂を払い落としながらズボンのポケットから一本の針を取り出して歩き出した。

*****

は男に無理やり引っ張られながら歩くが、何度も転びそうになった。

「痛いっ! は、離してください!」
「ウルセェ! 何なんだよアイツ! オラ早くしろよ!」
「イヤ……!」

履き慣れないパンプスが脱げるとはバランスを崩して転んだ。
脱げたパンプスを無我夢中で掴むと、伸びる男の手を泣きながらそれで叩いた。

「やめて! 来ないで! 来ないでよ!」
「イデェっ! クッソ!」

男の口から悲鳴が漏れ、男は足を振り上げた。
思い切り手を蹴られ、折角手に入れた武器は手から離れてしまい絶望が目の前に広がる。
もう駄目だと思い、迫る男に唇を噛み締めながら硬く目を瞑ると耳に入ってきたのは違う男の声だった。

「動くな」

声がした方を振り返ると、黒い髪の毛を翻すイルミがそこに居た。
表情は冷たく、家に居た時の雰囲気とは違う冷たさを宿した瞳には震えた。
言葉には言い表せない威圧感に息が出来なくなり、それはの手を蹴り上げた男も同じだった。
イルミはの後ろに立つとゆっくりと右腕を上げて男を指差した。

に触れたら戦闘開始と見なしてお前を殺す」
「な、なんだよ……なんだよお前!」
「何ってただのプロだよ」
「イ、イルミさん! ダメ!」

禍々しい雰囲気を纏うイルミには目を見開き、咄嗟にイルミのズボンにしがみついた。
いくら呼んでも、いくらズボンの裾を引っ張ってもイルミはを見ない。
はなんとかしないと本当にイルミは男を殺してしまうと思った。

「イルミさん聞いて! もうやめて! 私、大丈夫だから!」
「オレが居なかったらはこいつとこいつの仲間にヤられてたけどそれでも良かったってこと?」
「ち、違う、けど……でも殺すのは……ダメですよ!」
「煩い」

冷たい声と冷たい視線がに向けられた。
発言を許さない黒い目には言葉を飲み込み、唇を震わせた。
イルミはゆっくりとしゃがむと言葉を詰まらせているの頭を優しく抱いて手刀を首に当てた。
一瞬の強烈な痛みが首筋に走り、一気に眠気が押し寄せる。
最後に記憶があるのは耳元で言われた「ちょっと寝てて」の言葉だった。
力を失ったの体はイルミに凭れ掛かり、まるで人形のように動かなくなった。

「さて、と」

イルミはの体を優しく抱きかかえながら男に目をやる。
男は隠してた小さなナイフを持ち、イルミに向けながら「ざけんじゃねぇ!」と吠える。
興が削がれたのかイルミはため息を小さくつきながらを抱え直した。

「別にが居るからってハンデにもならないけど、そんなんじゃオレは倒せないよ?」
「う、うおぁあああ!!!」

引くに引けなくなったのか男はナイフを握りしめてイルミへと向かって走る。
「バカな男だなぁ」と小さくと呟きながらズボンのポケットに忍ばせていた赤黒い装飾がついた針に触れる。
その時だった。
脳裏に怯えながら殺しは駄目だと訴えるの顔が思い浮かび、一瞬だけ判断が鈍った。
間合いを詰められたイルミはすぐにポケットから手を引き抜き、拳を男の頬に当てた。
白い歯が数本飛び散り、血が地面に飛び散る。
その場で崩れた男を見下ろしながら一言「次に何かしたら本当に殺すからね」と言い残して公園を後にした。


2019.11.27 UP
2020.06.02 加筆修正
2021.07.22 加筆修正