パラダイムシフト・ラブ

26

なかなか寝付けず、その夜は自分が寝ていたのか起きているのかも分からなかった。
そんな不思議な倦怠感を身体に纏いながらは朝の準備を始めた。
あれからあまり目を見ることが出来ず、これまでと比べると朝の会話は少なめになってしまった。

「それじゃ、行ってきますね」
「うん」
「今日は直帰になりそうなので、先週よりかは早く帰れると思います」
「分かった。いってらっしゃい」
「戸締りだけしっかりお願いしますね」
「分かってるから」

癖になったのか手をヒラヒラと振ってみせるが相変わらずイルミからは返ってこない。
なんだか足が重く感じたがは気にせずエレベーターホールへと向かった。

いつもの道、いつもと変わらない街並み。
しかし、少しずつ自分の気持ちに変化が訪れているのを感じていた。
本当にこのままで良いのだろうか。
そんな思いを胸にぼんやりとした頭で横断歩道が青になるのを待っていた。

*****

此処最近自席で昼食を食べていたことが多かったこともあり、から休憩スペースで昼食を食べようと誘われた時は嬉しかった。
二人でコンビニに向かい、無難なサンドイッチに手を伸ばす横でが新商品に目を輝かせている。
他愛ない話しをしながら休憩スペースへと戻り、お互い歳に似合わず”よっこいしょ”と言ってしまい笑った。

「で、どうなの? 新イケメン外人彼氏とは」
「だから違うってば」
「またまたぁ。なんか朝から悩める乙女って顔してるよー?」
「悩める……ねぇ」
「何をそんなに悩んでるのよ。ねぇ、言っちゃいなよ?」

その顔がいつものからかうようなものではなく、真剣な色を帯びていた。
もちろん本当の事は言えないが、少なくとも今の状態を心配してくれている友人であり同僚でもあるには少しばかり話しても良いかもしれないと感じたはゆっくりと口を開いた。

「正直に言うと、上手くいってないから比べちゃって、気になってるだけだと思う」
「今付き合ってどれくらいだっけ?」
「うーん……1年半ぐらいかな」
「なんかあったの?」
「半年ぐらい前からあんまり会わなくなったし、なんて言うかワンパターンっていうか……」
「マンネリし始めたところでイケメン君と出会ったわけね」

は新商品であるサンドイッチを頬張りながら考え込む。
そんな姿に彼氏ではないと否定すると「でも気になり始めてるわけでしょ?」と痛い所を突いてくる。
流石に男性と同じ屋根の下で過ごせば意識しないわけがないが、彼氏がいながら他の人を気になってしまうことをは気にしていた。
一線は超えていないものの、生き残る術を探すために唇は重ねる関係というのはいかがなものなのだろうか。
賑やかなスペースなはずが、の顔は少し曇っていた。
なかなか食が進まないに対しては袋の中から一つ、プリンを取り出しての前に置く。

「人生一度きりだよ? 出会いもあれば別れもあるし、そんなの一人身でも彼氏持ちでもあることじゃん。一人に固執しすぎるのは視野を狭くするだけだと思わない?」
「だからって彼氏がいるのに他の人が気になるってやっぱりマズイと思う。しかも一緒に暮らし始めてまだ1週間とかそんなレベルだよ?」
「時間なんて後から付いてくるって。それに大事にしてくれる人を選ぶのが一番だよ」
「……それがいつかは離れる時が来るかも知れない人だったとしても?」
「そんときゃ一緒についていけば良いじゃん。寿退社バンザーイ!」

は両手を広げて万歳をして見せる。
本当はそんな簡単な問題ではない。
相手は異国どころか現在の世界地図にはない国から来ているとなると、寿退社は現実的ではない。
は「経済的に無理だから」と笑ってごまかした。

*****

その日の夜、家計簿をつけているとため息が漏れた。
お皿洗いを終えたイルミが「何してるの?」と聞いてくる。
なんとなく、心配をかけたくなくてすぐにノートを閉じてイルミに振り返った。
マグカップを差し出されてそれを受け取るとイルミは定位置となっているソファに腰掛けた。

「何でも無いですよ。どうしました?」
「今度さ、あれ作ってよ」
「あれ?」
「この前の店で出たやつ。肉の塊を揚げたやつ」
「からあげ……ですか?」
「そうそれ」
「……良いですよ」

突然な話題には思わず頷いて見せた。
思い出せばイルミは店での料理には手をつけず、黙々とカクテルを飲んでいたのを思い出した。
マスターから菜食主義なのか問われた時にイルミが返した言葉にはドキドキした。
あの時、どうしてイルミはあんな答えを出したのか。
ふつふつと好奇心が芽生え、思わず気がずにはいられなかった。

「なんでイルミさんは食べなかったんですか?」
「だからの料理しか食べないって言ったじゃん。聞いてなかったの?」
「き、聞いてましたけど……こっちでは毒とか死に至るようなことはないですよ」
「別にオレは毒では死なないけど、が作った方が美味しそうに見えるから。これで良い?」

どうしてこの男はこうもスラっと恥ずかしいことを言えるのだろうか。
涼しい顔でコーヒーを飲みながらバラエティー番組を見ているイルミの計算なのか、本音なのか。
見慣れているはずの姿がその日は直視出来なかった。


2020.03.07 UP
2020.06.04 加筆修正
2021.07.23 加筆修正