パラダイムシフト・ラブ

33

洗顔と歯磨きを済ませた後、はココアを入れたカップを持ちながらイルミの隣に腰掛けた。
イルミの指にはまった指輪はうんともすんとも言わない。
は甘い匂いが立ち上るココアを口の中に招き入れた。

「思ったんですけど……」

静まり返る部屋ではイルミを見ながら遠慮がちに口を開いた。

「0になると死ぬっていうのは……違うんじゃないですか?」
「どうして」
「そもそもその指輪って運命の人と出会う為の物ですよね? 指輪の数字が命のリミットだったら……イルミさんがこちらに来た時からカウントって始まるんじゃないですか?」
「……確かに」

意外にも聞き入れてくれた意見に対し、は続けた。

「そ、それに……今までは……この約2週間は一緒に暮らしてきましたが……か、可能性ですよ!? 可能性ですが、離れようとすると……その……」
「カウントが止まるって言いたいの?」
「そ、そう……です……」

我ながら子供じみてるとは思ったが、イルミはの話を聞きながら何かを考えているようだった。
となると、指輪の数字は二人に関して何らかの意味がある数字で、これが0になればもしかしたらイルミは向こうの世界に帰れるかもしれない。
はそう説明するとイルミは指輪を見つめた。

「ただ、この数字が何を意味しているのかが、問題ですけど……とりあえず指輪の数字は日数を指している訳では無いって事ですよね」
「うーん。なら何だろう。ならそもそも運命の人って何?」
「分かりません……けど、とりあえず今分かることは、指輪の数字が日付でないなら”100日以内に指輪が外れないと二人とも死ぬ”ってルールは嘘になりませんか?」
「ってことはが死んだらオレも死ぬってのも嘘?」
「かも、しれませんよね?」
「でも本当かもしれない」

真剣な顔をして言うイルミには顔を引きつらせた。
は困惑の表情を浮かべながら「本当にこの数字は何を表してるんでしょうか」と問う。
今までは毎日のように数字が変化していたのに今日はその変化は見られなかった。
何が原因なのか。
もしカウントが0になる事がイルミが元の世界に帰れる条件なのであれば何が必要なのか。
それがには分からなかった。

「今までは順調にカウントが進んでいたのに……なんで今日は……」
「もしかして、オレが出て行く事に関してが承諾したから、とか?」
「へ……?」
「確かにあの時はルールを本当に信じて良いのかわからなかったし、本当はじゃないかもって思ったけどさ。いざ出て行こうとするとカウントは止まったわけだろ? あれは本心?」
「えっと……ま、まぁ……その……」
「オレに出て行って欲しい?」

心臓がドクンと大きく鼓動した気がした。
真っ直ぐに見つめられる瞳を見ていると嘘が言えなかった。
急に体が熱くなり、体内に流れる血流が騒ぎ出したかのようにむず痒くなってきた。
本当はどうなんだろう。

「わ、私は……」

何処を見て良いのか分からずつい視線が泳ぐ。
が答えるまでイルミは決して逃がしてくれないだろう。
そんな雰囲気に息苦しさを感じた。
本当なら出て行って欲しくない。
他愛もない話や、知らない世界の話を聞くのは興味深く、何より楽しかった。
仕事で遅くなっても待っていてくれるところや一生懸命、かは定かではないが慣れない家事を手伝ってくれる事。
少々理解し難い職業に就ているが、今の所誰も殺していない所を見ると必ずしも”誰かを殺さずにはいられない”という人種ではないことは理解していた。
噛み締めた唇が少し痛かった。

「い、居て……欲しい……です」

喉から絞りだすように出た言葉は少し震えていた。
言ってしまった手前顔を見ることが出来ず、は思わず俯いた。
硬く目を閉じると頭上からイルミの声が降ってくる。

「誰に?」
「えぇ!?」

思わず顔を上げてしまった。
能面みたいに動かない表情が少し柔らかく見えた。

「誰に居て欲しいの?」
「だ、誰って! い、い、今の流れで分かりますよね!?」
「ちゃんと言ってくれないと分からない」
「ちゃんとも何もなくないですか?!」
は誰に居て欲しいの?」

からかわれてる気がしたは距離を取ろうとその場から離れようとしたが出来なかった。
すぐに腕を掴まれ、引き寄せられたことでイルミの腕の中に収まってしまう。
突然の事で反応できず、言葉は出てこないが口がパクパクと動く。
顔に身体中の血液が集まってきているような気がした。

「ちょっ、イルミさん!」
「誰に居て欲しいかちゃんと言うまで離さない」
「冗談は……止めてください! 私こういうの、な、慣れてないんです!」
「なら早く言った方が良いよ」
「あぁ、えぇっと……」

もうヤケクソだった。
背中に回された手に肩が跳ねる。
イルミの胸に額を押し付け、大きく叫んだ。

「あぁあもう! イ、イルミさんに! い、い、い、居て欲しいです!」
「叫ばれるとは思わなかったなぁ」

少しトーンが高くなったイルミの声にはゆっくりと額を離した。
言い慣れない言葉を言ったからか、それとも少しずつ一人の男性として意識し始めているからだろうか。
間違いなく赤くなっている顔を見られたくなくて、解放されてもは俯いたままだった。

「でもさ、には恋人が居るだろ? オレは此処に居ても良いの? オレが居たら遠慮するじゃん」
「……そ、それは……近々別れようと、思ってます」
「へぇ。何で?」
「もともとすれ違いでしたし、か、体だけ……って感じだったんで……」

言い終わった後で何だか虚しくなってしまった。
何が悲しくてこんな事をカミングアウトしなくてはならないのか。
イルミも「体かぁ」としんみり繰り返す。
体を丸めたまま動かないを見兼ねてイルミはの頭にぽんと片手をおいた。

「とりあえず出て行くのは止めるから」
「は、はい……」
「後さ」
「……何ですか?」
「お腹空いたんだけど」

ムードぶち壊しなイルミの発言には思わず笑った。


2020.06.06 UP
2021.07.23 加筆修正