パラダイムシフト・ラブ

40

自分の気持ちに少しずつ気づき始めながら寝たその日、仕事が休みの土曜日の朝は急に訪れた。

起きて」
「んー……」

身をよじりながらは頭まで布団を被った。

「起きないとまた引っ張るよ」
「んん……」
「じゃ遠慮なく」

布団の中でもぞもぞしているを見ながらイルミは布団を剥ぎ取り、すやすやと寝ているの髪の毛を容赦なく掴み、引っ張った。
人生何度目かの痛みに目を覚ましたは無表情のイルミを見上げながら頭皮をさすった。

「痛い……ですよ……!」
「今回はちゃんと引っ張るからって言ったよ」
「も、もう少し優しく……いや、良いです。で、どうしたんですか……」

目を擦りながらイルミの行動の意味を問うと、イルミはに指輪がはまる手を見せた。
また数字のカウントが止まったのかと思い一瞬ヒヤヒヤしたが、その数字はの予想とは反対の動きをしていた。
二人で確認し合うのが日課になっており、昨日は79だったのを思い出すと本来であれば今日は78になっているはずだった。

「74……? だって昨日は……」
「79。だから本来なら78なんだけど、何でだろう?」
「な、何でって……昨日もいつも通り……でしたよね?」
「うん」

何か特別な事をした記憶は二人には無い。
考えるようにイルミはソファに座り、も布団を退けてベッドに腰掛けて昨日の行動を振り返ってみたが、いつも通りの過ごし方で決定打が見つからない。
しかし確実に指輪には何かが起こっているのは確かで、それを見過ごすわけにはいかない。
はイレギュラーであった指輪が止まった時の事を思い出してみた。
あの時は”仕方ない”という気持ちを優先してイルミが家を出て行く事を承諾したが、実際は本心ではなかった。
その時、唐突にまさか、と思った。
は盗み見るようにイルミを見ながら「思い当たる節はありますか?」と聞いてみることにした。

「何も無いよ。あったらを起こしてないし」
「……ですよね」

が見ている限りではイルミの生活態度は出会った時から今まで変わらず、至って普通だ。
もし、この指輪が何らかの環境の変化で反応しているとすれば、消去法で行けばしかいない。
日に日にイルミとの生活が楽しいと感じているのは事実で、もし一緒に居られる可能性があるのであれば一緒に居たいと思ってる部分もある。
もし本当に、この指輪が”好意”に対して反応しているのであれば。
そう考えると体が茹ってきた。
もしかしたらもしかするかもしれない事実をイルミに伝えることは恥ずかしくて出来なかった。

「……顔赤いよ?」
「ね、寝起きだからです!」
「熱?」
「ち、違います!」

はベッドから立ち上がり、逃げるように洗面台へと向かった。
ドアを閉め、洗面台に手をつきながら鏡に映る自分の顔を見ると確かに赤かった。
一緒に居て楽しいし、色んな発見があり、自分の生活を楽しくしてくれるイルミには感謝していた。
夜中に男に絡まれていたところを助けてくれたのも有り難かったし、しっかりと言いつけ通りに家事を手伝ってくれるのも嬉しかった。
表情は能面のように動かない時がほとんどではあるが、よくよく観察して見ていると微妙に変化する部分もあって毎日が発見の連続だった。
言葉は決して暖かくはないが、泣いてしまった時には慰めようともしてくれた。
そして、挙げ句の果てには一緒に元の世界にくれば歓迎し、屋敷に住めば退屈しないと言い出す始末。
ふつふつと感じていた自分の感情の変化には気がついていたが、認めるのが怖かった。
相手は指輪の数字が0になったら帰ってしまうと自分に言い聞かせていた部分があり、自然と好きになってはいけないと思っていた。
相手は自分だけが帰ることを望んでいると思っていたが、そうでない事実に想いが加速するのを昨日の夜、寝ている時に感じた。
認めるのは苦しかったが、認めてしまえばなんてことない。
記憶がイルミとの日常を次々と呼び起こし、は恥ずかしくて今にも叫びたい気持ちになった。

洗面所に籠りきりでは怪しまれると感じたはとっさに蛇口を捻り、勢いよく出た水で顔を洗った。
もし、自分の気持ちに指輪が反応しているのであれば、帰って欲しくないと願うとどうなるのだろうか。
顔から滴る雫を見つめると、はっと気がついた。
もしかしたら出ていって欲しくないと思った感情が作用して、指輪の反応が止まってとすれば、すとんと落ち着いてた。
自分の気持ちを認めたから、指輪のカウントが進んだとしたら、あの数字を早めるのも止めるのも次第なのではないだろうかという一つの仮説がの中で生まれた。

「でも、帰らないと……困るのはイルミさんだもんね……」

目の前から消えて欲しくはないが、相手の事を思えば元の世界に帰るのがベストである。
でもその時、は一緒に行けるのか。
行けるとして、その決断が本当に出来るのだろうか。
また一つ悩み事が増え、顔から赤みが引いたところでは脱衣所から出た。


2020.06.19 UP
2021.07.24 加筆修正