パラダイムシフト・ラブ

45

の日課はイルミに起こされ、二人で指輪の数字を確認する事から始まる。
昨日は1つだけカウントが進んだにも関わらず今日は今までで一番カウントが進んだ。

「嘘……じゃないですよね」
「嘘じゃないよ」

本来1つカウントが進むのであれば72のはずだが、今日は63になっていた。
デートをしたり、イルミに対してドキドキしたことが原因なのであればの中で立てた仮説が徐々に真実味を増してくる。

「うーん。何でだろう」
「わ、分かりませんけど……あともう少しで半分なわけですね」
「うん。このまま順調に進めば来月ぐらいには帰れるって事じゃない?」
「そう……なりますね」

イルミは当然の仮説を知っているわけではない。
何かを考えながらイルミはキッチンへと向かい、電気ポットにスイッチを入れた。
もその後ろ姿を追いかけるようにベッドから降りた。

「あ、明日も……これぐらい進むんでしょうか?」
「どうかな。昨日は1だったわけだし」
「……そう、ですよね」

自分の気持ちがイルミに近づくたびにカウントは進んでいくとすればなんとなく寂しさを覚えた。
進む仮説を伝えたらイルミはどんな反応をするだろうか。
パジャマの裾をいじっているとイルミはに視線を向けて「遅れるよ」と一言告げた。
はその声に顔を上げて、慌てて時計を見た。

*****

が歯磨きや、着替えを行なっている間イルミは電気ポットが湧くのを待っていた。
すると突然脱衣所からの叫び声が聞こえた。

「どうしたの」

イルミがドア越しに声をかけると中からくぐもった声で「買い忘れてました!」とだけ聞き取れ、脱衣所から出てきたはため息をつきながら自室へと戻った。
イルミはその後を追いかけ、壁に寄りかかりながら「何を」と問う。

「コンタクトレンズです」

明らかにしょんぼりしているの背中を見つめがならイルミは小さく「は?」と零す。
肩を落としながらは化粧ポーチを取り出し、いつも通りメイクをし始める傍には見慣れない物があった。

は目が悪いの?」
「……全く見えないわけじゃないんですけど、普通の人と比べたら少し悪い程度ですね」
「ふーん。悪いのは頭だけじゃなったんだね」

は目を細めながらイルミに振り返ると、キッチンの方からカチっと鳴る音がした。
その音を聞いてイルミはまたキッチンへと戻り、棚からカップを二つ取り出してスティックコーヒーの封を切っていた。
は少しだけ頬を膨らませながら「頭以外って何よ、頭意外って!」と呟いているとキッチンから戻ってきたイルミはソファに座る。
鏡の隣に愛用のマグカップを静かに置くとイルミはの顔を覗き込むように首を傾げながらじっと見つめる。

「見られてると気になります」
「変な顔しながらメイクしてるのがなんか面白くて」
「その変な顔にした張本人は誰ですか?」
「え? オレなの?」
「自分で考えてください」

はアイシャドウの蓋を閉めて次はアイライナーに手を伸ばした。
興味深そうに見ているイルミを無視して漆黒のアイラインを真っ直ぐに一本引いた。
女性にとっては当たり前の行動だが、男性からしてみれば不思議なものに映るのかもしれないと思ったは少し恥ずかしくなった。

「その眼鏡、のだったんだ」
「滅多にかけませんけどね」
「なんで?」
「な、なんでって……似合わないし……」
「そうなの?」

イルミはコーヒーを飲みながら「早く掛けてみてよ」と言う。
そう言われると何だか気恥ずかしくては躊躇っていたが、有無を言わさない瞳を見ているとそれに従うしかなかった。
久しぶりにかける眼鏡に違和感を感じながら耳元の髪の毛を直し、「……似合いませんよね」とイルミを見る。
少しぼやけていた視界がクリアになり興味深そうに見ているイルミが見えた。

「別に悪いとは思わないけど」
「え。そ、そうですか?」
「うん。なんかいつもと違うけど、良いんじゃない?」
「あ、ありがとうございます……」

内心嬉しくては俯いた。
中学生の頃から掛け始めた眼鏡には多少のコンプレックスがあった。
眼鏡というだけで周りからは勉強が出来ると思われたり、引っ込み思案な性格もあって学級員を押し付けられたり、好きだった男の子のグループからは冗談で”眼鏡委員長”と呼ばれて揶揄われていた過去を思うと、イルミの言葉には少しだけ救われた。

鞄をクローゼットから取り出し、時計を見てからは立ち上がった。
イルミが玄関まで見送るのもいつものことで、はパンプスに足を通す。

「今日は会議があるので少し遅いかもです」

履きながら顔を上げてイルミを見上げる。
いつもならすぐ”分かった”と返事があるのに今日は黙ってを見ているだけで思わずは「イルミさん?」と首をかしげるとイルミがハっと口を開けた。

「どうしました?」
「……良いと思う」
「は? 何がですか?」
「眼鏡」
「……それは、どうも」

はイルミから視線を外し、早々に「いってきます」と言ってドアを開けた。
帰りにコンタクトレンズを買って帰るつもりだったが、イルミの反応を見て購入はまだ先でも良いかなと思ってしまう自分の単純さに思わず笑ってしまった。


2020.07.14 UP
2021.07.26 加筆修正