パラダイムシフト・ラブ

48

少し強そうな大人な色をしたカクテルが宮前の前に置かれ、マスターは「はいつものだろ?」と言いながらの前にカルーアミルクを置いた。
二人はグラスを合わせ、一口含んだ。
いつもよりアルコールの味が強い気がしたがマスターに限ってそんな事は無いだろうと気にせずにはいつもの調子で飲んだ。

「で、の話っていうのは俺の愛を確かめたいって事で良いのかな?」

宮前の言葉には少しだけ下を見た。
本当はそうじゃない。
思っていた言葉が出てこない事に歯痒さを感じながらは「違う」とだけ答えた。

「私は……」
「うん」
「……別れたいの」

言い切った。
は唇を噛み締め、目をぐっと瞑ると、宮前は少し間を置いてから「何で?」と聞いた。

「寂しい思いをしたから?」
「ちが……くて、そうじゃなくて……」
「なら何で? 納得出来る理由を教えてよ」

宮前はカクテルを一気に飲んだ。
ことりと置かれた空のグラスはまるで相手は次の言葉を欲しているかのように見えた。
は今までの想いを少しずつ話した。

「最初は本当に楽しかった……毎日が輝いていた」
「なら良いじゃん。また輝かせようよ」
「……宮前さん、私に隠してる事があるでしょ」
「隠してること? 何それ? 隠し事をしているのはの方だろ?」
「……私、聞いちゃったの」

は言葉を選ぶように深呼吸をすると、もう一度グラスに口をつけた。
アルコールを武器にするのは卑怯な気がしたが、飲めば言える気がしたは真っ直ぐに宮前を見た。

「決算発表の後、飲み会があったでしょ」
「うん。それが?」
「……ウチのフロアの人と、何かあったんじゃないの?」
「何かって何?」
「そ、それは……」

は口を噤んだ。
こんな事を自分の口から言う日が来るとは思わなかった。

「新人の子が、自慢気に話してたよ。営業のエースの宮前さんと……ホテルで……って。たまたま聞いちゃったの」
「……何それ」
「う、浮気……されてるのかなって不安だった。それで……だんだん信じられなくて、でも、私の事は好きって……このままの関係で良いのかなって」
「別にそれが事実だったとして俺はを愛してるんだから何の問題があるのさ」

何を言い出すんだこの男は、とは思った。
否定せず、それを謝るわけでもない。
他の女性を抱いても本心は君にあるんだから許せという事なのだろうか。

「も、問題……あるよ」
「その子とはそれ以外何も無いから」
「そういう問題じゃ……だって、他の人と……」
「ならはどうなんだよ」

宮前は椅子の背もたれに深く座り、腕を組んだ。
先程までの目つきとは違ってその目は敵意を見せるものだった。
は口を閉じ、宮前の言葉を待った。

こそ、他の男に走ったんじゃないのか?」
「走ったって……別に……そんな」
「毎回毎回その男に電話とかしてるんだろどうせ。で、俺が邪魔だから別れろとか言われたんだろ」
「言われて、ない」
「騙されてるんだよその男に」

宮前は大きなため息をつきながら「」と呼ぶ。
その声にの身体が一瞬ビクリと揺れる。

「お前を愛してるのは俺だけだから」
「……そんな」
「営業部で落ちこぼれだったを助けたのは俺だよ? 今の地位も、俺が資料作成を頼んで、それが評価されたからある地位だろ?」
「た、確かに私は落ちこぼれだったけど……でも、それとこれとは……」
「悪い男に洗脳されてる。きっとの身体も」
「あの人はそんな人じゃないから!」

聞いていられなくては大きな声を出して宮前の言葉を遮った。

「そんな人じゃない! 違うから……宮前さんと全然違うから!」
……?」
「ちょっと変わってる人だけど、あの人は困ってる時に助けてくれる!」
「お、おい」

話しているとだんだんとは身体が熱くなってきたのを感じた。
頭の中や心で思っていた事が次々と口から溢れ出してきた。

「全体飲み会の時……私が絡まれてたのを宮前さんは見てた。けど……部下の人と楽しそうに話してた」
「待て待て。落ち着けって」
「その後何処に行ったの? 知ってるんだからね……女子のネットワーク、舐めないでよ!」
。とりあえずみ、水」
「うるっさい!」

宮前の手を払い除けたは残りのカルーアミルクを一気に飲み干した。
口元を手首でぬぐい、テーブルに手を付いて若干腰を浮かせながら身を乗り出した。

「殺すって言って殺さないし!」
「こ、殺す……?」
「ちゃんと、やめてくれるし!」
、なんの話を……」
「慣れない生活に、慣れようとしてる……と、思うし! でも、宮前さんが言うような悪い人じゃない! 悪い時もあるかもしれないけど、それは仕事だもん! あの人は……そういう家庭で生まれて、育って、仕方ないけど、家業だからってやってるんだもん! 仕事以外に汚いことはしない人だよ!」

徐々に涙が出そうになったは堪えながら話した。

「遊びで手を出す人だったら……私はとっくに犯されてる」
……そいつの事……もしかして」

バンっと机を叩いたはゆっくりと立ち上がり、涙を零しながら宮前を睨んだ。

「そうよ! 好きよ! 悪い?! 一番一緒に居たい人なの!」

そしてはマスターの方に振り返り「お代わりお願いします!」と叫んだ。

*****

「本当に強めにして良かったのかい?」とマスターがイルミに問うとイルミはゆっくり頷いた。
本日3杯目のカクテルに口をつけながら「あぁでもしないとは言わないでしょ」と言った。
最初はあまり聞こえてこなかった奥の席の会話だったが、客が居ない事と徐々にの声が大きくなるのが重なりカウンターまで聞こえるようになってきていた。

「……が言ってるのってイルミ君のこと?」
「さぁ? オレは何もしてないよ」
「んー。甘酸っぱいねぇ」

バンと机を叩く音がしてイルミは一瞬そちらに視線を向けた。
そして二人は耳を疑うような言葉を聞いた。

「そうよ! 好きよ! 悪い?! 一番一緒に居たい人なの!」

そしてが振り返り、マスターに空のグラスを見せながら「お代わりお願いします!」と叫んだ。
叫んだ後のはすとんと大人しく座り、左右に揺れだした。
そんなを見ながらマスターは「どうしようか」と困り顔をしながらイルミにアドバイスを求めた。
イルミは少し考えた後、「強めで」と答えた。
マスターが少し渋るような顔をするとイルミは「はオレが回収するから」と言ってグラスの中のカクテルを呷った。


2020.07.17 UP
2021.07.25 加筆修正