パラダイムシフト・ラブ

49

マスターは何事も無いように「お連れ様はどうされます?」とのカルーアミルクを運んだ時に伺うと「さっきと同じ物を」と頼んだ。
ごくごくと飲むの姿に宮前は若干引き気味になりながらも「本気で言ってるの?」とに問う。
グラスを置いたは目を赤くさせながら「そうですよ! そうですが何か?」と答えた。

「私は、もう、耐えられないです!」
「と、とりあえず落ち着いてくれ」
「簡単に他の人を抱くような人とは……もうお付き合いするのは、苦しいです!」
「で、でも本当に俺が愛してるのはで」
「口では何とでも言えるから!」
「うっ……」

の剣幕に顔を引き攣らせる宮前。
酒の勢いもあって感情がジェットコースターになっているは揺れながら俯き出し、ボソボソと話し出した。

「大体ね……ムードも無しに強引にしようってのが嫌いだったんですよ……」
「で、でももその気だった時も」
「そりゃそうですよ! 彼氏ですよ! 拒否なんて……出来ないよ……でも、痛かったし……したら終わりだし……」
「こ、此処でそんな話……他の人もほら、居るし、な?」
「最後にキスしたの……覚えてますか? 私は、覚えてないです……」

徐々に悔しさと自分の馬鹿さ加減が悔しく思えてきたは鼻を啜りながらペーパータオルで軽く目元を抑えた。
言いたいことがどんどん溢れ、それと同時にイルミへの想いも強くなり、寂しくなった。
本人には絶対に伝えられない苦しい感情が今怒涛に押し寄せてくる。

「私は……こんな関係は嫌……終わらせたい」

悲痛な想いが宮前に告げられる。

「だから……別れたい。別れて欲しい……んです」
「……そいつと一緒になるために、か?」

宮前の言葉には頭を横に振った。

「叶う恋じゃないって最初から分かってるから、無理。相手は……私の事なんて何とも思ってないと、思うし」
「俺と別れてどうするんだよ」
「……分からない、けど、この関係だけは……終わらせたい、です」

の身体がゆっくりと前後に揺れだし、目が若干虚ろになり始める。
宮前が「?」と呼ぶとは応えるように「大丈夫です」と返した。

「あの人は……帰っちゃうから……忘れちゃえば、良いんです……」
「帰っちゃう?」
「あと半分で……でも私は、帰って欲しくないし、一緒に居たい……でも私も一緒に行ける保証、なんて……無いし」

そこでの意識は途絶えた。
糸が切れたように机に倒れ、寝息がの口から漏れた。

「お、おい、?」

宮前が立ち上がりの肩に触れようとしたところで手を誰かに弾かれた。
弾かれた手に唖然としながら弾いた主を宮前が見上げると、長身の男と目があった。
その目は何処までも深い深海のような暗い目をしていた。

「な、誰だお前」
「えーっと、ちょっと変わってる人?」
「は? どう言う事だってお、おいに触んな!」
「煩いなぁ」

イルミは後頭部に手を当て、髪の毛の中で手をもぞもぞと動かすと一本の針を取り出した。

「な、な、何なんだよ……お前……!」

短髪だった髪の毛は徐々に伸び、男の顔の骨格が徐々に変わり始める。
ゴキっと骨が変形する音に宮前は恐怖を感じた。
切れ長の目は大きな目へと形を変え、小さな唇はバランス位のよい形に形成されるその様はまるで化け物だった。
丸みを帯びていた輪郭は細くなり、二重アゴがすっきりと消える。

「ふぅ。ミルキの顔ってのが癪だけど案外バレないもんなんだね」

首を右に傾げるとゴキンと痛そうな音が店内に響いた。
宮前はその場に立っていられず尻餅をつきながら男、イルミがを抱き抱えるのを見ていた。

「あーあ。寝ちゃったら何されるか分かんないじゃん」

イルミは宮前を無視しての鞄を持つ。
連れ去られそうなに我に帰った宮前がイルミに声をかけると冷たい目が宮前に向けられた。

を……ど、どうする気だよ!」
「あれ? まだ居たんだ。の代わりに改めて言うけどはお前と別れたい。それだけ。理解出来る?」
「い、意味分かんねぇ……!」
「理解出来ないなら理解出来るようにしてあげるよ」

イルミは自分の頭皮から抜いた針を男に向かって投げるが、その針は宮前の足元の床に突き刺さった。
床に刺さった針に宮前は震えだし、ゆっくりとイルミを見上げると、殺気と殺意に満ちた表情を見てその場から逃げたしたくなった。

「あ、ごめん。を抱えてるから手元が狂ったよ。でも次はちゃんと額に当ててあげるから動くなよ?」
「う、うわぁあ!」

宮前は上手く動かない身体を起こして椅子の上に置いた鞄を掴むとマスターに挨拶もせずに店を飛び出した。
その姿を見届けた後、イルミは抱き抱えているに視線を落とした。
すやすやと寝ているの目元には涙が光っていた。

「……まぁ頑張った方かな」

を抱き直すとイルミはカウンターへと向かい、心配していたマスターに「寝てる」と伝えた。

「イ、イルミ君さっき髪の毛が……って顔も……」
の意識飛んでるからもう良いかなって」

マスターはイルミの顔がいつもの顔に戻っていることに疑問を感じたが、それよりも気持ちよさそうにイルミの腕の中で眠るを見て「イルミ君が居て良かったよ」と笑った。
コクリと頷いたイルミはそのまま店を後にした。

*****

家に着くとイルミはゆっくりとをソファに降ろしてこの後をどうするべきか考えていた。
試しに頬を少し叩いてみるが「んー」と身をよじるだけで起きる気配は全く無かった。
気を失っている時、実家ではどうしていたか考えたイルミはある事を思いついた。

「そうか水か」

顔面に冷たい水をぶっかければ大抵は意識が戻るのを思い出してイルミがキッチンへ向かおうとした時、服の裾を引かれた。
小さな手が弱々しくイルミの服を掴んでおり、まるでそこに居て欲しいと訴えていた。

「あれ? 起きてる?」
「んん……イルミ……さん?」

の目がゆっくりと開き、虚ろな瞳がイルミを見上げる。

「何?」

イルミはその場にしゃがむとに目線を合わせる。
裾から手を離させ、の頭に静かに手を乗せた。

「好き……です」
「あ、そうなんだ。知らなかったよ」
「置いてか……ないで……」
「何? 寝ぼけてるの?」
「一緒に、居たい……です……」
「へぇ。そうだったんだ」
「……ん」

イルミの瞳にの切なそうな顔が映る。

「なら起きてる時にそれ言ってくれる? だからまだ寝てて良いよ」
「んー……分かり……ま、した」

またゆっくりとの瞼が落ち、気持ち良さそうな寝息が聞こえ始めた。
今すぐ叩き起こして真意を聞きたかったが、なんとなくその寝顔を見ているとその気が失せてしまったイルミはしばし顎に手を当てながらの寝顔を見ていた。
果たして今日の出来事をはどれくらいまで覚えているのだろうか。
全てとまでは言わないが、自分に対して言ってくれた気持ちは覚えているのを信じてイルミはの頬を人差し指で軽く撫でた。


2020.07.18 UP
2021.07.25 加筆修正