パラダイムシフト・ラブ

50

夢の中でイルミと話しをした気がした。
夢の中のイルミはとても優しくて、いつもとは違う雰囲気だった。
うつらうつらしているの頭をゆっくりと撫でながらイルミは「寝た方が良いよ」と囁いてくれる。
こんなにも近くに居るのにどういう訳かイルミが遠く感じた。
何故かは分からないがイルミとはもうこの先会えないような気がしたはイルミの服に手を伸ばし、握りしめた。
「何?」と言うイルミが一瞬手の動きを止めたが、また優しく頭を撫でてくれた。
触れられた手がとても心地良く、今言わないともう一生言う機会は無いと感じたはせめて夢の中でなら素直になれると思い、「好きなんです」と伝えた。
イルミは首を傾げながら「でもオレは元の世界と戻らないといけないんだけど」と言う。
そんなことは言われなくても分かってはいるが、伝えずには居られなかった。
一緒に居たいことと置いていかないで欲しいことも正直に伝えると、イルミは少し驚いたような表情をしたがすぐにまたいつものポーカーフェイスに戻り「なら起きてる時にそれ言ってくれる?」と言った。
夢だから言えた言葉であって起きてる時に言うのは少し恥ずかしい。
今は夢の中なのだからは何でも言える気がした。
「分かりました」と答えてイルミの身体に抱きつくと、優しく受け止めてくれるその腕に安心感に意識を委ねた。

*****

の瞼は自然と開き、重たい頭を押さえながらゆっくりと身体を起こした。
昨日お店で宮前と話をしていたが、いつの間にか家に戻っていることに疑問を感じ、昨日の事を思い出そうとするが断片的で頭が痛かった。
部屋のもう一人の住人を探したがその姿は無く、はゆっくりとベッドから降りて辺りを見回した。
スーツ姿の自分の姿を見て昨日は着替えずにそのまま寝てしまったていた事に眉が寄る。
ぼんやりとした頭を押さえながらキッチンへと向かいポットに水を入れてスイッチを入れた。
自分がどうやって家に帰ってきたのかも気になったが、それよりもイルミが居ない事に不安を感じた。
もしかしたら、昨日の夜電話に出られなかったのは家に居なかったからではないか、何かの事件に巻き込まれているのではないか。
はすぐにスマートフォンを手に取り、空いてる手でテレビの電源を入れた。

ネットニュースを漁っても近所での出来事は何一つ載っていなかった。
もちろんワイドショーでも芸能人の不祥事ばかりでこれと言って手がかりは無い。
どうしたものかと部屋をウロウロしていると玄関のドアが開いた。

「あ、起きたんだ」
「イ、イルミさん!」

は慌てて玄関に駆け寄ると「ただいま」と何でもないようにを見ながらイルミが言う。
何食わぬ顔で帰宅したイルミの手には数枚の葉っぱが握られていた。

「ど、どうしたんですか? それ……」
の練習用」
「練習? 何かするんですか?」
「何って、念だよ。鍛えておかないと死ぬからさ」

話がイマイチ掴めないはイルミの背中を追いかける。
聞きたい事が山程あるはイルミの裾を引っ張り自分の方に振り向かせた。

「あ、あの! 昨日! 何処かに行ってましたか?」
「うん。ちょっとだけね」
「……わ、私って、自分で帰って、来ました……か?」

困惑しているの顔を見ながらイルミは首を傾げながら「覚えてないの?」と逆に聞く。
イルミに座るよう言われてはそれに大人しく従った。
の知らない事実を知っているようなイルミを見ながら「えっと」と漏らす。

「昨日の事は何処まで覚えてるの?」

イルミはテーブルの上の空き箱に葉っぱを入れると、ソファに座った。

「昨日は……仕事が終わって、家に電話をしたんですけど……」
「そこじゃなくて。店には行ったの?」
「行き、ました。で、話しも……しました。でも途中からわーってなって……あんまり覚えてないんです」
「最後の記憶は?」
「えっと、なんか言われて私がヒートアップしちゃって……で、でも! 別れたいってことはちゃんと伝えました!」

は語気を強めるとイルミは首を傾げながら「別れる事は出来たの?」と痛いところを突いてくる。
確かに”別れたい”とは言ったが、納得いく結末をは覚えおらず、不透明な記憶の中を探してもその答えは見つからなかった。
が黙るとイルミは「覚えてないんじゃ結局別れたのかどうか分からないよね」と正論を言う。

「……ご、ごめんなさい。ちゃんと……終わらせるって、言ったのに」
「オレに謝っても意味無いから」

お酒に飲まれて記憶が飛んでしまった始末に情けなさを感じては俯いた。
そんなを見ながらイルミは小さくを溜息をついた後「これからどうするの?」と聞くと、は申し訳なさそうな顔をしながらゆっくりと顔を上げてイルミを見た。

「今日は20進んでる」
「え、ほ、本当……ですか?」

イルミに指輪を見せてもらうと指輪の数字は39になっていた。
不思議なもので半分以下の数字になると急激にスピードが早く感じた。
長く見積もっても後39日でイルミは元の世界に帰ってしまう。
日にちで換算すれば約1ヶ月以上もあるわけだが、カウントが毎日1ずつ進むとも限らない。
の中で焦りが見え始めた。

は何か心当たりない?」
「心当たり、ですか」
「もしかしたらがオレの世界に興味を持つ毎にカウントが進んでいるんじゃないかな?」
「え?」
「だって最近よくオレの世界の事を聞いてくるだろ。それに……いや、何でもない」

何でも物事を包み欠かさず言うイルミにしては最後の言葉を濁した。
はそれを追求しようとしたが、いつものマイペースで言葉を挟ませてはくれなかった。
イルミが言うには一般人のが自分の知らない世界を知ることでイルミの帰国へのカウントが早まるのではないかというものだった。
その考えをベースとすれば、出会った相手を自分の世界に連れて帰ることが決まっているのではないか、と言う。
もしイルミの仮説が正しければはイルミの世界に行くことは決定しており、向こうで生きられる術を学び、関心を持たないとイルミが帰れないと言うことになる。
何となく話の筋は通りそうだが本当にそれが正しい指輪のルールなのかは分からない。
しかし、もしそうなのであれば、イルミが今からやろうとしていることにはあまり賛成したくなかった。

「つ、つまり……私が念をマスターすれば、一気にカウントが進む、って事ですか?」
「うん。今はまだ運良くカウントが慢性的にストップしたことはないけど、興味が湧いてくればカウントが進むと思う。だからやってみよう」
「や、やってみようって……一般人が受ければ死ぬんじゃ……」
「大丈夫でしょ。オレと一緒に帰る奴が死ぬわけないじゃん」
「ど、何処からその自信が……」

しかし自身念を習得出来るとは思えなかった。
教える気満々のイルミを目の前にしてどうやってこの危機を回避すれば良いのか必死で考えたが、上手い切り返しが思い浮かばない。
何の根拠もなくイルミは「大丈夫だと思うから」と言うが何が大丈夫なのかには分からなかった。
それよりもまずは死にたくないと思った。

「ね、念はまだ早いかと!」
「いや、それこそ早い方が良いから。習得しないと向こうで速攻死ぬ可能性高いからね」
「い、今も死ぬ可能性高いんですよね!?」
「まぁ痛いのは最初だけだから。たぶん。はい、後ろ向いて」
「ちょっ! イルミさん! わ、私まだスーツです! 着替えたいんですけど!」

ソファから立ち上がったイルミはの静止を聞かずに後ろを向かせると「下手に動いたら死ぬよ」と脅す。
涙目になりながらもは言われた通り硬く目を瞑り、唇を噛み締めた。
ここまで来たら惚れた弱みとして従うしかなかった。
イルミはの背中に手を置き「初めてやるけどオレを信じて」と信用出来なくなるような事を言うもんだからの体が強張った。

「いくよ」
「い、痛く、しないでくだ」

言葉を発したと同時に背中に痛く、重たい衝撃が来た。
まるで鈍器で殴られたよな痛みが全身を襲うが、その痛みは”痛い”と言う時間すらも与えてくれないほどの衝撃だった。
そんな衝撃にが耐えられるはずもなく、起きて早々にも関わらずそこで意識が途絶えた。


2020.07.18 UP
2021.07.26 加筆修正