パラダイムシフト・ラブ

54

「はい。聞かせてちょうだい」

昼休み、お気に入りのカフェラテを啜りながらは目を輝かせていた。
は苦笑いを浮かべながら「いや、それがさぁ」と言葉を濁しすとは周りをキョロキョロ見渡した後、身を乗り出しながら小声で「ガツンと言ってやったの?」と聞く。
本人はガツンと言ってやった気ではいるが、最後の結末を覚えていないためなんとも言えない不思議な気持ちだった。

「言ったことには……言ったけど……」
「けど?」
「……最後どうなったのか覚えてないの」
「は? 何それ! どういうこと?」

は観念したように宮前と話した内容をに教えた。
最終的にはお酒に負けて記憶が飛んでしまったことも包み隠さずに話すと、の話を聞き終えると同時に腕を組んで考え始めた。

「でもは家に帰ってたわけでしょ?」
「う、うん……ぜんっぜん覚えてないけど」
「もしかしてさ……そのラブ彼氏が迎えに来たとか?」
「何それ……ないない。って言うかラブ彼氏って何?」
「だってお店の場所も知ってるし、そのお店を指定したのも彼でしょ? 帰れる術なんて潰れたを迎えに来たから、しか考えられないじゃん」

に言われてそうかもしれないと思ったが、なら何故イルミはそれをには言わないのか。
もしかしたらよっぽど酷い酔い方をしたのかもしれない。
そう思うとますますマスターに自分がどんな酔い方をしたのか聞かないといけないと思いながらがサンドイッチを食べているとはポケットからスマートフォンを取り出した。

「でも良いなぁ。もしそれが本当なら王子様じゃん」
「王子様って言うより雰囲気は魔女って感じだけど」
「え? 女?」
「いや、違うけど……髪の毛とか凄く綺麗で、背が高いから……でも結構鍛えてるのかガッシリしてるっていうか」
「惚気とかやめてよー。独り身には辛い話だよそれ」
「の、惚気じゃないから!」

がスマートフォンを操作しながら茶化すのでは思わず大きな声が出てしまい、慌てて口を噤んだ。
そんなを見ながらニヤニヤと笑うは「お店の名前って何? どんな店で話したのか気になるんだけど」と言う。
はアイスコーヒーを飲みながら店の名前を教えるとが目の前で検索をする。
検索にヒットしたのかのスマートフォンに店内の写真が表示され、その内装には「めちゃくちゃ雰囲気良いじゃん! オシャンティーだよこれ!」と興奮する中、は冷静に「一瞬オジサンな匂いを感じたよ」と突っ込む。
スマートフォンに登録しているアプリを起動させたはすぐに店の名前を入れて検索をすると、動きが止まった。

「え? めっちゃイケメンな店員さん居るじゃん! ランチやってるし! イケメン眺めながらランチとか至福のひとときじゃん!」
「ランチ? あ、やってたんだ……私いつも夜しか行かないから知らなかった」
「え!? めっちゃ行きたい! めっちゃ行きたいよ!」
「会社からじゃランチ間に合わないでしょ」
「でもほら見てよ! めっちゃ格好良くない!? クールビューティーって感じ!」

アイスティーを啜り知らなかった事実に関心していると、興奮しながらはスマートフォンの画面をに見せた。
客が撮ったと思われる店員の写真が画面に映しだされており、は思わず吹き出した。

「うわっ! ちょっと汚いっていうか大丈夫!?」

アイスティーが器官に入ったのかは激しく噎せ、苦しさに顔が熱くなる。
咳をしながら口元を押さえて「大丈夫」と言うと、がオロオロとしながらも画面を操作している。
自分が見たものが見間違いでない事を確かめたくては涙目になりながら「もう一回見せて」と言った写真を見せてもらった。
やはりそうだ、とは眉間に皺を刻ませる。
綺麗な長髪の髪の毛は一本に結ばれ、大きな黒い瞳はどこか違うところを見ているが冷たさは消えていない。
シャープな顔のラインと見慣れないカフェ店員の正装姿に頭の中の悩みが一気に吹っ飛びそうだった。

「ランチの時しか居ないっぽいよ! 休日とか居ないのかなぁ……」
「な、何で……」
「何でって何が?」
「いや、うん……ごめん。ちょっと席外すね。先戻ってて」
「あ、ちょっと

はゴミを袋に片付けながら「ごめん。ちょっと大事な仕事あるの思い出しちゃった」とポカンとしているを他所に席を立った。
休憩スペースを出て人通りの少なそうなところでスマートフォンを取り出し、震える手で自宅に電話をかけた。
心の中では電話に出て欲しかった。
もしあの写真が本当なら。

「お願い……」

思わず漏れた言葉にはの願望が乗っていた。
それでも着信音を鳴らす音だけが聞こえるだけで、数十秒後には留守番電話の機械的な声が聞こえてきた。
これで間違いでは無かったと言う事が裏付けされた。
あの写真の店員は間違い無くイルミである。

*****

その日の午後はイルミの事が気になってしまい仕事は全く手がつかず、何一つ進まなかった。
いつからあそこで働いているのか、何故働いているのか、何故マスターは教えてくれないのかという疑問が頭の中でグルグルしていた。
考えれば考える程分からなかったが、あの店で別れ話をするよう提案したのはイルミだった。
もしかしたらその頃から店員として働いていたのかもしれない。
なら何故それを教えてくれないのか。
の中でグツグツと何かが煮えたぎり始める。

トイレ休憩の時、がやっていたようにSNSで店の名前を検索してみるとイルミの写真を載せている人が沢山居た。
どれも”格好良い”だの、”素敵”だの、黄色い声のメッセージばかりで見ているのが嫌になった。
中には一緒に働いているのかアルバイトの女性と映っているのもあり、髪の毛に触れているものがあった。
それ以上見ていられなくてはスマートフォンの画面の電源を切り、大きな溜息を漏らした。
こんな風に騒がれている事に関してイルミはどう思っているのか。
一体イルミの何を知っていて黄色い声をSNSに上げているのか。
ふつふつと沸き起こる嫉妬心に狂いそうになりながらもはトイレから出て定時の時刻を確認した。
定時上がりまで後2時間半。
その間、このモヤモヤとする黒い感情と戦わないといけないことに再度溜息を吐いた。


2020.07.23 UP
2021.07.26 加筆修正