パラダイムシフト・ラブ

57

「痛いなぁ」と言いながらも全く痛くなさそうな顔をするイルミをさっさと脱衣所へと押し込み、は大きな溜息を吐いた。
想いを告げた時、どうなっても良いやと一瞬だけ思ってしまったが、下半身に感じた重い痛みには理性を保つ事が出来た。
案外肉食系なイルミにドキドキする胸を抑えつつ、明日の指輪のカウントがどう反応するのか不安だった。
もしかしたら一気に進んであっという間に0になってしまうのではないかと思った。
残り少なそうな日数で何が起こるのか分からないが、少なくとも気持ちを伝えたがイルミもと同じ気持ちとは限らない。
せめて居なくなってしまう前にイルミの気持ちを少しでも聞ければと思い、はキッチンに立った。

夕飯の準備が何も出来なかったは結局冷凍食品に頼ることにした。
何かあった時のために買い溜めしておいた焼きそばを炒めていると背後のドアが開いた。
シャワーを浴び終えたイルミはキッチンに漂う匂いを嗅いだ後「ヤキソバってやつだっけ?」と零しながらの隣に立つ。
急な距離の詰め方には先ほどの余韻もあってかドキドキしながら「そうですよ」と答えた。

「肉は多めで」

イルミはそれだけ言うとさっさと自室へと戻って行った。
また何かされるかと身構えていたが、イルミ自身は先程までの甘い雰囲気は無かったかのようなあっさり具合にだけドキドキしていることに馬鹿らしさを感じた。
普通の男の人というのはスッキリするまで引きずるものだと思っていたがどうやらイルミは違うらしい。
今のにとっては求められても応えられないから良い事なのだが、女性として思われているのか不安になった。
出来上がった焼きそばを自室へと持っていくとイルミはその皿を受け取る。

テレビの電源をつけるとニュース番組が流れた。
相変わらずイルミは何も言わないで食べるが食べ終わった後に「冷凍食品よりが作った方が良いね」と一言言った。
その一言で舞い上がってしまいそうになるのだから我ながら単純だと思いながらは後片付けを始めた。

*****

風呂上がりのテレビタイム。
はイルミの事を意識してしまい何時もよりも距離をとって座ったは少し緊張しながらコーヒーを飲んでいた。
横を見ればいつもの綺麗な横顔があり、意識しているのは自分だけではないのかと錯覚する。
がコーヒーをテーブルに置くとイルミが「気になるんだけど」と言った。

「な、何がですか?」
「もしかして意識してる?」
「え……あ、まぁ……そりゃ」

どうやら座っている位置の距離について言っているようだった。
は笑いながら「ちょっと恥ずかしいですから」と言うとイルミはもう少し近くに座るように言う。
有無を言わさないその瞳で言われるとは逆らえず、少しだけ距離を詰めた。

「取って食ったりしないから」
「さっきしかけたじゃないですか」
「何? して良かったの?」

暗黒の瞳がに向けられ思わず体に力が入る。
「ち、違います!」とは顔を横に振るとイルミはため息をつきながら背もたれに寄りかかった。

「まぁちょっと残念ではあるかな」
「そ、そうなんですか……?」
「うん。何時も最後までやり通す方だから」
「そ、そう……ですか」

今までの女性は何人泣いてきただろうかと思いつつ、止まってくれた意味はやはり自分に魅力がないからなのではと思い始めた。
しょんぼりとするを見たイルミだったが何も言わなかった。
イルミはゆっくりと立ち上がり俯き加減のに「コーヒーいる?」と聞くと、は「大丈夫です」と応えた。

*****

次の日、はお腹の鈍痛に顔を歪ませた。
針を刺すような痛みに耐えながら顔を起こすとイルミが「痛いの?」と首をかしげる。
見れば分かるだろと言いたいところだったが、男性にこの痛さが分かるはずもなく、は「結構痛いです」と笑った。
ズキズキと痛むお腹を押さえながら脱衣所に向かうと立ちくらみがした。
洗面台に手をつき、鏡の自分の顔を見ると真っ青だった。
歯磨きと洗顔を済ませ、脱衣所を開けるとイルミが立っていた。

「どう、しました?」
「薬あるの?」
「あり……ます……」

キッチンの棚を指差し、薬瓶を取ってもらうように言うとイルミは何も言わずに一粒取り出してグラスに水を入れた。
目で”自室に戻れ”と言われているようだった。
はよたよた歩きながら自室へと戻り、ソファへと倒れ込むと「痛いぃ」と唸った。

「はい、退いて」

戻ってきたイルミがの体を起こして自分が座れるスペースを確保するとに薬とグラスを差し出した。
お礼を言ってからそれを受け取り、一気に流し込むとまたは体を倒してイルミに寄りかかった。
虚ろになる瞳でイルミを見上げながら謝るとイルミは「何が?」と首を傾げた。

「ちょっとの間……こうしてて良いですか?」
「良いけど仕事は?」
「……午前休にします」
「ふーん。あ、オレ今日仕事だから」
「あ、はい……」

スマートフォンをイルミに取ってもらい上司に連絡事項を入れるとは目を瞑った。
少しの間眠ろうと思ったそんな時だった。
イルミは左の小指の指輪をの顔の前に出した。

「あと12」
「……12って……12!? 嘘!」

は飛び起きてイルミの手を握りし、指輪に刻まれた数字を凝視した。
瞬きをしても変わらないその数字は間違い無く12と刻まれている。
しかし昨日は37だったはず。
よりによって一気にここまでカウントが進むとは思っていなかったは口を開けてイルミを見た。
昨日は未遂だったが、もし未遂でなかったとしたらと考えると未遂で良かったと思ったが、カウントが進む原理を伝えるべきか迷った。
カウントが大きく動いた日をもう一度思い出すとやはりの心の波に反応している気がしてならなかった。
それでも隠したままではフェアではないと感じたは恥を忍んで伝えることにした。


2020.07.24 UP
2021.07.26 加筆修正