パラダイムシフト・ラブ

58

意を決して話そうと決めたもののなかなか思うように言葉が出てこなくては俯いた。
此処までカウントがあからさまに進んではもう話すしかない。
そう思っているのに羞恥心が言葉を邪魔する。

「も、もしかしたら……ですけど」
「ん?」

ゆっくりと顔を上げてイルミを見るながらは数字が刻まれた指輪を撫でた。

「この指輪……私に反応している……と思います」
「は? に? どういう事?」

イルミは首を傾げながら目を細めてを見る。
突然のの言葉にイルミはの言っている事が理解出来ていない様子だった。
は「本当にもしかしたらですよ」と前置きをするが、イルミの無言の視線が”早く言え”と言ってるように見えた。

「自分で言うのも恥ずかしいんですけど……イルミさんにドキ、ドキしたりすると次の日のカウントが……大きく減る日が、多い気がするなって」
「ふーん。じゃぁ今まで1減ってたのはどう説明するの」
「……た、たぶんですけど……少しずつ惹かれてた、から……?」

はアハハと笑いながら「でも私の勘違いかもしれませんけどね」と慌てて付け足した。
今更ながら本人に向かって”あなたにドキドキしていました”と言うのはなんとも恥ずかしいものではイルミの手を離した。
一人慌てふためくに対してイルミはやけに真剣な顔をしていた。

「ってことはこの家でのルールを決めた時にオレが言った”を惚れさせれば良い”ってのが正解?」
「そ、そう……なります、かね?」
「……ふーん」

じっと見つめてくるイルミを見ていると嫌な汗が背中を伝った。
何を考えているのか読めない表情で見つめられ、は生唾を飲み込んだ。
紆余曲折はあったが結局最初に導き出した答えが正解に近いことにイルミは怒っているのだろうか。
徐々に心臓の鼓動が大きくなり、は何か言って欲しいと心で思った矢先のことだった。

「よし。それが本当なら試してみないと。そしたら明日にも戻れるかもしれないし」
「へ?」

イルミは名案を閃いたかのように目を大きく開かせて手を叩いた。
それがには嫌な予感がした。

「今すぐオレにドキドキしてみてよ」
「してみてよって……い、今?! そんな無茶な……」
「って言うかそもそもドキドキって何? オレなった事ないから分かんないんだけど」
「え……そう、なんですか?」

イルミは組んだ足上で頬杖をつきながら「そう。だからがオレにドキドキってやつを説明してよ」と言うイルミの言葉をは疑った。
この世の中に”ドキドキ”を知らない人間が居るのだろうか、と。
しかし、イルミの家庭環境を考えると仕事が中心で恋愛なんてものは眼中に無かった生活を送ってきたと考えればトキメキを知らなくても致し方ないと思えた。
それでもは疑いの眼差しを向けながらも「本当に分からないんですか?」と問う。
イルミは数回瞬きをした後頷きながら「うん。仕事でそれどころじゃないし」と答えた。

「どんな時になるの?」
「……ど、どんな時って……難しい質問ですね……でも、説明しても絶対理解してもらえないと思います」
「絶対、ねぇ。そんなの聞いてみなきゃ分からないだろ?」
「うっ……そ、そのジト目はやめてください」
がはっきり言わないから」
「だ、だって……そもそもどう説明すれば良いのか分からないんですもん。仕方ないですよ。イルミさんも……人を好きになれば分かりますよ」
「ふーん。じゃぁがオレを惚れさせてみたら良いんじゃない?」

は一瞬自分の時が止まった気がした。
それこそ無茶すぎる注文にはたじろいだ。
恋愛経験が豊富ではないにはハードルが高すぎる注文で、そもそも暗殺者を惚れさせるってどんな女性なんだろうと思った。
今まで誰にも靡かなかった相手を自分が振り向かせることなんて出来るのだろうか。
は顔を横に振りながら「それこそ無理ですって!」と言った。

「何で? ”運命の人”なら出来るかもしれないだろ?」
「無理無理! だって私……そんな恋愛経験ないし、大人っぽくもないし! それにイルミさんの好みとか……わ、分かんないですし……」

は視線を逸らして膝の上で拳を作った。
今までの恋愛では自分の一方的な片想いの方が多かった。
告白もしたことなければ”この人だ”と思った人を振り向かせたこともない。
追いかける恋ばかりで追いかけさせる恋など想像すら出来ない。

「別に好みとかないけど」
「……なんかありませんか? 例えば、強い、とか?」
「強いって何? そういうの考えたことないから分からないって。まぁ、あるとすればそうなった相手じゃないの?」
「なんかそれってモテる人が言う言葉みたいですよ……」
はあれでしょ」
「な、何ですか?」
「ちょっと変わってて困ってる時に助けてくれて殺すって言っておきながら殺さない人が好きなんだろ?」

頭をトンカチで殴られたような衝撃がの体に走った。
その言葉はまるで何時ぞやの自分が言った言葉で息が出来なかった。
ゆっくりとイルミを見ると「違うの?」と口元で笑っていた。

「な、何でそれ……」
「何でってその場に居たから」
「居たって……冗談、ですよね?」
「本当だって。じゃなければ酔い潰れたはどうやって家に帰ってこれたって言うのさ」

は瞬間的にあの時の事を思い出していた。
店に入った時はマスターしかおらず、その後は宮前が店に来ただけだ。
他の来店客が居たような気配はなかったはず。
なら何故それをイルミが知っているのか。
にはマスターが告げ口をするような人とは思えなかった。
ならば本当にその場に居たとしか思えないがどうも腑に落ちなかった。

「何時、ですか? 私が店に来た時は誰も……その後は宮前さんが来ただけだったし」
が店に入ったのを確認してからだよ。絶使ってたからじゃ気がつかないのも当然だし、保険のために針で顔も変えてたから」
「ってことは……も、もしかして……さ、最初から……?」
「うん。他人にはあんなにオレのこと熱弁するのにね。しかも約束も忘れるから一瞬殺してやろうかと思ったよ」
「わ、わああぁああああ!!!」

はイルミの言葉をこれ以上聞いていられなくなりすぐに耳を抑え亀のように丸くなった。
当然あの場所には自分と宮前とマスターの3人しかいないと思っていただけに恥ずかしさが込み上げてきた。
「嘘だ嘘! 嘘ですよね!?」というにイルミはの頭の上に手を乗せて「オレだけ向こうの世界に帰ったら忘れるつもりだったの?」とにトドメの一撃を刺した。


2020.07.25 UP
2021.07.26 加筆修正