パラダイムシフト・ラブ

59

まさかあの別れ話の現場にイルミが最初から居たなんては思いもしなかった。
そんな時、が昨日の昼に言っていた”王子様”という言葉も思い出してしまい頭の中が大渋滞だった。
丸くなって震えるを見ながらイルミは「があんなに酒に弱いとは思わなかったよ」と言いながらハハハと笑う。
全部知っていた上であんな態度をとっていたのかと思うとイルミは相当意地悪だとは思い、頭を少し上げるとこの状況を楽しんでいるようなイルミと目が合う。

「……この状況、楽しんでますよね」
「うん」
「ひ、酷いです。あんまり意地悪言うと……嫌いになってイルミさん帰れなくなっちゃいますよ!」

睨みながらイルミにそう言うとイルミは「それは困った」と降参とでも言うように両手を上げた。

「オレはのこと結構気に入ってるんだけど」
「へ……?」

は鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をした。
思いがけない言葉に返す言葉が見つからず、体と脳の機能が停止してしまったかのように動かなくなった。
ポカンと口を開けているの鼻をイルミが摘むとその口から「ふぎゃっ!」小さな悲鳴が漏れた。

「他の女みたいに地位とか権力目当てじゃないし」
「い、いはいえふ……」
「媚も売らないし、馬鹿みたいに単純だし、人のこと変な人って言うし。あぁ後二股かけられてるの知っててあんな男放置してるし、ちょっと強めの酒飲ませたら潰れるし」
「はらひへふらはい」

鼻をつまむイルミの手をペチペチと叩くとやっと解放された。
潰れた鼻腔が気持ち悪く感じた。

「真夜中に人が寝てるのに砂場ほじくろうとするしさ。あぁあと寸止めするし」
「え、えっと……」
「まぁ色々あるけど、なんだかんだで気に入ってるよ」
「……それ気に入ってるって言うんですか?」
「理由なんて何でも良いんだよ。オレがそう思ったらそうなんだからさ。そうじゃなきゃ”ウチに住めば良い”なんて言わない」

は大きなため息を吐いて少しだけ笑いながら「イルミさんは、凄いですね」と漏らす。
聞いてるこっちが恥ずかしくなるような事も思っている事もサラっと何でもないように言うそのスタイルが羨ましく思えた。
それに比べて自分は思ったことを素直に言えず、好きって気持ちも相手から諭されて言えたようなものだ。
それでも肝心の”一緒に居たい”という気持ちを言えないでいた。
「イルミさんのそれは……本心ですか?」とがそう尋ねるとイルミは間髪入れずに「嘘言ってどうするのさ」とさも当たり前のような回答が返ってくる。
イルミは聞いたことをいつだってはっきりと答えてくれるが、自分はどうだろうか。
はゆっくりと深呼吸をしながら目を閉じた。

「正直……イルミさんが帰っちゃうのは寂しいです」
「へぇ」

ゆっくりと目を開いて自分の思っている事を言葉にしてみようと思った。

「……本当は、一緒に居たいです」
「ふーん」
「この生活がずっと続けば良いのにって思った事がこれまで何回かあります。まぁ無理って事は分かってはいるんですけど」
「うん」
「でも、一緒に行けるなら……ついて行きたいです。知らない世界を見てみたいって、イルミさんの話を聞いてて思いました。同じ事の繰り返しの日々には正直、疲れてました。この先良い事ってあるのかなって。イルミさんと出会って知らない事がいっぱいあって、嫌だった事を断ち切れる勇気を貰いました」

黙って聞いていたイルミは「そう」と短く言ってから視線を外した。
思っていた事を伝えたら胸に支えていた使えていた邪魔な物が消えた気がしてはちょっとだけ笑った。
スッキリした気持ちが心地良く、はそっぽを向いているイルミにまた寄りかかった。
「重い」と言われたが退かすような素振りはなく、むしろどこか照れているような声色には「体調不良なので」と言い返した。
しっかりと伝えた事で指輪がどう反応するのかが気になったが今はイルミの体温が心地良くて眠たくなってきた。

「変な奴だよね、って」
「そうですか?」
「うん。だってオレは人殺しで生計を立ててるような人間だよ」
「でも、それが認められてて、必要とされてる職業なんですよね。怖いとは思いますが、職業を否定するような事は私は言いません」
「ふーん。変なの。でもそんな変人が?」
「……言いませんよ」
「ケチだなぁ」

「昨日は言ったのに」と言うイルミを見上げながらは「言ったらまたカウントが減るじゃないですか」と笑った。
そんなに対してイルミは「オレはカウントが減って欲しいんだけど」と肩を落とした。

「明日起きたてカウントが1だったら寂しいじゃないですか」
「なんで? 早い方が良くない?」
「実際問題本当に行けるかわからないじゃないですか」
「”運命の人”ならなんとかなるでしょ」

そう言ってイルミはもう一度の鼻をつまんだ。

「ちょっと!」
「だから今から心の準備しておいて」
「……は、はぃ」
「もう寝たら。あ、でもオレ仕事あるから時間になったら退かすよ」

帰る日にちが近づいても”今日は1日一緒に居よう”なんて甘い雰囲気にはならないことには笑って頷いた。
”仕事”に関してプライドを持っているイルミらしい言葉にはゆっくりと目を閉じた。
好きになった人がこんなにマイペースで、俺様だとは思わなかったが、それ以上に根は優しい人で本当に好きになって良かったと思いながらイルミの言葉に甘えては夢の扉をノックした。


2020.07.25 UP
2021.07.27 加筆修正