パラダイムシフト・ラブ

61

アラーム音で目を覚ましたの第一声は「カウントはどうですか?」だった。
身体を起こし、まだ眠っている脳が欠伸を誘いながら目を擦りながら尋ねたにイルミは「2」とだけ答えた。
「そうですか2」ですかと呑気に身体を伸ばしてベッドから降りた。
重たい足取りで洗面所へと向かい歯磨きをしながら「2かぁ」と呟く。
少しずつ意識がはっきりしてきて脳が”2”という数字を処理し始めた。
それは2進んだという事なのか、はたまた刻まれている数字が2なのか。
後者であれば大変な事実に漸く理解したは慌てて口を濯ぎ脱衣所から顔を出した。

「2ってどっちの意味ですか!?」

自室へと叫ぶとイルミは顔を出しながら「残り2」とだけ答えてまた自室へと戻った。
残された時間はもう僅かしか残されていない事にの心臓が鼓動を早めた。
少なくともこれから何もなくカウントが1だけ進むと仮定して残された日はわずか2日。
思いの外進んだカウントには頭を抱えた。

「えぇ……後2日でどうしろって言うのよ……」

まだ誰にも何も言っていない。
しかし言うなら今日か明日しかチャンスはない。
は焦る気持ちを落ち着かせるように一度大きく深呼吸をし、とりあえず会社に行く準備だけでも進めようと顔を洗った。
脱衣所から出るとイルミは電気ポットの中のお湯をマグカップに注いでいた。
自室に戻って化粧ポーチの中から必要なメイク道具を取り出しているとイルミは静かにテーブルにマグカップを2つ置いた。

「案外あっという間だったね」
「……本当ですね。色々ありましたけど、何だかあっという間に終わりが近づいてきたって気がします」

確実にあと最長2日でイルミは元の世界へ帰るが、実際のところ自分はどうなるのだろうかと不安が過る。
そんな事は当日になってみないと分からないがやはり不安なものは不安だった。
そんなの不安を察知したのかイルミはため息をつきながら「覚悟出来てるでしょ」と言った。

「え?」
「行けるかどうかじゃなくてオレが連れて行くから」
「……大丈夫ですかね」
「弱気な考えじゃオレの隣には居られない」

厳しい言葉には言葉を失うとイルミは手を伸ばした。
その手はポンと優しくの頭に置かれた。

「オレがそう言うんだからそう。は黙って信じてれば良いだけだから」

イルミの言葉には小さく頷い。

*****

会社に着いてもの頭の中は指輪の数字でいっぱいだった。
最低限進められる案件だけ進めたあと、会議資料を用意してそれを営業部に運んだ。
別れ話をしてから一回も会っていない相手に会うのは気が引けたがこれも仕事と割り切りは営業部のドアを開けた。
賑やかなフロアは自分のいるフロアとは違い活気があった。
立って電話をしながら「ですから、こちらの提案としては」と熱が入る社員の後ろを通りながら一番奥の席へと向かう。

「こちら準備できました」
「ん」

宮前のデスクの前に立って会議資料の束を手渡した。
一瞬向けられた視線はすぐに外され二人の間に気まずい空気が流れる。
もしかしたら話すチャンスは今日しかないかもしれない。
は視線を外した相手に頭を下げた。

「あの日は酔いつぶれてすみませんでした」
「な、なんだよ急に……」
「強引だったかもしれませんが、あの日話したことは全て事実です」

はゆっくりと頭を上げてニコっと笑った。

「どうぞ自由に遊んでください」
「あんなバケモンみたいな男とつるむとか頭沸いてるだろ」

悪態を吐く宮前に「否定する気はありません」と小さく頭を下げた。
がその場から去ろうとした時、宮前は立ち上がった。

「後悔させてやるからな。お前も、あの男も」

は振り返ると宮前の席に手をついた。

「その男から伝言があります」
「伝言?」

宮前にだけ聞こえる声の大きさで「”次は必ず”、だそうです」と告げ、ポケットの中に忍ばせたイルミの針を取り出して見せた。
それを見た宮前は、の迫力に押されて椅子に座った。
顔を青白くさせながら動揺を隠しきれない瞳がを見上げる。

「では、私はこれで失礼します」

が営業部のドアを閉めた後、ポケットの中に入れていた針を取り出した。
真っ赤なガラス製の装飾がついた針は紛れもなくイルミの物で「あいつに会ったら”次は必ず”って伝えて」と家を出る時に手渡されたものだった。
この針を見せた時の宮前の狼狽え方は予想以上だった。
一体イルミはあの店で宮前に何をしたというのか。
宮前にとってイルミはトラウマになっている様子には頭を横に振って自分のフロアへと戻った。

*****

フロアに戻るとが頭を抱えて唸っていた。
先週から着手しているプロジェクトがうまく進んでいないようだった。
いつもお昼はが誘ってくれていたが、今日はから誘おうと決めていた。

「ねぇ。お昼行かない?」
「えぇ?」
「もう13時半だよ」
「……もうそんな時間かぁ。でもが誘ってくれるの珍しいから、行こうかな。なんかアイデア降ってくるかも!」

さっきまで泣きそうな顔で悩んでいたの表情が嘘のように華やいだ。
二人して財布を持ちながら社外へと出て行きつけのコンビニへと向かう。
いつもの決まったメニューと新作のデザートを一つ。
楽しい短いショッピングの後は会社の休憩スペースで開封の儀を行う。

「あぁ……イケメンの居る店でランチ食べたい」
「イケメンじゃなくて悪かったね」
はどっちかっていうとゆるキャラだから」
「ゆるキャラって……」

は忙しなくスマートフォンを操作して最近のホットボーイであるイルミの写真を眺めていた。
なんとも複雑な気持ちになりながら一緒に住んでいる事は隠しておくことにしたは「そんなに格好良い?」と聞いた。

「は? の目は節穴ですか? 格好良いじゃん!」
「いや、良いとは思うけど……2次元命だったじゃん……」
「それとこれとは別よ別。2次元は永遠だけど生物はほら、その瞬間瞬間で輝いてるから」
「生物……って独特な表現使うよね」

知ってる人を褒められるのは嫌な気はしなかった。
熱心に見ているは頬杖をつきながら見つめていた。
かけがえのない友人であり仕事の仲間でもあると離れないといけないかもしれない現実を思うと寂しさと同時に涙がこみ上げてきた。
本当にそれで良いのだろうか。
本当は私はどうしたいのか。
どうすれば良いのか。
の無垢な姿を見ていると自分が分からなくなってきた。

「やだ。なんちゅー顔してんのよ」
「あ、ごめん。なんかね、うん、ちょっと感傷深くなっちゃった」
「なんでよー。何かあった?」
「……ううん。無い訳じゃんだけどさ、もし、が前言ってたみたいに白馬に乗った王子様が現れたら私はどうするかなーって」
「あ、一緒に住んでるイケメン外国人彼氏?」
「まぁ……そんなところかな」

はスマートフォンの画面の電源を切ると腕を組んで目を瞑った。
うーんと唸りながら何かを考えているようだった。

「それは何? 今の環境から全然違うところに嫁ぐってこと?」
「嫁ぐってわけじゃないけど……まぁそうなったら、ね」
「仕事も辞めて? 遠くに行くってこと?」
「うん。私はこの仕事好きだし、とずっと一緒に制作やっていきたいなーって思うけど」
「そんなチャンス滅多に無いじゃん」

はゆっくりと目を開けてを真っ直ぐに見た。

「私が原因で行く決断が揺らぐなら絶交だからね」
「え……?」
「女は恋してなんぼ! そのチャンスを……友人を優先して棒に振るぐらいなら絶交だよ絶交」
「絶交って中学生じゃあるまいし……」
「それぐらいってこと! 友人の幸せは私の幸せ。良いじゃない。世の中には男と女しか居ないんだから最終的に男を取れば良いのよ。本能なんだからさ」

「だいたい恋愛ってのは」とまたいつもの節が始まった。
はそれを笑いながら聞き、「分かってくれた!?」と興奮するに頷きながら「うん。ありがとう」と言った。


2020.07.28 UP
2021.07.27 加筆修正