パラダイムシフト・ラブ

69

とイルミは並んで今この場で飲める最後のコーヒーに口をつけていた。
いつものソファでいつものコーヒー。
いつもと違う事と言えば、あと数十分で何かが起こるということ。
日付が変わる事にそわそわしている落ち着き無いを見ながらイルミは「何か持ってくのある?」と聞いた。
突然話しかけられた事に驚いたは「へ?」と瞬きを数回繰り返した。
もう一度イルミが質問を繰り返すとは困ったように笑った。

「それが……無いんですよね」
「無いの?」
「まぁ……持って行こうと思えばいくらでもあるんですけど、何て言うか……過去を引きずりたく無いというか」
「下着ぐらい持って行ったら? のサイズ、無いかもよ?」

ずずずとコーヒーを飲むイルミの顔はいつものように無表情だったが、なんとなく口元は笑ってるように思えた。
「それはどっちの意味でですか!」と詰め寄ると本人は笑いながら「冗談だよ」と言う。
こんな時でもイルミはマイペースで時計を見ながら「ほら、そろそろ日付が変わるよ」と緊張感の無い声で時計を指差した。
はゴクリと生唾を飲み込みながらイルミの指輪に注目していた。

「……ちょっと怖いです」
「今更でしょ。大丈夫だって。ちょっと熱いだけだから」
「え……燃えるって事ですか? 火傷しちゃうじゃないですか!」
「いや、なんか小指から熱が伝わって来る感じ」

いまいち想像が出来ないままはイルミの小指に顔を近づけた。
まだ変わらない”1”の数字が本当に0になると、何が起きるのか。
二人は黙ったまま時が過ぎていく。

時間がこんなにも長く感じた事はなかった。
今か今かと待っていると先にのスマートフォンがけたたましく鳴り響いた。

「あわわわ。すみません。0時に鳴るようにかけていたタイマーです!」
「びっくりした」
「全然びっくりしてる様には見えますけど……」
「オレだって驚くことぐらいあ」

がスマートフォンのタイマーを切っているとイルミは言葉を噤んだ。

「0だよ」

画面を見ているに小指を見せる。
先ほどまで1だった数字は0になっているが、何も起こらない。
はスマートフォンを握りしめながら「ど、どうですか?」とイルミの様子を伺った。

「別に。普通」
「え? え? どうして……だって、0ですよね!?」

はスマートフォンを放り出してイルミの手を両手で握りしめた。
ピリっとした感覚がイルミに走り「あ」と漏らす。

「何ですか!? 熱くなってきましたか!?」
「……いや」

イルミは宙を見ておりには見えない何かを見ているようだった。
不安に眉を寄せるは「どうしたんですか!」と言った瞬間、突然部屋中に見知らぬ声が響いた。

「おめでとうございます!」

突如聞こえた知らない声には「何!? 何今の!」と悲鳴にも近い声を上げながら咄嗟にイルミに抱きつく。

「な、何何!? 何が起こってるんですか?!」
「念かな」
「いかにも。念でございます」
「待って待って待って! い、い、今の声はどこから?!」
「え? 指輪から出てるモニターに映ってるじゃん」
「いいい意味が分かりません!」

部屋の中を見渡しながら「私には見えません!」と言うを落ち着かせるようにイルミは軽く背中を叩く。
イルミにしか見えてない何かに向かってイルミは「がビビってるから手短にして」と言う。

「進めてよろしいんですか?」
「うん。聞こえてるみたいだし。たぶん今中途半端な状態だから視えないだけだと思うから。で、お前誰なの?」
「な、何でイルミさんはそんな平然としてられるんですか!? 本当にそこにい、居る……んですか?」
「うん。殺気ないし大丈夫でしょ。それによく分かんないけどおめでとうって言われたし?」

徐々に落ち着きを取り戻したはイルミから身体を離してイルミの指先を見つめた。
本人が言うには指輪から映像のようなものが出ており、モニターが映し出されているらしい。
そこに映るのが頭に輪っかのようなものを浮かべた白いを服を着たおじさんだと説明すると「おじさんとは失礼な!」と怒りの声がの耳をつんざく。

「……まぁ良いでしょう。改めましてこの度はご両名パラダイムシフトへの成功おめでとうございます」
「……パ、パラ……パラダイス……何ですか?」
「パラダイスじゃなくてパラダイムシフト。頭の中がパラダイスなのために簡単に言うけど、当然と思っていた生活とか認識、思想が劇的に変化することを言うんだよ」
「……え? 私馬鹿にされてます?」
「気のせいじゃない?」

シレっというイルミの顔を見上げると口元だけで笑っていた。
確かにイルミと出会ったことで今まで”当たり前”と思っていた日常や、考え方は劇的に変わった。
は今まで真面目で気さくでお喋り上手な面白い人が好きだと思っていたが、実際好きになったイルミはマイペースで冗談も上手じゃなくて、決して口数が多い方では無い。
しかし、見えない優しさや強引だけど守ってくれるもっと内なる部分を好きになった。
殺しを生業とするなんて最初は否定的だったが、好きな人を否定する事が出来ず受け入れたいと思う気持ちは見えない声が言うパラダイムシフトに成功したと言えるのかもしれない。
ぼんやりとそんなことを考えていると見えない声がコホンと小さく咳払いをした。

「続けても?」
「良いよ。で、何なの?」
「私は製作者の念です。自由な恋愛が出来ない者や本当の恋愛を知らない者、まぁ簡単に言うなれば恋愛下手をくっつける者として作り出された産物です」
「オレ恋愛下手じゃないんだけど」

思わずが驚きの表情をする。

「指にハマった時にイルミ=ゾルディック様の過去を覗かせていただきましたが暗殺者としては超が付く一流のようですが、恋愛に関してはズブの素人ですよね」

聞いていたが吹き出すとイルミはの頬を引っ張った。

「人を”好きになる”という感情が欠落しているように見えましたが?」
「痛い痛い! 痛いですよイルミさん!」
「……ふざけた事言ってると殺すよ? 製作者って誰?」
「残念ながら私は念なので死にませんよ。それと製作者に関する質問は一切お答え出来ません。私の役目はただお互いの親密度に合わせてカウントを進めていき、最後には3つの質問に答えて頂いてその結果から最終的な結末を見届ける事です」

イルミはの頬から手を離すと「早くしてよ」と急かす。
引っ張られた頬に手を当てながら「選択?」と涙目になりながらイルミが見ていると思われる方を見た。

「1つ目はお嬢様に」
「あ、は、はい……何で、しょうか」
「この世界から貴女に関する一切の情報を削除しますか?」

先程までふざけていた気分が一瞬にどこかに吹っ飛んだ。
何故この質問が最初に来きたのかはわからないが、の瞳が一瞬揺れる。
もし情報が削除を選択し、自分はイルミと一緒に行けないとなったらどんな生活が待っているのか。
全ての事柄から自分という存在が消えるのに不安を感じたは一瞬だけイルミを見ると「過去を引きずりたく無いんだろ?」と小声で言われた。
ゆっくりと目を閉じた後、ははっきりとした口調で「消してください」と言った。


2020.08.09 UP
2021.07.27 加筆修正