パラダイムシフト・ラブ2

2

「ちょっとイルミさん。試着なんて……大丈夫ですよきっと」
「似合わないなら買っても意味ないでしょ」
「いや、まぁ……そうですけど……」

は一理あることを言われてしまい黙ると、早速イルミの手によって試着室に閉じ込められた。
慣れない待遇に手足をもじもじさせていると先ほどの店員がブラウスとフレアのスカートをに手渡した。
そのあとは着せ替え人形同然だった。
一着着ればカーテンを開けてイルミの反応を伺い、店員が持ってきた別のコーディネートを身にまとうのを繰り返した。
イルミに聞いたところで「良いんじゃない?」や「悪く無いと思う」等の反応に困る感想ばかりで試着をする意味があるのかには疑問だった。
10着分を着終わったあとにイルミが「どれ着て帰りたい?」と聞かれ、は回答に困った。
動きやすい物もあれば、ガーリーな物までバランスよく選んでくれた店員には感謝しているがの頭からはウィンドウに飾られたワンピースがどうも頭から離れなかった。
しかし此処までしてもらってわざわざ別の物を指定するのが申し訳なくて「ど、どれが一番似合ってましたか?」と店員に聞いたところでイルミが止めた。

「入り口のマネキンが着てたワンピース持ってきて。あとサンダルもね」

は耳を疑ったような気がした。

「あ、あれは今人気商品でして……今店頭には在庫が……」
「でもはあれが良いんでしょ?」

一言もそんなことを言った覚えは無いがしっかり見惚れていた事を知られていては恥ずかしくなりながらも小さく頷いた。

「だそうだよ。あのマネキンから脱がしてよ」
「し、しかしですねお客様」
「そう言えばよくこの店にはうちの弟が世話になってるよね。キルア=ゾルディックなんだけど、知らない?」

イルミが弟の名前を口にした途端、店員は顔色を変えて「ただいまお持ちいたします!」と走って行った。
「最初からそうすれば良いのに」と腕を組んでため息をつくイルミを見ながらはとんでもない家系だと内心ヒヤヒヤした。
5分ぐらいして戻って来た店員の腕には白いワンピースとライトブラウンのサンダルがあった。

「さ、着替えて」
「……はい。店員さんも有難う御座います」
「とんでもございません! いつもキルア様には当店をご贔屓にして頂いておりますので当然のことで御座います!」

背筋を伸ばし、頭をさげる店員には苦笑いを浮かべてカーテンを静かに閉めた。
柔らかく手触りの良い生地のワンピースは軽く、一回転するとふわりと広がった。
身体を細く見せてくれるデザインが気に入りモデルのようにポーズを取ってみるとカーテンが勢いよく開いた。

「ぎゃぁっ!」
「……何してんの」

反射的に座り込むと冷めたような視線がに注がれる。

「着替え中だったらどうするんですか!」
「どうせ近いうちにオレの前で脱ぐでしょ。はい、立って」

赤っ恥になるような事を店員の目の前でいうイルミに一言言ってやりたい気持ちになったが「時間が無いから」と言われるとそれに従うしかなかった。
ゆっくりと立ち上がってスカートを広げてみたり、後ろを向いてみたしたがイルミは無言で何度か上から下まで見た後、店員に向かって「これ、着て帰るから」と告げた。

「じゃオレ会計済ませてくるから」と言うとさっさとレジカウンターへと向かっていた。
さっきまでは曖昧ではあるが感想をくれたのに対してワンピースに関しては何も言ってくれなかったのが少しショックだった。

「お客様。タグをお切りしますね」
「あ、はい。お願いします」

は髪の毛を退け、店員がハサミでタグを切る。
不安に思ったはサンダルのタグを切る店員に意見を求めた。

「に、似合いません……かね?」
「とてもよくお似合いです。もしかしたら照れていらっしゃるのかもしれませんよ?」
「照れる……? まさかぁ……ないですよ」
「男の人というのはそういうもんですよ。さぁどうぞ」

言われるがままはサンダルに足を入れ、もう一度頭を下げた。
レジカンターに行くとすでに会計を終わらせたイルミがの頭につばの広い帽子を被せた。
被されたそれに触れながら「これ、は?」と聞くとイルミは淡々と「あれが被ってたから」と素っ裸にされたマネキンを顎でしゃくる。
何もそこまでは望んでいなかったが思いがけないサプライズには広いつばで顔を隠した。
帰る頃には店員総出で外まで見送られ、なんだか恥ずかしくなった。
空港まではタクシーで向かうと言われ、そのタクシー待ちをしている時は自分もイルミも手ぶらなのに気がついた。

「あれ? そういえば買って頂いた洋服は……?」
「家に届くから。速達でって頼んだから明日の昼頃には届くんじゃない?」
「な、なるほど……」

一台のタクシーが到着し、先に乗るよう言われてはそれに従った。
空港の名前を告げて走り出したタクシーの中は無言で、心なしか緊張しているとタクシーのドライバーとバックミラー越しに目が合った。

「なかなか見ない顔ですが、お綺麗ですね。芸能関係のお仕事ですか?」
「え!? ち、ちちち違います! 一般人です!」
「そうでしたか。それは失礼いたしました」

顔を隠すような帽子と行き先が空港なだけに勘違いされてしまった。
は少しだけつばを上げてイルミを見ると腕を組んで真っ直ぐに前を見つめていた。
その視線に気づかれたのか「何?」と聞かれは慌てて顔を隠した。

「……色々、有難う御座います」
「別に。だってオレが来た時そうしたからオレも同じ事をしただけだよ」
「ス、スケールの大きさは全然違いますけど……でも、こんなに可愛いの……嬉しいです。似合いませんか?」

思わず聞いてみた。
不安そうな顔でイルミを見ていると、横目に目が合ったがそれはすぐに逸らされた。
やはり男の趣味と女の趣味は交わることはないのかもしれないと諦めた時だった。

「似合ってるんだから今更似合うって言う必要ないだろ」

その言葉に顔が熱くなるのを感じたは帽子のつばを両手で掴んで耳まで隠した。
そんなやり取りを聞いていたドイラバーが笑いながら「初々しくて良いですね」と笑った。

*****

空港のVIPラウンジに入ったことがなかったは完全にお上りさん状態だった。
は大きなガラスが嵌められた窓に張り付いて離発着していく飛行船に胸が踊らせていると横に立っていたイルミが「面白い?」と首を傾げる。

「こ、こんなに近くで見るのは初めてです! しかも、飛行機と違って本当に飛行船なんですね! 形とか凄く可愛いです!」
「形なんてどれも普通じゃない?」
「……そういう夢を壊す様な事言わないでください」

楕円形の大きな飛行船が迫ってくる迫力に感動していると館内アナウンスでイルミの名前が呼ばれ、いよいよかとは背筋を伸ばした。
言われるがままにはイルミの後を付いて歩き、カウンターに向かうとイルミはカウンターの女性に携帯の画面を見せた。

「いってらっしゃいませイルミ様。良い空の旅を」
「行くよ
「え? 終わり? な、なんてハイテクなんでしょう……」

綺麗なお辞儀をするカウンターの女性に目を奪われながらはイルミの後を追う。
飛行船と呼ばれる機内はまるで飛行機の中のような作りだった。
ゾルディック家所有の自家用飛行船ということもあり、搭乗人数はとイルミのみで、1名の執事が給仕係として搭乗するだけだった。
テレビで見るようなお金持ちがするような移動の仕方には信じられず何度も「本当に、自家用飛行船なんですね!」と興奮気味にひじかけを撫でながら内装を見渡した。
向かいに座るイルミが不思議そうな顔で「別に普通の作りじゃない?」と言うが、イルミの普通は一般人にとっては”異常”であるとこの時胸に刻む事にした。

離陸する振動は久しぶりで不思議な浮遊感に包まれては窓を見た。
徐々に小さくなっていく街の灯りはどこか自分の住んでいた都市に似ているように見えた。
眩しかった明かりは徐々に儚い明かりに変わり、いつしか雲に隠れて消えた。
雲と暗い空で輝く星達を眺めているとふいに話しかけられた。

「お飲み物は如何なさいますか、お嬢様」

聞きなれない単語にはすぐに振り向いて自分を指さすと執事の女性が優しい笑顔で頷いた。
正面を見ればいつの間に頼んだのか優雅にコーヒーを飲むイルミの姿がある。
既に”お嬢様”と呼ばれる年齢ではないが、笑顔を貼り付ける執事はが頼むまで引き下がらなさそうな雰囲気がありはドキドキしながらアイスコーヒーを頼んだ。

「緊張してるの?」
「そ、そりゃしますよ! だ、だってこんなの……人生で乗れるなんて思ってませんでしたし……」
「便利だよね」
「だから電車みたいに言わないで下さい」

ポンポンと肘掛を頼むと先ほどの執事がにアイスコーヒーを運んできた。

「有難う御座います」

アイスコーヒーを受け取ると執事は頭を下げて「何か御座いましたらお申し付けください」と少し離れた席に腰を下ろした。
その姿を座席の後ろ越しから見ていたは小さく呟いた。

「ほ、本物の執事さんだ……」
「執事に本物とかあるの?」
「私が知ってる執事っていうのはお話しするためにはドリンクとか頼まないと話せないんですよ」
「何それ。呼んだら来るのが執事じゃないの?」
「いや、まぁ、そうなんですけど……多分イルミさんには理解出来ない世界だと思います」

こんな調子で大丈夫なのだろうかとは窓をもう一度見ると小さなため息が出た。
唾ひろ帽子を被った自分はもう日本に居た頃の自分じゃないと自分に言い聞かせてアイスコーヒーを一口含むとインスタントとは違う豆の味が口内に広がった。
きっとこの先自分の知らない世界がずっと続いていく。
口の中に広がる苦い味のような過酷な事が待っているかもしれないが、それもいつしか慣れ、刺激的な物になるだろうと思ってゴクリと喉に通した。


2020.08.20 UP
2021.07.28 加筆修正