パラダイムシフト・ラブ2

5

「お、下ろしてください!」との叫ぶ声が森に響き渡る中、イルミはそれを無視してを担いだまま歩いた。
背中をこぶして叩いても「もうちょっと右かな」と見当違いな事を言われては諦めた。
目の前に広がる光景は暗い事もあって視界は悪い。
先ほど遭遇した大きな獣のような生き物もペットとして飼っているらしいが追ってこないか内心ヒヤヒヤしていた。
迷う事なく進んでいたイルミだったが、ふと足を止めるとの耳に少し高い女の子のような声が入ってきた。

「お帰りなさいませイルミ様」
「うん。ただいま」
「あの……そちらの、お連れ様は……」
だよ。今日からウチに住むからよろしくね」

イルミは肩に抱えたのお尻を軽く叩くとは「うわぁっ!」とまぬけな声を上げた。
再度自分を降ろすよう抗議の声を上げたが、イルミは聞く耳を持たずずっと前を向いている。
イルミが動こうとした時「その方は通せません!」と声が響き渡った。

「どうして? はオレの連れだよ? 誰の指示でそんな事言ってるの?」
「そ、それは……」
「……どうせ母さんだろ。親父には紹介したい人が居るって話してあるから。それでも止めるって言うならインナーミッションになるけど良いの?」

いつもより低い声で淡々という言うイルミの髪の毛がふわりと揺れる。
嫌な胸騒ぎには思わずイルミのシャツを握りしめて小声でイルミの名前を呼んだ。

「ど、どういう事なんですか?」
「母さんはを家に入れたくないみたい」

イルミの言葉を聞いて当然の事だとは思った。
イルミは長男で約1ヶ月もの間行方不明であれば母親は心配するだろう。
そして帰って来れば見知らぬ女を連れているとなれば当然母親として許せるものではない。
きちんとした手順を踏んでいるわけではないには何も言えなかった。

「執事だからってオレは容赦しないよ」
「わ、私は……見習いですが……奥様の命であれば、その方を、と、通すわけにはいきません!」
「あぁそう」

トスっと何かが刺さったような音がかすかに聞こえ、次の瞬間断末魔のような叫び声が響き渡った。

「ねぇ。もう一度聞くけど、通って良い?」
「ど、どっ、どう……ぞ……イ、イイイイル、イルミ、様……!」
「最初からそう言えば良いのに。早く抜かないと戻らなくなるから気をつけてね」

イルミはを抱え直すと歩き出し、顔を押さえて蹲る執事の身体を蹴った。
ゴロンと簡単に転がった執事の額には針が3本刺さっており、はすぐに自分の口を手で押さえた。
顔が徐々に歪むなか、必死で額に刺さった釘を抜こうともがく姿はあまりにも衝撃的だったが、初めて見る光景ではなかったためどこか落ち着いていた。
見ていて気持ちの良いものではないため、は何事もなかったかのように歩くイルミに「し、死にませんよね?」と聞いた。

「たぶんね」
「な、なんであんなこと……」
「ウチにはインナーミッションっていうルールがあるんだけど、家族同士で意見が食い違った時は無理に意見は統合しないで自分の考えを押し通すために全力を尽くす決まりになってる」
「だ、だからって……執事さんですよ? それにあの人、何もしてないのに……」
「オレはを親父に会わせたい。だけど母さんはそれを拒んでる。オレは自分の意見を通すためにやっただけ。分かる?」
「……言わんとしてる事は、分かりますけど……けど……」
がどうこう出来るレベルじゃないから。ちなみにあのへなちょこなパンチじゃウチの執事は倒せないからね」

外の門とはまた違った威圧感を放っているドアの前に着くとイルミはをゆっくりと降ろした。
かすかに悲鳴が聞こえる方に顔を向けると頭の上から「母さんは特殊だから。全部見られてると思った方が良いよ」と怖い事を言われた。
しかし、監視カメラは3箇所でそれ以外は無いと聞いていた。
カメラがないところでどうやって監視するのか考えているとイルミは静かにドアを開けた。
茂み中から聞こえた発砲音を察知したイルミはぼんやりしているの腕を引くと、を狙ったのか一発の弾丸が壁にめり込んだ。
パラパラと壁の破片が落ちるのを見たの顔は青くなり、思わずイルミにしがみついた。

「ど、どどどどど何処からですか!?」
「あっちかな?」

イルミは素早く腕を振ると放たれた針が何かに当たったのか茂みの方から別の女性の悲鳴が聞こえた。
呑気に「あ、当たった」と言うイルミを母親に向かってなんてものを投げるんだという目で見ているとそれに答えるようにイルミは「インナーミッション中だから」と言われた。

「ね? 見られてるって言っただろ」
「え!? 本当にお母さん、なんですか!?」
「うん。あの声はそうだと思う。でもあの程度ならあの人は死なないから。それよりさっさと行こう。親父達待ちくたびれてると思うから」

屋敷の中は豪華な装飾品とローテーブルと2台のソファが置かれていた。
中には誰もおらず不思議なぐらいに静まり返っており、警戒されているのかと思った時だった。

「わぁっ! こ、今度は何ですか!?
「親父からだ」

突如鳴り響いたイルミの携帯には肩を跳ねさせ、携帯を耳当てるイルミの横で胸に手を置いて深呼吸を繰り返した。

「何? うん。投げたよ。あ、顔に当たったんだ。へぇ。違うよ。あっちが先にやってきたから。あ、そうなの? わかった。じゃ、後でね」

電話を終えるとイルミはに向き直り「インナーミッション解除だって」と教えてくれた。
本当であればこの屋敷の執事達が総攻撃を仕掛けてくる予定だったらしいが、ブレインである母親からの解除命令があったらしくこれ以上の被害は出ないだろうとのことだった。
何だかとんでもない事を引き起こしてしまった気がしたは俯きながら「なんか、ごめんなさい」と謝ると頭に帽子が戻ってきた。

が悪いわけじゃない。ちょっと母さんが敏感なだけだから」

ポっとでの娘に長男を取られては母親はヒステリーになるだろうと思ったがそれは言わないでおいた。
広間を抜けて長い廊下を歩いて行くともう一つ扉があり、そこからは雰囲気がガラっと変わった。
ひんやりとしており人の気配が無い。
明るかった場所からいきなり暗い場所に入るのは気が引けたが、自宅という事は人が住んでいるわけでも気を引き締めて足を踏み入れた。
廊下を歩く中、見えてくる扉を指差して何の部屋かイルミは教えてくれたが唯一の頭の中に残った記憶は地下に通じる扉だった。
その扉を開けて下って行くと地下には拷問部屋があるらしい。
何のための部屋なのかは流石に聞けなかったが、暗殺者を育てるという事はそういう知識も必要なのだろうと勝手に解釈して「近づかないようにします」と頷いてみせた。
いくつかの扉を過ぎた時、イルミは異色を放つ扉の前で立ち止まると「此処が親父の部屋」と指差した。
いよいよかと思い、スカートを叩き、帽子を被り直したはイルミにゆっくりと頷いた。


2020.08.24 UP
2021.07.28 加筆修正