パラダイムシフト・ラブ2

6

イルミは軽くドアをノックしたが中から応答はなかった。
返事を待たずに開けるイルミの後ろに隠れながらゆっくりと開いたドアの中を覗くと部屋の奥の大きなソファに腰掛ける男と目が合い、息を飲んだ。
まるで全身をナイフで刺されたような痛みが身体に走り、は震えた。
そんなの様子を見たイルミはため息を吐きながら男に向かって「ごめん。言い忘れたけど同業じゃないから」と言った。

「……そういう事は早めに教えてくれ」
「ごめんって。こっちだって色々あってさ、大変だったんだよ」
「それはゆっくり聞くとしよう」

トンと背中をイルミに押されてようやく息が出来るようになった。
瞬きをすると涙が溢れ、隠すように手の甲で拭っては帽子を脱いで頭を下げた。

「お、お初にお目にかかります」
「あぁ。入ってくれ」

イルミの後を追って中に入るが、足の踏み場に困る部屋だと思ったのが第一印象だった。
床に置かれた武器のようなものや、ソファの傍で眠る大きな生き物、そして”一日一殺”と書かれた謎の服を着ている老人と処理する情報量が多くて目のやり場に困った。
横に立つイルミは腕を組みながら母親に邪魔された事を話すのをヒヤヒヤした思いでは聞いていた。

「まぁあれはあれで気になっていたって事だ。ところで、このお嬢さんは?」
だよ。気に入ったから連れてきちゃった」
「こんな素敵なお嬢さんがおるんじゃったら何でもっと早くに紹介せんかったんじゃ」
とは最近出会ったからね」
「何処で出会ったんだ」

鋭い眼光がイルミへと向けられ、も咄嗟にイルミを見た。
この世界じゃない世界で、なんてイルミが素直に言うとは思えなかったの瞳は揺れていた。
場合によってはイルミの答えに話を合わせる必要性を感じたは生唾を飲み込んでイルミの言葉に集中した。
しかしイルミは平然と、信じられない場所を口にした。

「山」

その場に居た全員が言葉を失った。

*****

「つまり……流星街での任務が長引いてターゲットが逃げ込んだ先が山。そこに居たのが、という事か?」
「そうだよ。なんか面白いし、結構気が効くよ。確か熊に育てられたんだよね?」
「えっ!? え、えっと……」

いきなりに視線が集中し、何て答えるべきが考えていると横から異様な圧を感じた。
恐らく話を合わせろと言いたいみたいで、に選択肢などなかった。
嘘をつくならもう少し現実的な嘘をついて欲しかったと心で泣いた。

「そ、そう……です」
「文字も読めないもんね?」
「……恥ずかしながら」
「料理は出来るんだよね。結構美味しいよ」

今まで一度だって素直に”美味しい”と言わなかったイルミが父親のシルバと祖父のゼノの前で言うものだから恥ずかしくなって俯いた。
小声で「ふ、普通です……よ」と言うとシルバは小さくため息をついた。

「少し、と話しをさせてくれ」
「分かった。良いよ」

イルミは軽くの肩に手をおいた。
それに合わせては顔をあげてイルミの方を向くと頬にイルミの指がめり込んだ。
古典的なイタズラに瞬きを繰り返すと「外にいるから」と言われてイルミは部屋から出た。
残されたは唖然としていたがゼノの咳払いですぐに背筋を伸ばして二人に視線を戻した。
穴があくほど見られた、の心臓の鼓動が早くなる。

「先ほどはすまなかった。怖がらせたか?」
「……少し、驚きました」
「どっかの長男と違って素直なお嬢さんじゃ」
「立ったままも疲れるだろう。座ってくれ」
「は、はい……」

はゆっくりと腰を下ろし、持っていた帽子を隣に置いて正座をした。
まるで説教を受けている気分になり自然と身体にも力が入る。
膝の上に手を乗せ、二人を見ながら「今回は突然ですみませんでした」と頭を深く下げた。

「構わない。イルミは一度決めたら絶対に考えを変えないからな」
「頑固なところは父親譲りという事じゃ」
「それで、もう一度聞くが」
「……っはい!」
「本当に熊に育てられたのか」

本当は嘘だと分かっているにも関わらず本人から言質を取りたいがための質問は選択肢など無いように聞こえた。
あんな分かりやすい嘘に騙される人がこの世にいるのだろうか。
も本当の事が言えるならどんなに楽か。

「えっと、それは、その……」

返答に迷いを見せるにゼノは笑いながら助言した。

「お嬢さん。この部屋は防音じゃ。外にいるであろうイルミには一切聞こえんよ。そもそもわしらはこんな可愛らしい格好をしたべっぴんさんが熊に育てられたなんて信じちゃおらんよ」
「ほ、本当……ですか?」
「あぁ。イルミは嘘をつくのが致命的に下手だからな。だから素直に話してくれて構わない」

もし今この場で素直に本当の事を言わなかったら、後々どうなってしまうのか不安になった。
暗殺一家に居るという事は選択肢をミスれば一瞬で消し炭されてしまうかもしれない恐怖が頭をよぎる。
イルミを取るか、その家族を取るか。
本来なら天秤にかけて良い物ではないが、かけざるを得なかった。

「……半分半分です」
「ほう。それはどういう意味じゃ?」
「……私は、文字も読めなければ念、も使えません……帰る家もないので、熊に育てられたようなものです」

は唇を噛み締めながら床に手をつき、頭を床にこすりつけた。

「ど、どうか! イルミさんを怒らないであげてください! 悪気があって嘘をついたわけじゃ、な、ないと思います!」

自分が真実に触れる部分を話した事でイルミが何か罰則を受けるのは耐えられなかった。
土下座の文化が浸透しているのかはわからなかったが、誠意を見せざるを得なかった。
二人からの反応を待っていると、笑い声が聞こえた。
は恐る恐る顔を上げて困惑の表情で二人を見つめた。

「え、えっと……私、何か変な事……」
「イルミの話は2割程度しか信じとらんよ」
「だが無意味な嘘はつかない奴だ。何か理由があって隠したいんだろうな」
「ミルから情報がきたぞい。やはりお嬢さんの情報はデータベースには無いじゃと。流星街から逃げたんじゃ無理もないわい」
「あそこは戸籍なんて有って無いようなもんだからな」
「ま、熊は嘘じゃろうな」

何となくだがとんとん拍子に話が進んでいるようにには見えた。

「しかしこれでイルミも安泰じゃな」
はイルミの仕事を理解しているのか?」
「……実際に見たわけではありませんが、あ、暗殺、と聞いています」
「そうだ。俺達は暗殺業を家業にしていて仕事にプライドを持っている」
「一日一殺。それがわしらじゃ」

暗殺業をこんなにも自信持って宣言出来る人がこの世に何人居るのだろうか。
は黙って二人の話しを聞いた。

「イルミは今ウチの稼ぎ頭だ。ただ、次期当主は三男のキルアでイルミは教育係をやっている」
「そろそろ嫁をと2年ぐらい前からじゃったかな? 言っていたんじゃがなかなかのぉ。興味無いって見合いも断るしで困ってたんじゃが、お嬢さんが居れば安泰じゃよ」
「これからイルミをよろしく頼む」

話しが違う方向にずれだしは「ま、待ってください!」と顔を赤くさせた。
イルミとは曖昧な関係で嫁や夫の関係になる話は一度もしていない事を恥ずかしさを堪えながら二人に話すと二人は頭を抱えて深いため息を吐いた。
羞恥心を殴り捨てたは身体も重ねていない事を勢いで暴露し、さらに二人は頭を抱えた。

「あいつは奥手なのか馬鹿なのか……」
「ここまで不器用とは思わんかった……。わしゃてっきり結婚の挨拶かとばかり……」
「しかし、イルミが初めて連れてきた女性だ。無意識に考えてはいると思うが……ふむ、どうするか」
「わ、私が言うのも変ですが……そういったことにあまり自覚がないタイプ、かと」
「お嬢さんも大変じゃな……しかし、その自覚が無いようじゃとキキョウさんが何て言うか……」

三人の間に沈黙が訪れる。
目の前の二人はまだ理解がありそうだが、肝心なのは母親かもしれないとは理解した。
それもそうだ。
本当の幸せを掴むためには家族全員から認めてもらわないといけない。
ましてやには殺しを行ったこともなければ行う度胸も今は無い。
暗殺一家で何も出来ない事と殺しに否定的ではこの先絶対に良く無い事が起こると感じたは咄嗟に頭をもう一度下げた。

「……私は、本当に何も出来ません。で、でも、イルミさんの隣に並んでも恥ずかしくないようになりたいです!」
「ほぅ?」
「な、なので……此処に置いて頂く代わりに……働かせてください!」
「お嬢さん、殺しは出来るのかい?」
「で、出来ません……が、お屋敷のお手伝いなら、出来るかと!」

はゆっくりと頭を上げて二人を真剣な目で見つめた。

「ルールもあると、思います。此処に馴染めるように頑張ります。そして……イルミさんを落とせるように頑張ります!」

その言葉に二人は顔を見合わせた後、笑った。
こんなに楽しそうに笑う人達が本当に殺し屋なのかと疑いたくなるほど、中身は普通の人だった事に驚きを隠せなかった。
シルバは「よろしく頼む」と言ってにイルミの元に行く許可を出した。


2020.08.26 UP
2021.07.28 加筆修正