パラダイムシフト・ラブ2

7

シルバの部屋から出る時、は一度振り返って頭を下げた。
そんなにシルバは「すまないがイルミを呼んでくれるか?」と言われ、ドアを開けて壁に寄りかかっていたイルミにシルバが呼んでいる事を告げた。
「オレ疲れてるんだけどなぁ」と乗り気な様子ではないイルミだったが父親に呼ばれている以上行くしかない。

「真っ直ぐ行って突き当りを左に曲がればリビングあるからそこで待ってて」
「……分かりました」

靡く黒髪を目で追いかけると扉がしまった。
暗い廊下に1人で居るのは心細く、はイルミに言われた通りにリビングルームを目指して早足で廊下を歩いた。
コツコツと響く自分の足音にドキドキしながら廊下を進み、突き当りを左に曲がると部屋の明かりが漏れているのが見えた。
恐らくその部屋がリビングルームなのだろうと思い、心なしか歩みが早くなる。
その光に誘われるように中を覗くと誰もおらず、は広いリビングルームに思わず「凄い……」と言葉が漏れる。
天井には豪華なシャンデリアと大きなテレビと革張りのソファとセットと思われるガラスの天板が高級感を醸し出すローテーブルが置いてあった。
映画でしか見た事がないような暖炉もあり、なんだか自分が凄く場違いに感じた。
どうしたら良いか分からずとりあえずソファに恐る恐る腰掛けてみたがやはり落ち着かない。
早く迎えに来て欲しいと願いながら部屋を見渡していると「ゲッ! お前、兄貴の……!」少し高い声が聞こえた。
その方向にが振り返るとシルバのような綺麗な銀髪を持つ少年がお菓子の箱のような物を大量に腕に抱えながら入り口に立っていた。

「えっと……お、お邪魔しています!」

は立ち上がって頭を下げると少年は「な、何してんだよ此処で!」と当然の事を聞かれた。
確かに家族以外の者がリビングルームに居たら誰だって驚くだろう。
は勢いで頭を下げた拍子に落ちた帽子を拾いながら「何も、していません。ただ、此処で待つように言われて……」と伝えた。

「は? 兄貴は? 一緒じゃねぇの?」
「えっと、イルミさんは今シル……お父さんとお話してます」
「……お前1人なわけ?」
「そうですよ。話しが終わるまで此処で待つように、イルミさんには言われてます」
「やべっ! 兄貴に見つかったらボコられんじゃん!」

そう言って少年は足音を立てずに走って行ってしまった。
名前も言えず、逆に名前も聞けずに去ってしまった少年だったがすぐに戻って来るとを睨む。

「おい! これの事……ぜってー兄貴に言うなよ!」

どうやら腕に抱えているお菓子の事を言っているようで、は頷くと「ぜってーだからな!」と念押しした後、少年は姿を消した。
この家の家族は皆足音をたてずに歩けるものなのかと変なところで感心しながらはまたソファに腰を下ろした。
膝の上に乗せた帽子を手で遊びながらは少年が言った”兄貴”という単語について考えてみた。
イルミには4人の兄弟が居て三男のキルアが次期当主になる予定だと聞いていたが、もしかしたらと思った。
口は悪かったが兄であるイルミとは全く似ていない少年の風貌は何処かシルバに重なるような気がした。
意志の強そうな大きな瞳は何処かイルミとは違って見え、名前は聞けなかったがもしかしたらあの慌ただしい少年がキルアかもしれないと思いながら天井のシャンデリアを眺めた。
一体何個のガラスの装飾が施されているのだろうか。
うとうとする目で30個まで数えた時、ぬっと現れたイルミの顔がシャンデリアを隠し思わず叫んでしまった。

「何してんの?」
「ギャァアアアアア! な、何!? 貞子!? 痛いっ!」

ソファから飛びのいたは床に転げて後ずさった時にローテーブルに後頭部をぶつけた。
涙目になりながら頭を抑え、「心臓に悪いですよ」と訴えるにイルミは「気づかないが悪いんだよ」と拗ねたように言う。
が足音を消して歩くのをやめて欲しいと訴えるとイルミは音を消してあるくのは基本中の基本でもう癖みたいになってて止めるのは無理だと言われ、この家で暮らしていくには自分が慣れるしかないと諦める事にした。

「お話は……終わったんですか?」
「うん。無断で留守にしたからって結構な量の仕事を押し付けられたよ。いつもはそんな事無いんだけどね」
「……心配したってことですよ」
「面倒臭そうな案件ばっかりだったからただの当てつけでしょ」
「もぅ……素直に受け取らない人ですねぇ」

はゆっくりと立ち上がるとから視線を外さない。
間抜けな姿を見られた後だから見られているのが恥ずかしくて思わず持っていた帽子で顔を半分隠した。

「な、何ですか?」
「親父達に何か言った?」
「何も……イルミさんの話しは、ちゃんと合わせましたよ」

嘘は言っていないが、半分は嘘だった。
冷や汗が出そうになりながらも真っ直ぐにイルミを見つめる。
イルミは大きな目でをじっと見つめた後、気が済んだのか「なら良いけど」と髪の毛を翻した。
暗い廊下にイルミの姿が溶ける前には慌ててその背中を追いかけて一緒に廊下を歩く。
行き先を告げずに何処かに向かうイルミの背中に何処に行くのか尋ねると予想もしない言葉が返ってきた。

「んー。とりあえず何か作って欲しいかな」
「……え?」
「戻ってきた以上明日からはまともな食事は無いと思って良いから。だから最後にアレ、食べたいなって」
「アレ……って何ですか?」
「なんだっけ。カテイノアジってやつ」

曲がり角を曲がって少し真っ直ぐ行ったところでイルミは立ち止まると重たそうな扉をゆっくり開いた。
中にはロングテーブルに椅子が10脚並んだ豪華なダイニングルームが広がっておりの口が言葉を失って開く。
颯爽と歩くイルミの後を追いかけてまさかと思った時だった。
案内されたのは設備が整ったキッチンだった。

「な、な、なんて綺麗なキッチンなんですか……!」

磨き上げられたシンクと広い調理台には思わず感動して、口元を押さえた。
見た事無いような調理器具もあり、大きな冷蔵庫には胸が躍った。
いつもは狭い調理場でスペースを工夫しながらの調理で一度でも良いから広いキッチンで思いっきり色々作ってみたいと思っていた。
家にはなかった大きなオーブンのドアの前にしゃがみこんでガラス越しに中を覗きこみ、「凄いですね!」と興奮していた。
そんな子供のようにはしゃぐの様子をイルミは冷蔵庫に寄りかかり、腕を組みながら見ていた。

「使って良いから作って」
「は!? え? 今から、ですか?」
「うん。ウチの夕飯終わってるし、どうせ明日から毒入りスープとかマヒダケパスタとかだから」
「ちょっと聞きたくない単語が聞こえたんですけど……ま、まさか私も……?」
「どうかな? 一応親父には毒耐性は無いって伝えてきたけどシェフに伝わるかは分からないな」

不安になるような発言にの頭の中で明日自分が口から泡を吹いて倒れる姿が想像出来た。
しかし、出された物は残さず食べないと失礼に値する。
自分の中で葛藤しているとイルミは「それにオレ明日から仕事だから」と大事な事をさらっと言う。

「え?! あ、明日からですか!?」
「うん。親父に押し付けられたって言っただろ?」

この世界に来て早々1人で馴染まないといけないのかと思うと不安だったが、仕事なら仕方ない。
いきなりハードモードな展開だが、この世界に来たいと思ったのは自身だ。
簡単な世界ではないと覚悟した事を思い出し、「わかりました」と腰を上げた。

「イルミさんがちゃんとお仕事で頑張るように……私もご家族と馴染めるように頑張りたいと思います」
「別にいつも頑張ってないけど。あと別に馴染もうとしなくて良いから」
「そうはいきませんよ。やっぱりお邪魔する以上は認められたいじゃないですか」

自分を選んでくれたイルミの評価を落としたく無いと思ったは笑った。
帽子を脱ぎ、邪魔にならないところに置くと「よーし!」と気合を入れた。

「お仕事に行くイルミさんのために、少しだけキッチンを借りますね」
「だから使って良いって言ってるじゃん」
「人様のキッチンを借りるのって結構緊張するんですよ?」

まずは棚という棚を全て開けて中を確認した後、冷蔵庫を開けさせてもらって食材を拝見した。
日本にもある野菜も有れば、一体何に使うんだと思うような食材までラインナップは豊富だった。
見た事無い食材を手にとってイルミに「これは何ですか?」と聞けば「知らない」と真顔で返された。
キッチンを大惨事にさせたイルミに聞くのは間違いだったと悟ったは懐かしさに笑みが漏れ、「ですよね」とそれを冷蔵庫に戻した。
時間も時間なだけにあまり時間がかかる物は作れないと考えたは「そうだ」と閃いた。

「何? 芋と肉のやつ?」
「……それは肉じゃがの事ですか? あれは少し時間がかかるので簡単に作れる卵焼きにします」
「それもカテイノアジなの?」

「ただ卵焼くだけだろ」と確かにその通りの事を言うイルミには人差し指を立てて少しだけ左右に振った。

「我が家の味はとっても甘いんですよ」

冷蔵庫の中から卵を4個を手に取ると、覚えた棚からステンレス製のボウルと長方形のフライパンを取り出して早速卵を一つ割った。


2020.09.01 UP
2021.07.28 加筆修正