パラダイムシフト・ラブ2

11

勢いの良い流水を頭からかぶりながらはシャワー室で蹲っていた。
目を瞑れば思い出してしまうイルミの引き締まった身体に「ぁぁああ……」と頭を抱えて振った。
久しぶりに見た男性の身体に思わず叫びたくなってしまう。
何とか服は着てもらったがまともに顔が見れる自信が無いはゆっくりと顔を上げた。
それでもいつまでもシャワー室に居るわけにもいかず、棚に置かれているボトルに目を向けた。
記号のような文字で何が書かれているのかまったくわからなかったが試しに手に取ってみて手探りでシャンプーとコンディショナーを探し当てて。

身体はさっぱりしたが心はさっぱりどころか疲労感で重たかった。
シャワー室のドアを開け、眼鏡をかけるといつの間に置かれたのかラックの上に緑色のTシャツとバスタオルが置かれていた。
恐らくイルミなりの配慮なのだろうと思い、タオルに手を伸ばしたが肝心なの事に気がついた。

「う、嘘……どうしよう……」

替えの下着が無い事に今更気がつき身体が血の気が引いていく。
Tシャツを身体に合わせてみると幸いな事にイルミの物だからかお尻まで隠れるが、下着が無いのは心細い以上に常識的に危ないと感じた。
そもそもなぜ上しかないのか気になり着ようか着まいか迷っていると部屋の方から「サイズ大丈夫?」とイルミの声が聞こえ、は上ずった声で「大丈夫です!」と答えた。
実際には全然大丈夫ではないが、そう答える以外無くどうしようかと考えてみるが素直にズボンを貸しもらうのが一番の得策だと答えが出た。

「あ、あの……イルミさん」

壁から少しだけ顔を出し、ベッドに座りながら髪の毛を拭いているイルミに声をかける。

「何?」
「えっと……下も貸していただけません、か?」
「……何で?」

ほんの一瞬だけイルミが笑ったように見え、が言葉に詰まると追い討ちのように「ちゃんと隠れるだろ」と言われた。
確かに隠れる事には隠れるが、そういう問題ではない。

「で、でも……あったほうが安全かと……こんな格好じゃ、恥ずかしいですし」
「別に外出るわけじゃないし」
「そう、なんですけどね! そうなんですけど……その……」

下着が無い事を言おうか迷っているとイルミは不意に立ち上がった。
脱衣所まで来るイルミに警戒して身体を縮こまらせたが、本人は何食わぬ顔でドライヤーに手を伸ばしてスイッチを入れた。
熱風がイルミの髪の毛を靡かせる。
それを黙って見つめているとその熱風はの顔に直撃した。

「ぶふっ……! ちょ、イルミ、さん!」
「乾かさないと風邪ひくよ?」
「顔にあてるの、止めてください!」
「なら此処立って。後ろ向いて」

言われるがまま洗面台の前に立たされると頭に熱風が当たる。
下着をつけてないのを悟られたくなく、は胸の前で腕を交差させてされるがまま鏡を見つめた。
わしゃわしゃと髪の毛を遊ばれながらはハラハラしていた。
緊張した面持ちでいるとイルミは下から髪の毛にドライヤーの風を当てながら「やっぱりなんだか懐かしい」と零した。

「え? 懐かしい……?」
「うん。キルやミルキが小さい頃はオレがこうやって乾かしてたから」
「……面倒見の良いお兄さんじゃないですか」
「あいつらは暴れるから大変だったよ」

水気を含んで束になっていたの髪の毛は徐々に解れてバラバラになって風に踊り始めた。
全体的に乾いたところでイルミはドライヤーのスイッチを切ってまた部屋へと戻ってしまった。

*****

「先に寝てて良いよ」とイルミに言われ、下着の問題もあるは言葉に甘えて先にベッドに潜った。
しかし寝ている間に何かをされるかもしれない不安があったはベッドに腰掛けて商売道具である針をじっと見つめているイルミと手元の針を交互に見ていた。
既にオーラが込められた針はイルミの横に置かれ、ざっと10本ほどあった。
眼鏡を窓の縁に置いてしまったためぼんやりとしか見えず、もっとよく見ようと横に置かれた針に手を伸ばそうとした時、「危ないよ」と言われた。

「あ、すみません。触るのも危ないですか?」
「触るぐらいなら問題無いけど、万が一刺さったらオレに操作されるよ?」
「え……こ、怖いんでやめときます」
「うん」

最後の一本の手入れが終わったのか、イルミは一息つくと針を器用に持ってクローゼットの中にそれらを仕舞いに行った。
一ヶ月近くかかる仕事とは一体どんな仕事なのだろうかとはぼんやり考えていた。
起きた時にはイルミは居ないかもしれない。
無性に寂しく感じ、はイルミの背中に向かって呼びかけた。

「ちゃんと、帰ってきます……よね?」

振り向いたイルミがどんな表情をしているのかは分からなかった。

「当たり前だろ? オレが仕事で失敗することなんて、ありえないから」

声は無機質だが、どこか自信があるように聞こえた。
その言葉にはゆっくり頷くと布団の中で身体を丸めると部屋の電気が消えた。
一気に訪れた暗闇。
唯一の光は窓から差し込む月の光だけになった。
いよいよ一緒のベッドで寝る事になるのかと思い、は胸に手を当てて硬く目を瞑ったがイルミがベッドに入ってくる気配はなく、先ほどと同じようにイルミはベッドに腰掛けた。
はゆっくりと目を開けてイルミの方へと振り返った。

「……寝ないんですか?」
「うん」

ふいに伸ばされた手がドライヤーで乾かしてくれた時のようにの髪の毛を遊ぶ。
月の光に照らされるイルミは神秘的でまるで天の使いのような美しさがあり、息を吸うが苦しかった。
こんなにも美しい人が実は殺し屋だなんて誰が想像出来るだろうか。

「何時に、出て行くんですか?」
「んー、あと4時間ぐらいかな」

イルミはポケットから携帯を取り出して画面を一瞬だけ見る。
あまりにも早い別れには一瞬身体を起こしかけたが「寝てて良いから」とベッドに戻された。
寝ないで大変な仕事に行く事は身体に負荷がかかると思ったは少しだけでも仮眠を取る事を提案したが、イルミは鼻で笑った。

「やっぱり誘ってるの?」
「な、なんでそうなるんですか! 違いますよ! どうしたらそういう発想になるんですか!」

折角イルミの事を思って言ったというのに、違う方向に取られては思わず寝返りを打ってイルミに背中を向けた。
「もう知らないです!」と頭まで布団をかぶると小さく笑う声が聞こえた。

「冗談だよ。の反応が面白いから、ついからかいたくなっちゃうんだよね」
「あ、あんまり人をいじめるもんじゃないですよ……」
「仕事の間は会えないから少しぐらい良いじゃん」

軽く頭を叩かれ、は目だけ布団の中から出して「……イルミさんの冗談は分かりにくいんですよ」と零した。

「でも半分は本気だよ?」
「……どうせそれも冗談ですよね。もう騙されませんよ」

目を細めてイルミを睨む。
の眉間に寄った皺にイルミは人差し指を軽く当てた。

「本当だよ」
「……騙されません」
「下着もつけない女の横で寝れるほど、オレは優しい男じゃないよ」

口元だけで笑うイルミは天の使いではなく、悪魔だった。


2020.09.11 UP
2021.07.28 加筆修正