パラダイムシフト・ラブ2

13

翌朝、あまり寝た気はしなかったが太陽の日差しで目を覚ました汐那は自分しか居ない殺風景な部屋を見渡した。
仕事に行ってしまったイルミの居ない部屋は酷く静かで何だか閉じ困られているような気がした。
これからイルミが戻ってくるまでの間は一人で生きていかなければならな事とを思うと怖かったが、こんなことで怖気付いていてはあの人の隣には並べないという思いもあり汐那はため息をこぼしながらベッドから降りた。
窓辺に置いておいた眼鏡をかけ、Tシャツ一枚しか着ていない身なりでどうしようかと考えた。
まだ脱衣所には昨日着ていた服はあるが、初日と同じ服を着るのは抵抗があった。
そんなことを考えていると誰かが部屋のドアをノックした。

「あ、はーい!」

ドアを開けようとしたが自分の格好に躊躇いがあった。
ちゃんと色々と隠れていることを確認してからゆっくりとドアを開けるて顔を覗かせると額に何かがぶつかった。

「痛っ!」

床に落ちたそれを見ると一枚のコインだった。
額に手を当てながら顔を上げると目の前には黒い燕尾服を着た眼鏡の男が立っていた。
口元は笑っていたが、切れ長の目は一切笑っておらず嫌な感じが身体にまとわりつくのを感じて思わず後ずさった。
何と無くこの感覚は経験があった。
イルミと最初に会ったあの路地裏で感じた嫌な気配に近く、汐那は「ど、ど、どちら様……ですか?」と言うのが精一杯だった。
格好を見るからに執事のように見え、昨夜聞いたイルミの言葉が頭の中で木霊する。
ポっと出の存在の自分を快く思わない執事が居るのは致し方ない事だとは思うが、まさかこんなにも早く遭遇するとは思っていなかった。

「……名乗りもしない者に扉を開けるのは危険ですよ、汐那様。コインでなければ、死んでいました」

男は落ちたコインを拾い上げると胸ポケットにそれをしまった。

「……えっと、汐那……様?」
「汐那様はイルミ様のお連れ様と旦那様から伺っております。昨夜はウチの見習いがお世話になったようで」

屋敷に着く前に遭遇した見習い執事のことを思い出した。
あの時、職務を果たそうとイルミを止めようとしたがあっけなく針を刺されて大変な事になっていたが、そのあとのことは分からない。
汐那は「その人は、大丈夫でしたか?」と探るように聞くと男は「汐那様が気にされることではありませんから」と冷たい笑顔ではぐらかされてしまった。
何だか雰囲気が近寄りがたい男に汐那は不信感を抱いたが、それは逆に男にも言えることかもしれないと考えた汐那は意を決して部屋に入るよう伝えた。

「……挨拶もなしに脅した私を部屋に入れてくれるのですか?」
「な、なんかあれば大声出しますから」

「どうぞ」と汐那は震える足で扉から離れると男は笑った。

「まったく……イルミ様ともあろう方がこんなにも頭の悪い女を連れてくるとはな」
「え?」
「家族と思われていないガキを誰が助けるんだよ」

先ほどまでの丁寧な喋りとは裏腹に急な口調の変化に汐那は震えた。
眼鏡に触れた手にはコインが2枚握られていた。
どこかに逃げないと危ない気がしたが殺風景な部屋に隠れられる場所は何処にも無い。
布団に包まればなんとかなるかもしれないと考えた汐那は男に背中を向けると強烈な痛みを両膝裏に感じた。
燃えるような痛さのあと、足に力が入らなくなり汐那は声をあげながらその場に倒れこむとシャツが捲れた。
息も出来ない痛みに耐えながらシャツに手を伸ばすが届かない。
必死に汐那が手を伸ばす横で、男はゆっくりと汐那に近づいてしゃがむとむき出しになっている汐那の白い足に触ふれた。
その手が気持ち悪かったが”やめて”という三文字が汐那の口から出てこない。

「昨夜はお楽しみだったわけか」
「……ち、ちがっ……!」
「どうやってイルミ様を誑かしたか知らねぇけど、オレ達はテメェの存在は認めねぇ」

何も出来ない相手に何故ここまで卑怯な事をするのか。
涙が溢れそうだったが必死に堪えながら汐那は男を精一杯睨んだ。
男は眼鏡を直したあと、落ちたコインを拾うと立ち上がり、肩で息をする汐那を見下ろした。

「後1時間で朝食だ。それまでにダイニングに来なければ、旦那様達にはテメェは逃げたって伝える」
「う、そ……何で……」
「そうなったらテメェは俺が責任を持って処分してやるから覚悟しておくんだな」

男はパチンと指を鳴らすと部屋の前で待機していたらしい他の執事が数人入ってきた。
その手には昨日の夜、イルミが買ってくれた服屋のロゴが記された紙袋が4つとピンク色の袋が1つ。
乱雑に置かれた袋に胸が痛んだ。
折角自分のために買ってくれた物をそんな風に扱って欲しくなくて首を横に振った。

「あ、あのっ……ま、待って……く、ださい‥‥…!」

汐那は伸ばした手で男のズボンの裾を掴むがすぐに足ではらわれた。
まるで汚い物を見るような軽蔑した目を向けられたが汐那にも此処まで来た意地がある。
そう簡単に諦められない。
イルミが居ればこんな仕打ちを受けることはないのだろうが、それは逆を言えばイルミが居ないと何も出来ないのと同じだと汐那は感じた。

「私は……死ぬわけには、いか、ないん……です!」
「ほぉ? そんな動けない身体でどうするっつーんだ?」
「……行き、ますよ。……必ずっ……!」
「せいぜい足掻くんだな」

男は小さく鼻を鳴らしながら「一般人が居れるような世界じゃねぇんだよ」と一言言い残して部屋から出て行った。
どこかその声は先ほどの凄みとは違って諭すような音色に聞こえ、汐那は去っていく背中をただただ見つめていた。


2020.09.18 UP
2021.07.28 加筆修正