パラダイムシフト・ラブ2
14
「あれで……良かったのです?」と暗い廊下を歩きながら1人の執事が不安そうな声で男の背中に声をかけた。
男は眼鏡のブリッジを抑えながら「それは奥様の命令の事を言ってんのか?」と静かな声で逆に聞き返した。
「は、はい……奥様は……あの女を始末しろ、と」
「仮にもイルミ様の連れだ。それに……」
「それに?」
男は小さなため息をついたあと、「いや、何でもねぇ」と答えをはぐらかした。
家族が集合する時間まで後1時間。
が来ることを願うような表情で男はダイニングのドアの前で立ち止まるとその扉をゆっくりと開けた。
*****
は床を這い、何とかベッドまでたどり着きベッドを使って何とか身体を持ち上げた。
下半身全体が痺れて何とも気持ち悪い感覚が押し寄せてくる。
初めての感覚には目元を拭いながらふいにドアの前に乱雑に置かれた紙袋を見た。
あの中にはイルミに買ってもらった服が入っている。
それをまずは着ないと朝食どころか部屋からすら出られない。
感覚が無い足をゆっくりと動かすとなんとか立ち上がる事は出来たが一歩を踏み出したところでバランスを崩して倒れた。
「あぁ……もう!」
自分の非力具合に悔しさがこみ上げてくる。
ゆっくりと上半身を動かして、なんとか紙袋までたどり着くとそれに手を伸ばした。
形を崩した紙袋の中から膝を隠せるスカートと無難な黄色のブラウスを手に取るとタグはしっかり取られていた。
そして気になったのは見慣れないロゴが記されたピンクのビニール袋だった。
身体を起こしてその袋をひっくり返すと10点のブラとショーツのペアと1本のハサミが床に転がった。
レースが付いたものやシンプルな物から一体誰がつけるんだと思うような物まで様々だった。
しかもそれはどれも緑色をベースにしたもので、ふと自分が着ている緑色のTシャツを見る。
偶然なのか、それとも狙ってこの色なのか。
折角用意してくれのだから文句は言わず、は無難な形のショーツを手に取るとそれにはタグが付いていた。
新品で安心したは袋に入っていたハサミを使って派手なデザインは後回しにして日常的に使用出来る物のタグを全て切る。
すぐにそれを履き、次はブラへと視線を移す。
見るからにサイズが合いそうなカップの大きさには思わず生唾を飲み込んだ。
周りを警戒しながらシャツを脱ぎ、ショーツとペアになりそうなブラをつけているとサイズは丁度良く、一体何時誰が何処で調達したものなのか怖くなった。
ブラウスを羽織り、フレアのスカートを履いた後、壁に手を付いて立ち上がって一歩一歩床を確かめるように足を動かして脱衣所まで向かった。
ボサボサの髪の毛を水で抑え、涙の後が残る顔を洗うといくらかすっきりしたが、この扱いがほんの序章にすぎないとすれば、これからイルミが帰ってくるまでの間身体が持つのか不安がよぎる。
「いや、耐え切らなきゃ……」
思わず出た言葉には真っ直ぐに鏡を見た。
皆と仲良くなり、認めてもらわなきゃイルミの隣に並ぶ資格なんて無い。
は気合を入れるように「よしっ」と軽く息を吐いた。
鏡に映るはコンタクトレンズも無ければ、いつも日課になっていたメイクもしていない素顔はお世辞でも可愛いとは言えないが、全てを捨てて覚悟を決めた女の顔をしていた。
まずはダイニングに行って、まだ知らない他の家族に挨拶をする。
それを目標には身体を支えるために手を付いていた洗面台から手を離した。
*****
男は腕時計を見ながら小さなため息を吐いた。
最初にダイニングに入ってきたのはゼノだった。
背筋を伸ばして男が頭を下げるとゼノは笑いながら「相変わらずゴトーは早いのぉ」と笑いながら席に着いた。
「お早う御座いますゼノ様」
「イルミのお嬢さんには朝食の時間は伝えてきたのか?」
「はい。勿論です」
ゼノの質問に静かな笑顔を浮かべた男、ゴトーはもう一度腕時計を見た。
朝食まであと30分。
ぞろぞろと集まりだす家族にゴトーはゆっくりと目を瞑った。
「あれ? あの女まだ来てねぇの? なんだっけ、えーっと」
「だ、キル」
「あ、そうそう。ん? 兄貴は? 仕事?」
一番最後にダイニングに入ってきたキルアは一つ空いてる席を見ながら自分の席に座った。
「急な仕事が入ったようじゃよ」
「ふーん」
「それより早く飯にしようぜ!」
「食わなきゃ痩せんのに」
「何だとキル! もう一回言ってみろ!」
次男のミルキと三男のキルアの喧嘩が始まろうとした時、おかっぱの黒髪を靡かせながら「朝から五月蝿い」と呟いたのは五男のカルトだった。
そんな息子達を見てシルバが呆れたようにため息を吐くと横に座るモノアイが怪しく光るゴーグルを装着し、顔に包帯を巻いた女が手を叩く。
「もう! 行儀の悪い子達ね! ゴトー! 早く運んでちょうだい!」
「……承知しました」
ゆらゆらと揺れるモノアイがゴトーを見つめる。
”を待たずにさっさと始めろ”と言っているようでゴトーは軽く頭を下げた。
しかしそれに納得がいかなかったのはゼノだった。
「おいおいキキョウさん。イルミのお嬢さんを待たずに食べ始めるのはちと失礼じゃろ」
「んまぁお祖父様。朝食に遅れるような娘、イルミにはふさわしくありませんわ。そうよね、ゴトー?」
”話しを合わせろ”とモノアイが揺れる。
「奥様の仰る通りかと」
「もしかして迷子にでもなってんじゃねぇの? ウチ広いしさ」
「オレ探してくるよ」と立ち上がったキルアを厳しく制したのはキキョウと呼ばれた女だった。
「食事が始まるのに席を立とうとするなんてダメよ! お行儀が悪い! キル、座りなさい」
「……ッチ」
「ゴトー。貴方が見てきたら良いわ」
渋々といった様子で仕方なく座りなおしたキルアは頬杖をつきながら「ゴトーは良いのかよ」とふてくされた。
もう一度頭を下げたゴトーがダイニングのドアを見た時だった。
微かに動いた扉に反応したのは大人の4名のみ。
「あ、あの……遅れて、ごめんなさい」
ゆっくりとドアを開けたて顔を覗かせたのはだった。