パラダイムシフト・ラブ2

15

暗い廊下を1人で歩くのは心細かったが、昨日の記憶を頼りには廊下を歩いた。
曲がり角を曲がり、微かに聞こえる声を頼りに痺れる足を引きずりながらは懸命にドアを目指した。
額には脂汗が浮かび、袖で拭いながら唇を噛み締めて一歩一歩確実に足を動かし、心のあたりのある冷たいドアに触れて力を込めるとその扉はゆっくりと開いた。

「あ、あの……遅れて、ごめんなさい」

ドアを開けると7人の目がに集中する。
その奥に居た黒い燕尾服を着た男に怖気付きそうになったが、真っ直ぐに見つめた。
何処となく先ほどの険しい顔と違い安堵しているような表情に若干驚きながらも壁を支えにふらつきながらダイニングに入ったは詫びるように頭を下げた。

「折角の朝食に、すみませんでした。お屋敷が広くて……迷子になってる途中で足をくじいてしまって」

みっともない言い訳だったが、家族の居る前で執事にされた事を話す気にはなれなかった。
頭を下げるに最初に声をかけたのはキルアだった。

「おっせーよ! っつーか、顔色最悪じゃん」
「ご、ごめんなさい。でも、食欲はある、んで大丈夫です」

は痛みに耐えながら笑うとシルバはその場で立ち上がり空いてる席を視線で教えてくれた。

「配慮が足りなくてすまなかった。此処に座ってくれ」
「……ありがとうございます」

一歩を踏み出した時、変な力が入ってしまい膝裏に激痛が走る。
思わず顔を歪めて身体を屈めそうになるとキルアが席を立ってを支えた。

「おい、大丈夫かよ?」
「……ありがとうキルア君。私は、大丈夫だから」

貴方の脅しには負けない。
そんな意味を込めては一瞬執事の男を見た。
心配するキルアにもう一度歩ける事を伝えてはゆっくりとした足取りで、テーブルの末端に、シルバの前の席の椅子を引いた。

「どうやらキルとは面識があるようだな」
「……えっと、昨日、ちょっとだけご挨拶を」
「兄貴がどんな女を連れてきたのか気になったからちょっとだけからかってやったんだよ」
「そうか。なら今日はキルが屋敷を案内してやってくれ」
「えー! オレ今日一日中ゲームしようと思ってたのに!」

子供らしい発言にが笑うとシルバは改めて家族の前で紹介してくれた。
その間、顔に包帯と大きな帽子だけでも目立つのに目を隠すようなゴーグルを装着している女性が気になった。
先ほどから口元がピクピクしており、激しくモノアイが揺れている。
恐らく彼女が噂のイルミの母親なのだろうが、巻かれている包帯の原因に心当たりがあり生きた心地がしなかった。
シルバは山で育った事は伏せてくれた代わりに”流星街の出身”と皆に紹介した。
自身流星街なんて言葉も初めてで何処にあるのかすらも分からないが、前の日に聞いた2人の会話から無法地帯の危険な場所で戸籍も何も存在しない地域であろう事はおおよそ予想がついた。

「最後にからも何か一言言ってやってくれ」
「は、はい」

緊張感のあるダイニングルームは何だか入社式の挨拶の雰囲気に似ていた。
新しい仲間に興味を示す者や、無関心な者、煙たく思う者。
そんな色んな感情が混じった視線を浴びながらは一度大きく深呼吸をした。

「私は、本当に、何も知らない世間知らずな人間です。イルミさんに拾って貰って、このお屋敷に招いてもらったのは有難いですが働かざる者食うべからずという言葉があります」

一人一人の目を見ながらはゆっくりと思っている事を言葉にした。

「何か私に出来る事があれば何でもさせて欲しいです。ご迷惑にならないよう頑張りますので、宜しくお願いします」
ゆっくりと頭を下げるとゼノが「何だかキキョウさんが挨拶をしに来た頃を思い出すのう」と笑った。
挨拶も終え、シルバから座るように言われてはゆっくりと席に腰を下ろした。
聞けば今座っているところがイルミの定位置らしく、イルミが帰ってくるまではそこに座るように言われた。
何とか挨拶を乗り切ったは勝ち誇った笑みを執事の男に送った。

*****

早々に仕事を終えたイルミは予め予約されていたゾルディック家御用達のホテルに居た。
椅子に腰掛けて足と腕を組みながら寝ていたイルミはゆっくりと目を覚まして、デスクの上に置いておいた携帯を手に取った。
髪の毛をかきあげながら虚ろな目で画面を見る。
受信していたメールに返信を送るとイルミは未使用のベッドに携帯を放り投げて立ちあがる。

バスルームへと向かいさっさと服を脱ぎ捨ててシャワー室のバルブを捻った。
勢いよく飛び出した水はすぐにお湯へと変わり、イルミの髪の毛を重たくさせる。
目を瞑ると思い出すのはの事だった。
母親は何をするか分からない。
同業者だろうが一般人だろうが屋敷に自分が認めた者以外には容赦はなく、念の使えないは恰好のカモだ。
そのために見張り役を何人か忍ばせておいたがその見張り役からの連絡は何もなかった。
もし何かあればすぐに連絡が来るだろうがまだないという事はとりあえずトラブルなく進んでいることになる。

「はぁ……面倒臭いなぁ」

無理やり押し付けられた仕事はまだまだ残っている事にため息が漏れた。
思えばこれまでずっとと一緒に生活をしていて仕事と切り離された生活だった。
元の世界に帰れば溜まる仕事を片付けないといけない事は分かりきっていた事だが、まさか家族の仕事を押し付けられるとは思ってもみなかった。
今までなら用意されたホテルも仕事も全く気にならないが、どうも部屋にが居ないのは落ち着かない。
もともと1人を好む性格ではあるが、いざからかい相手が居なくなるとそれはそれで少し物足りない。
さっさと終わらせて家に帰りたいところだがご丁寧にスケジュールが振られている。
意地でも一定期間は家に帰らせないらしい父親と祖父の計画に嫌な予感がした。

もしが家族に受け入れられたとして、他の兄弟がを求めだしたら。
無意識の塊で危機感もないく、人を簡単に信じるお人好しのの魅力に気づいてしまった。
もしかしたら自分の知らないところで色んな知識を身につけて自分の知らないになっていたら。
考え出したらキリがなかった。
いっその事頭の中に針の一本や二本を挿しておけば良かったかもしれないと後悔した。


2020.09.19 UP
2021.07.28 加筆修正