パラダイムシフト・ラブ2

16

シルバの計らいで食事に関しては問題なく済ませる事が出来たが、肝心の味に関しては緊張していたからか全く覚えていない。
食器洗いを手伝う事を名乗り出たが執事の仕事だとシルバに言われ、は何も言えなかった。
結局キルアに「さっさと行こうぜ」と言われては頭を下げてダイニングを後にした。

暗い廊下を歩く時、キルアはの歩調に合わせて前を歩いてくれた。
細部まで屋敷の部屋を案内してくるキルアは何処か警戒しているのかの顔を見ようとはしなかった。
それでも気遣ってくれる態度に有り難さを感じながらはキルアの後を続く。

真っ直ぐの廊下を歩きながらキルアは振り返らずに「……昨日は、サンキュー」と小さく言った。
はその意味を一瞬考えた後「キルア君も話を合わせてくれて有難う御座います」と笑った。

「別に……あの後、その……何かあった?」
「いいえ。特に何も」

は小さく横に頭を振るとキルアはやっとの顔を見た。

「なんかお前って……変だよね」
「変……ですか?」
「ウチの家族見てビビんねぇの?」
「……イルミさんで大分慣れましたから」
「まぁ、兄貴が家族で一番変人だから。嫌、母親の方が変かな?」

キルアが突き当りのドアを開けると眩しい太陽には目が眩んだ。
目を手で隠しながらキルアの後を続くと目の前には広大な自然が広がっていた。
山全体がゾルディック家の所有物と聞いていたが、月が照らす雰囲気と太陽が輝く景色は別物に見えた。
まるで映画の世界のような景色が広がっていて思わずは声をあげた。

「此処がウチの庭。外での手合わせとか、果物取ったりとかしてる。見ての通り何もないけど景色だけは良いから結構気に入ってんだよね」
「す、凄いですね! とっても綺麗です! 大自然って感じがします!」
「そう? 山なんだから自然なのは当然じゃね?」
「普通の家庭は山とか所有してませんからこんなに広いお庭や景色は見られませんよ!」
「ふーん。そっか」

キルアは足元の石ころを一つ拾った。
何をするのかと見ているとそれを振りかぶって一際目立つ大きな木に向かって投げた。
腕の振り方があまりにも早く、見た目と似合わない剛腕には思わず口が開いてしまった。
投げられた石はカサっと葉の間を通った少し、遅れて何かが落下するような音がした。

「お。当たったかも。来いよ」
「あ、ちょっと待って下さい!」

軽く走るその背中を足を庇いながら追いかける。
茂み入ると葉っぱをクッションにしている赤いリンゴが落ちていてよくこんな小さな的に当てる事が出来るなぁと感心した。
小石が当たったのか少しえぐれているリンゴをキルアが拾うと服で丁寧に拭き、それをに渡した。

「食えよ」
「……え? た、食べれるんですか?」
「うん。ウチのリンゴ、甘くて結構美味いんだぜ?」

ニコっと笑った笑顔に断る事が出来ず、は恐る恐るそれを口にした。
口の中全体に伝わる酸っぱさにはすぐに顔を歪め、口元を押さえながら「酸っぱ!!!」と言った。
それを見たキルアはお腹を抱えながら笑い出した。

「嘘だろ!? 普通食うかよ!」
「……やばい……本当に酸っぱいんですけど!」
「当然だろ? だって時期じゃねーし。っつーか分かるだろそれぐらい」
「うぅう……もう何これ、めちゃくちゃ酸っぱい……」
「あーウケる。ほんと何にも知らねぇんだな」

キルアは目元を指で拭いながら笑っていた。
リンゴに関しては酷いと思ったが、キルアの自然な笑顔を見れた事では嬉しかった。
少し近づき難い雰囲気が和らいでいくのを感じてもしかしたらキルアとなら仲良くなれるかもしれないと思った。

「もう。ダメですよ大人をからかっちゃ」

一口齧ったリンゴをキルアに渡すと、キルアはそれを茂みの奥へと放り投げた。

「別にからかってねーよ。兄貴の女だから試しただけだし」

手をズボンで払うとキルアは茂みから出て行った。
その後を追いかけながら「兄貴の女?」と聞き返した。

「だって兄貴が女を連れてくることなんて一度もなかったし」
「そう……なんですか?」
「見合いだってずっと断ってて母親がヒステリー起こしてたぐらいだから。鬼畜で何考えてんのか分かんねー顔してる兄貴が連れてくるんだから相当やばい奴かと思ったけどさ」

キルアはドアを開けてに振り返ると笑った。

「すげー普通じゃん」

その笑顔は警戒がない10代の男の子が見せる純粋な笑顔に見えた。

*****

最後にはキルアの部屋を案内された。
イルミの部屋とは違って物が溢れ、お菓子の箱が至る所にあり足の踏み場がない。
洋服も脱ぎっぱなしのものなか乱雑に置かれてクローゼットが仕事をしていないように思えた。

「で、此処がオレの部屋な!」

まるで自分の城のように自慢するキルアにはやや苦笑いを浮かべた。
好きなところに座るように言われたが何処に座って良いのか分からず立ったままでいるでキルアはお菓子の空き箱を足で蹴り始めた。
わざわざ座る場所を作ってくれたのは有り難かったがそれよりも空き箱が放置されている事の方が気になってしまい「掃除は執事さんですか?」とキルアに聞くと「ちげーよ」と返ってきた。
ベッドに座ってロボットのようなキャラクターのぬいぐるみを抱き締めるキルアには「ならお掃除は誰が……?」と聞いた。

「自分でやるし」
「え……でもこれじゃ……空き箱とか沢山あるし、お友達とかビックリしないんですか?」
「友達?」

のその一言にキルアの表情が一瞬暗くなった。

「学校の……友達……とか」
「オレ学校行ってないから」
「え?」

聞けば勉強は全て執事が見てくれているようで学校には行っていないらしい。
だから同年代の友達は居らず、ずっとこの屋敷で生活をしている事を聞いては申し訳ない気持ちになった。
コミュ力もあり、大人をからかう男の子らしい性格故にさぞ学校では人気者だろうと思ったが実際は違った。
キルアもイルミ同様に一般人が感じる喜びや”普通の一般的な生活”を知らない事を思うと不憫に思えてならなかった。

「……なんか、その……すみません」
「何でお前が謝んの? っつーかさ、何で兄貴にオレのこと言わなかったの?」
「言わなかった、とは?」
「……兄貴が言ってたけど夜のお菓子は禁止なんだよ。だからその……」

言いにくいのかキルアはから視線を外すとぬいぐるみに頭を預けた。
やはりイルミの読み通りキルアはがイルミにお菓子の事を告げ口をすると思って尾行していたらしい。
威厳のある兄には逆らえない図を目の当たりにしては「そうですねぇ」とゆっくりと口を開いた。

「キルア君と、仲良くなりたいって思ったから……ですかね?」
「は? オレと?」
「それに”言わない”って約束もしましたし」
「まぁ、そう、だけど……」
「大人として約束を破るのは良くないじゃないですか」

「ね?」と笑うとキルアは探るような視線をに送る。
は膝で立ち上がると空き箱を踏まないようにベッドに近づいて右手を差し出した。

「私と、お友達になりませんか?」
「は!? お前と?!」

キルアは驚きながらの手と顔を交互に見たあと「何でオレが!」とそっぽを向いた。

「ヤダよ! 今回は言わなかったにしてもなんかあったらどうせ兄貴に言うんだろ!」
「私はお友達を売るような事はしません。色々お家の事やキルア君の事、教えて下さい」

真剣な目でキルアを見ているとゆっくりと視線を合わせてくれた。
大きなガラス玉のような綺麗な瞳がの手をじっと見つめる。

「……友達は敬語とか使わないんだぜ」
「え」
「なんかお前……執事みたいな話し方だし……執事は友達になれないって、カナリアが言ってたし……それに兄貴の……女だし」

ぬいぐるみの手を動かしながら何とか言葉を繋ぐキルアが可愛く見えた。
どうやらキルアは子供ながらに敬語が気になっているようだった。
”友達”が居ない子供心を思うと自分と対等に話してくれる相手が欲しいのだろう。
自分の置かれている環境に少なからず何かしらのコンプレックスを抱えているように見えたは「キルア君」と呼んだ。
ほんの少しだけ悲しみに色を宿したアイスグレーの瞳が真っ直ぐにを見る。

「敬語を止めれば、私と友達になってくれますか?」
「……ゲームも一緒にやってくれねーと無理」
「分かりました」
「……あと、秘密は絶対に言わないって約束できる?」
「勿論です。約束します」

揺れる瞳にの顔が映る。
その瞳を見ているとキルアは”友達”という存在を通して人としての温もりを求めているように見えた。
優しくが笑うとキルアは唇を噛み締めた後最後のお願いを言った。

「急にどっかに、消えたりするのも無しな」
「私は行く宛のない人間ですから」

そうが言うとキルアはの右手にゆっくりと自分の右手を重ねた。
固く握られた右手に若干の痛みを感じたは「ちょ、痛いです」と言うとキルアは笑った。

「はぁ? 今から友達なんだから敬語は無しだろ?」
「そ、そう……だったね。よろしくね、キルア君」
「あぁ。これからよろしく、

その言葉はイルミの指輪を外すのに協力する事を承諾した時に言われた言葉と一緒だった。
懐かしさや、本当にイルミの家族と時間を共有している事を思いながらまずは一歩前進出来た事に嬉しさがこみ上げてきた。
その日からキルアに連れ回される日々がやってくる事をこの時のはまだ知らない。


2020.09.21 UP
2021.07.28 加筆修正