パラダイムシフト・ラブ2

24

夜風に黒髪を靡かせるイルミはホテルの屋上で緊急時にしか要請しないヘリコプターの到着を待っていた。
腕を組みながら人差し指で秒数を刻むように動かしていると持っていた携帯電話が震える。
すぐにそれを耳に当てて「まだなの?」と開口一番に言うと執事の猛烈な謝罪にイルミは眉間に皺を寄せた。

「イ、イルミ様! 誠に申し訳御座いません!」
「もういい。どうせ無理なんだろ。下に来てるよね」
「は、はい! すでに待機済みです!」
「わかった」

開口一番の執事の謝罪から予想していた通りでヘリコプターの要請許可は父親から下りなかった。
自分を家に帰さないために組まれた綿密な仕事のスケジュールにイルミから溜息が漏れる。
仕方なくイルミは屋上の淵に立ち、一台の黒塗りのハイヤーがホテル前で待機しているのを確認するとそのまま飛び降りた。
地上からどれくらい高さがあろうと関係ないが、もしこの場にが居て、抱えて飛び降りたらどうなるだろうかと想像した。
失神するだろうか、それとも泣き叫びながら首に縋り付くだろうか。

「今度やってみようかな」

これぐらいの高さでビビっていては先が思いやられるがそんな純粋な反応がイルミにとっては新鮮で、予想出来なくて面白いものだった。

「よいしょっ」

綺麗に着地するとホテルに入る通行人が悲鳴をあげる。
振り返ると若い男女のカップルで空から降ってきたイルミに対して恐怖を感じているようだった。
仲睦まじく腕を組んでる二人を見て一瞬だけイルミの目が細くなり、考えるよりも先に手が動いていた。
二人の額に刺さった針によってか頭が少しずつ膨らみ、白目を抜きながらカタカタと震えだした二人はおぼつかない足取りでホテルへと入って行く。
ヨタヨタとフロントカウンターまで歩いたところで頭が破裂し、ドア越しに従業員達の悲鳴が聞きながらイルミは止まっているハイヤーへと近づくとゆっくりと後部座席のドアが開いた。
イルミが何も言わずに乗り込むと運転手である執事が振り返って頭を下げる。

「申し訳ございませんでした! 旦那様からの許可がどうしても下りず」
「それはさっき聞いたし、そうだろうなって分かってたから」
「で、ではこれから現場に向かわせて、い、いただきます」
「そうして」

イルミの静かな声に震え上がる執事は歯をカタカタ言わせながらエンジンを起動させるとすぐに車を発車させた。
バックミラー越しに見るイルミは真っ直ぐに前を向いておりいつも通りだったが、その手に握られている針が気になって仕方がなかった。

「つ、次のスケジュールは……今から2時間後にその」
「ねぇ。今回オレに着く執事ってお前なんだよね」
「は、はい! 執事長からの指名でして」
「分かってたけど、許可も取れないような使えない執事はいらない。別なの用意するからお前はもう要らない」

執事が赤信号でブレーキを踏んだと同時にイルミは手に持っていた針を投げると、執事の後頭部に針がストンと刺さり、執事の口からくぐもった声が漏れる。
ピクピクと身体を震わせる執事を見ながらイルミは携帯電話を取り出してすぐに屋敷へ電話をかける。
1コール後に女性の声が聞こえ、イルミはすぐに「オレ。ゴトーに変わって」と伝えると保留音が流れた。
待たされている間に信号は青に変わると、前後に身体を揺すりながら「あ…あ、あっ……」と漏らす執事がアクセルを踏む。

「あ、ゴトー? オレにつけてる執事なんだけど使い物にならなくなったから代わりをよこして欲しいんだ」

端的に伝えると電話口のゴトーから「承知しました」と返ってきた。

「それとさ、オレはに”警戒心ぐらいつけさせといて”って言ったよね? ”傷物にしろ”とは言ってないんだけど。どういう事? 」

それだけ言うと電話相手であるゴトーは「しかし、あのレベルではこれしか方法がありませんので」と言うと「もっと威力弱めてよ。痕になるじゃん」とあの冷徹で仕事の為なら一般人をも躊躇いなく利用する血も涙もない男から出てくるとは思えない言葉にゴトーは絶句しているようだった。
小さくため息を吐いたイルミは携帯を少しだけ耳から離して「お前、煩いよ」ともう一本の針を執事に投げる。
途端に黙った執事はゆっくりとハンドルを切った。

「分かった? あぁあとちょっと聞きたかったんだけどあの3人は何してるの? は母さんに狙われてるって自覚はあるの? キルだって大事な時期なんだから寝なきゃいけないのにいつまでもゲームばっかしてさ。この前なんて2時までやってただろ。大体ミルキもミルキだよ。母さんが手を出さないように監視してろって言っておいたのにいっつもオレへの報告が”ゲームしてる”とか”ギャルゲーやらせてる”とか”庭の熟して無いリンゴ食べてた”とかさ。そうじゃないんだけど。オレは母さんの監視って意味で言ったのにミルキってやっぱりバカなの? って、オレの話し聞いてる?」
珍しくマシンガンのように話すイルミに思わず笑ってしまったのが聞こえたのかイルミの声がもうワントーン低くなる。

「オレ達と違って危機感も警戒心も全く無いし、それでいてバカみたいにお人好しだからコロっと騙されたりなんかしてって何。真面目に話してるんだけど」
「いえ、何でも。ただ、イルミ様が心配されるような事は何一つ起こっておりませんのでご安心下さい」
「当たり前だろ。何かあってからじゃ遅いから。あとホテル変えるから場所はまた連絡する」
「……また一般人を?」
「芸人が”リア充は爆発しろ”ってよく言ってたから爆発させてみた」
「はい?」
「ううん何でも無い。じゃ、よろしく」

イルミは電話を切る背もたれに身体を深く沈めて廃人と化した執事に「もっとスピードだして」と指示をした。
時間の指定がなければさっさと全ての仕事を終えて帰るのに。
それが出来ない窮屈な状況にイルミはもう一度ため息を吐いた。


2020.10.05 UP
2021.08.02 加筆修正