パラダイムシフト・ラブ2

25

イルミからの一方的な電話を終えたゴトーは大きなため息をつきながらデスクチェアの背もたれに背中を預けた。
固唾を飲んでその会話を聞いていた新米の執事は一言「あ、あんなに喋る方だったんですね」と驚いていた。

「重症だろ?」
「重症……ですね」
「分りやすいにも程がある……が、本人はこれっぽっちも気づいちゃいねぇんだからたちが悪い」
「しかし、様はイルミ様のお連れ様ですよね? 元からそういう関係では……?」
「暗殺一筋で育てられてすり寄ってくる女は皆権力目的と思ってる男が急に恋愛に目覚めるわけねぇだろ。あれはただの”お気に入り”だろ」
「……どうするんですか?」

その一言にゴトーは大きなため息を吐いた。
よりによってイルミにの額の赤みがバレてしまったのは痛手だった。
一体どこから情報が漏れたというのか。
報告任務を受けているのは自分だけで、ミルキは屋敷のカメラやログから母親を監視しているはず。
自分もミルキもに”傷”がついた事をイルミに正直に伝えるほど馬鹿ではない。
となると自分とミルキ以外の誰かになるが、不利になるような事をイルミに言うような人間は誰1人としてこの屋敷には居ない。

「ったく、どこのどいつだ。イルミ様にチクったのは」
「わ、我々は違いますよ! 正直……近寄り難いですし……」
「んなことたぁ分かってんだよ。となると……いや、まさかな」
「何か心当たりがあるんですか?」
「……いや、何でもねぇ。それよりこれ、成績表だ。明日からこいつらはメニューを変えるから持って帰れ。後、1人イルミ様につかせるからな」
「か、かしこまりました……では、失礼致します」

ゴトーの部下である執事は頭を下げてドアから出て行くのを目だけで見送ると、ポケットに入れていたコインを一枚取り出すとそれを手で弄んだ。
意外にも打たれ強く、ガッツがあり、決して自分の立場を嘆かないを思い出しながらコインを高く投げる。
最初は後ろ盾が無くなった事でさっさと逃げ出すだろうと思っていたが、実際は違った。 権力目当ての匂いもせず、媚びるわけでもなく、ただ純粋にイルミという男の側に居たい、居られる存在になりたいという想いで日々アレコレ努力をしている姿を見ていてゴトーの中での見方が少しだけ変わった。
そんな無垢な女がどうしてよりにもよって何故あのイルミを求めるのか。
何も知らない一般人には一般人なりの幸せがあるだろうと考えるゴトーは嫌われ役を買って出た。
さっさと諦めてしまえば良いのに。
そうすればには一般人の幸せが待っている。
何も過酷な家庭環境のゾルディック家じゃなくても良いはずだ。
そんな想いがあってかついついコインを強く投げてしまう結果、の額は赤くなってしまった。
それでもは毎日果敢にもコインを避けようと試行錯誤し、終いにはキルアと一緒に庭で何やら珍妙な事をしだす始末だ。
落ちてきたコインをキャッチしたゴトーは明日からの朝の日課であるに対する訓練のあり方に頭を悩ませた。

*****

その日、は激しい雨音で目を覚ました。
ゆっくりと身体を起こし、窓を見ると激しく打ち付ける雨に瞬きを繰り返した。
イルミの世界に来て初めてみる雨には引き寄せられるようにベッドから降りると窓に近づいた。
曇り空から降り注ぐ雨はどこか懐かしさがあった。
今まで天気が良く、雲ひとつ無い晴天だったのが急な雨模様に変わる瞬間はまるでイルミに出会った日の時に似ていた。
早く帰ってきて欲しいとは思いつつも、イルミの居ない間に少しでも何か役に立てる存在になりたいと思ってはいるのだがには自分が成長している実感が無かった。
一体どうすればイルミに近づけるのか、どうすれば自分を”好き”になってもらえるのか。
はゆっくりと目を瞑って窓に触れ、手に感じる冷たさを感じながら打ち付ける雨音に耳をすませていると、ふいに何かが気になり目を開いてドアの方に振り返った。

「おはようございます、様」

ドアのノックの後に聞こえたゴトーの声には息を飲んだ。
は上ずった声で「お、おはようございます!」と答えると窓から手を離してドアに近づいた。
此処最近どんな体制でドアを開けても額にコインを食らってしまう。
どうやって開ければあのコインを避けられるのか。
考えながら「今開けます」と答えるがの手はなかなかドアノブに伸びない。
考えた末、絶対に飛んでくるであろうコインに警戒しながらは手の甲を額に当てた。
痛みを感じたらコインを掴んでみる作戦でゴトーとの攻防戦に出撃した。

「……あ、あれ?」

ドア開けるとそこには後ろで手を組んでるゴトーが立っており、コインは飛んでこなかった。
拍子抜けしているにゴトーは眉間に皺を作りながら「何してやがる」と凄む。
思わずは素直に「コ、コインキャッチ、作戦……です」と答えるとゴトーはため息を吐いた。

「コインはもう止めだ」
「え、本当ですか? な、何でまた急に?」
「一向に成長しねぇグズには荒療治しかないだろうって判断で今日からグズ専用のメニューに切り替える」
「……あの、私の名前はグズじゃないんですけど。そもそもあの、メニューって何ですか? 私やっぱり何か試されてたんですか?」
「口答えすんじゃねぇよ。さっさと着替えろグズ」

目力と威圧感に押されは渋々着替えを袋から出してチラリとゴトーを見る。
まさか着替えるまでドアの前に居るんじゃなかろうかと考えてると「さっさと着替えてこい」と言われてしまった。

「は、はい……」

は言われるがまま脱衣所へと向かいそこで着替えながら今までの事をぼんやりと思い返してみた。
初日を迎えてから今日までの間、ゴトーは毎朝欠かさず起こしに来てくれてコインを投げてきた。
やはりキルアが言っていたように何かの訓練だったのだろうか。
もしそうなら態度こそは気になるが感謝しなければならないと思った。
普通外部の人間の存在が気に食わないならさっさと追い出すだろうが、ゴトーはそれをしない。
もしかしたらこの家で生活するに値する人間にさせようとしてくれている故の行動だとしたら、最初に会った時にわざわざ言われた”一般人が居れるような世界じゃねぇんだよ”という言葉を少なからず納得出来た。
着替えを終えたはゴトーの元に駆け寄り「お待たせしました」と頭を下げると「まったくだ」と返された。

「行くぞ」
「あ、はい」

家族の前では礼儀正しく、笑顔を絶やさないゴトーは誰が何処からどう見ても立派な執事に見えるがの前では凄みのある人間に変わる。
どちらかと言えば後者の方がには自然体のように見えた。

「あ、あのゴトーさん」
「何だよ」
「優しいんですね」
「は?」

足を止めたゴトーはに振り返りながら眼鏡のブリッジに触れた。

「毎回コイン投げてた奴に舐めた事言ってんじゃねぇよ」
「でも、本心です」

疑う事を知らないの目を見ていられなくてゴトーは視線を外した。

「……ただ命令に従ってるだけだ」
「やっぱりそうだったんですね。ゴトーさんが執事長なのが分かる気がします」
「お前に何が分かるっつーんだよ」

調子の狂う事を言われ、ゴトーはそれを悟られないようにまた歩き出した。
後ろから「今は確かにグズかもしれませんけど……いつか名前で呼んでもらえるよう頑張ります!」と元気の良い声を聞いてゴトーは小さく「グズはいつまでもグズだ」と零すとゴトーの言葉が聞き取れなかったが「え?」と聞き返す。

「どうされました、様」
「執事モードじゃ無い時に呼んで欲しいんですけどね」

が少しだけ笑うと舌打ちが返ってきた。
最近やっと覚えてきた屋敷のルートを頭で辿るとどうやら玄関に向かっているようだった。
重たい鉄の扉をゴトーが開けると外は強い雨が降り、外が白くモヤがかかったかのように見えた。
これから何処に行くのか問えば執事の住む別館に向かっている事をゴトーは教えてくれた。

「でも私……傘なんか……」
「これでも使え」

そう言ってゴトーは自分の黒い傘を広げながら壁に立てかけてあった透明のビニール製の傘をに渡した。
は思わずゴトーと差し出された傘を見比べたあと、笑った。

「わざわざ持ってきてくれたんですか? やっぱり優しいですね」

「ありがとうございます」とは礼を述べてから差し出された傘を受け取ろうとすると、ひょいっと手をかすめて傘が逃げる。
ゴトーの頭上より高い位置に持ち上げられた傘を見ながら「え?」と漏らすとゴトーは意地悪そうな笑みを浮かべた。

「と思ったがグズに使わせる傘は生憎持ち合わせてねぇんだよ」
「な、何ですかそれ!」
「オレは優しくねぇ。そういうことだ」

そのまま雨の中を真っ黒な傘をさして歩き出してしまったゴトーの背中をは口を開けて見ていた。
振り付ける雨の中でもしっかりと見えるその背中には「ま、待ってください!」と叫んで追いかけた。


2020.10.06 UP
2021.08.02 加筆修正