パラダイムシフト・ラブ2
27
震える足を支えながらはゆっくりと立ち上がってゴトーを見上げた。
ゴトーの両手の指に挟まっているコインを見ては体全身から冷や汗が吹き出るのを感じた。
「昼までオレのコインを避け続けろ」
「……昼までって……朝食は……? ”家族が集う大事な時間だから遅れるな”っていつも言ってたじゃないですか」
「旦那様には許可を取ってある。さっさと逃げろよグズが」
ゴトーの手から放たれたコインがの腕をかすめるとカナリアから借りたジャケットに切れ目が入った。
少しずれていれば肌を切っていたかと思うとは顔を青くさせた。
「そうだ。そうやって恐怖を覚えろ。いつも誰かが守ってくれるなんて幻想は捨てろ。自分の身は自分で守れ」
「ひゃっ!」
「さっさと距離を取らねぇと次はそのベルトを切るぞ」
カナリアの借り物をこれ以上傷つけたくなかったが足が動かない。
動悸が激しくなり、目が血走る。
どうすれば良い。
コインを避けることが出来なければ見窄らしい姿に変えられてしまう。
「わ、わぁあ!」
意を決してはホールの中央に向かって走るとコインが脇腹と太ももをかすめ、はバランスを崩して前のめりに倒れた。
裂け目から入ってきた外気とただならぬゴトーの雰囲気に身体が一気に硬くなる。
「敵に背中を見せんじゃねぇ」
「ひぃいっ! そ、そう言われても! む、無理ですよ!」
「まだそんな子供みてぇなこと言ってんのか。遊びじゃねぇんだからさっさと立てよ」
は身体を起こしてゴトーを見上げたその時、の心臓が大きく鼓動した。
息をすることも許さないような威圧感と狙った獲物は逃さないような鋭い視線に喉がカラカラに乾く。
言葉も発せなくなってしまったはこの時初めて明確な”殺気”を身体全身に受けた。
「最後のチャンスだ。逃げるなら今だ。そして二度とゾルディック家に関わらないと誓え」
は震える唇を一生懸命動かそうとしたが声が出なかった。
「一般人には一般人なりの生き方っつーのがあんだよ。この程度でビビってちゃ死しか待ってねぇ。ハッキリ言って邪魔でしかねぇんだよ」
「……や……」
まるでゴトーの言葉は素直ではないが”今すぐ諦めて一般人に戻れ”と言っているように聞こえた。
反論しようと振り絞って出した声はとてもか細く、ゴトーの耳には届かなかった。
「逃げても誰も文句は言わねぇ。イルミ様にはオレからきちんと説明しておいてやるよ」
「……ぃや……」
全身に重りを纏ってみているみたいに身体が重かったがは小さく頭を横に振ると、コインが胸元に当たりシャツのボタンが弾け飛ぶ。
大きく見開かれたの瞳は揺れており、顔が恐怖の色に染まる。
「薄っぺらいプライドなんて捨てちまえよ。どうせお前も、遊びなんだろ?」
その言葉にはハッキリと「ち、違います!」と否定した。
「私は、違います……遊びで……捨てられるわけ、な、ないじゃないですか」
「あ?」
が反論するともう一つのボタンが飛ぶ。
「そ、そんな……そんな半端な覚悟で、此処に来てません!」
はゴトーの構えるコインを見ながら唾を飲み込んだ。
乾いていた喉に少しだけ潤いが戻り、は立ちあがった。
それでも足は震え、この状況を打開する策なんてのは思いつかなかったが立ち向かうしかなかった。
「身体は死んでても目は死んでねぇわけか。何も出来ないグズのくせに意気込みだけは一丁前か」
小さく笑うゴトーを警戒しながらは一歩後ろに下がった。
もし、ゴトーが本当にを殺す気があるのであればとっくに殺されているはずだ。
朝のコイン攻防戦もイルミの指示でやっていたのであれば、もしかしたら今のこの状況下もイルミの指示なのではと考えた。
足元に落ちているコインを拾おうと身をかがめると正面から飛んできたコインがそれを弾き飛ばす。
すぐに手を引っ込めては後ずさるとゴトーとなるべく距離を取り、いつ飛んでくるか分からないコインに警戒しながらゴトーを視界に捉えたまま壁の方に走ると視界からゴトーが消えた。
「え? あ、あれ?」
思わず足を止めると背中に強烈な痛みが走っては倒れた。
倒れた時、背中に受けた衝撃がコインによるものだと気がついたのは床に転がっているコインを見た時だった。
「馬鹿か。壁は逃げ道がねぇだろ」
背中に靴の感触を感じては息を飲んだ。
踏みつけられる痛みに顔を歪めると「腰椎の一本でも砕いておくか?」と冷たい声で言われは暴れた。
グっと体重がかけられ、の口から悲鳴が漏れる。
「いやっ! いや!」
「ならさっさとこの屋敷から出ていけ」
「そ、それも……嫌!」
一瞬だけ緩んだゴトーの足の力。
するりと抜けだしては胸元を押さえながら肩で息をした。
自分が生きていける世界を捨てたに逃げる場所はもう何処にも存在しない。
もう一度立ち上がり、ボロボロになった燕尾のジャケットを脱ぎ捨てシャツとスラックスだけの格好になるとは「もう一度、お願いします」と頭を下げた。
重力によって僅かに揺れる胸が気になったが生きるか死ぬかの瀬戸際でそんなことを気にしていられるほどに余裕は無い。
「次こそは、避けます!」
先程まで怯えていた少女はいつの間にか元気を取り戻していた。
その変わり様にゴトーは一瞬目を点にし、頭を掻いた。
「どっからその自信が湧いてくんだよ。テメェには逃げるって選択肢しかないはずだろ」
「私に逃げる選択しはありません。だから……やるしかないってことです」
「そうかよ。どこまで食らいついてくるか見ものじゃねぇか」
間合いを詰めるゴトーに対しても少し後ろに下がる。
そんな攻防戦が続く中、ふいに放たれたコインはの額に当たった。