パラダイムシフト・ラブ2

28

攻防戦が再開されて30分。
シャツの長袖は半袖となり、片足もむき出しになる中、の意識は飛びそうだった。
距離は取れてもどうしてもコインが避けられない。
徐々に晒される素肌を撫でながらは懸命に距離を取るために走ったが体力の限界で足がもつれ、無様に転んだ。

「まだ立てんだろ」
「……た、立て……ます」
「ならさっさとしろよ」

酸欠と空腹により視界がぐるぐる回っているように見えた。
立ち上がってもすぐ倒れてしまい、うまく身体が動かせない。
昼まであと何時間あるのか、には分からなかった。

冷たい床を頬で感じながらはゆっくりと目を閉じた。
口の中が鉄の味がして痺れる手で唇に触れると鮮血が指に付着した。
わざとらしく聞こえる足音が脳に響くと身体を撫でるようなゾワゾワした感覚が戻ってきた。
本能が離れろ、動け、殺されるぞと騒めき出す。

「……し、死んじゃう……」

悲観的な言葉がの言葉から堪らず漏れる。
それでも立ち上がり、足を引きづりながら壁を目指した。
先程壁は逃げ道が無いと言われたが、には文字通り”逃げ道”がない。
背中を預け、肩で息をしながら近づいてくるゴトーをぼんやりとした意識で見ていた。
悔しさに涙が溢れ、はしゃくりあげながら目を瞑る。
聞こえる足音、自分の大人げない嗚咽、呼吸、床から伝わる冷たさ。
最後にもう一度イルミに会いたかった。
不器用な優しさに触れたかった。

「イルミ、さん……」

想像の中のイルミに手を伸ばす。
後少しで触れそうな距離に彼は居て、頑張って手を伸ばせば掴めそうだった。
は精一杯手を伸ばした。
もう少し。
後少しで届く距離では背中を壁から離して幻想の腕を掴んだ。
そのまま身体は倒れ、床にの頭が打ち付けられた。

*****

拳を握りしめて眠るの身体を起こし、その身体を壁に寄りかからせたゴトーはスラックスのポケットから小さな携帯を取り出して素早く操作する。
ゴトーはの前でしゃがみ、頬を軽く叩いてみるが起きる気配は全くなかった。
すぐに着信が鳴り、ゴトーがそれを耳に当てると低い声で「どうだ?」と聞こえた。

「やはり念は未習得のようです。今はガス欠で寝ております。ただ……すんなり開いたので過去に精孔を開いた経験があるかと」
「過去に?」

疑うような声にゴトーは小さく頷いた。

「本当の一般人なら精孔を開いた状態で45分間も私のコインを受けながら逃げられません」
「身体に傷は?」

ゴトーはだらりと垂れ下がっているの腕を持ち上げたり、むき出しになっている足に触れながら細く皮膚の状態をチェックをしながら「見た所身体に目立った傷はありません」と答えたが、一箇所だけ赤くなっている部分に優しく触れた。

「ただ、ついいつもの癖で額に一発当ててしまいました」
「そうか。ミルキからの報告で先日はイルミにメールを送りたいと言い出してその際に額を写した写真も送ってしまったそうだ」
「……そうでしたか」

”お前が犯人か”という目で寝ているを見ながらゴトーは深い溜息を吐いた。

「嫌な役をさせてすまなかった」
「とんでもございません。教育も私の指導範囲です。シルバ様が気になさるような事では御座いません」
「あいつはの額の赤みを見てヘリを要請してくるぐらいにお熱なようだが、迎え入れるとなれば話は別だ。オレ達では力の加減が出来ないからな」
「心得ております。まぁ……根性とやる気だけは……私も認めておりますので」

肩で携帯電話を挟みながらゴトーはの握りしめている拳に触れた。
ゆっくりとそれを開かせると手の中には1枚のコインが入っていた。

「今日のところは20点と言ったところです」
「初日にしてはやけに甘いな?」
「一般人にしては頑張った方かと」

ゴトーはが握り締めていたコインを回収すると小さく笑った。

*****

を回収するようにカナリアを呼びつけると、数分後にブランケットと缶コーヒーを持ってきたカナリアはの状態を見て絶句した。
の見るも無残な乱れた姿と何食わぬ顔をして立っているゴトーを見比べて「え……まさか様を」と言いかけたところで「んなわけねぇだろ」とゴトーがすかさず否定する。

「こんなにボロボロになるまで……」
「仕方ねぇだろ」
「でもちゃんと胸と腰回りは守ってくれたんですね」
「本当はひっぺがしてぇけどな」
「今のは聞かなかった事にしておきます」
「別に見たって減るもんじゃねぇだろ」
「……イルミ様に知られたら大変な事になりますよ」

カナリアがにブランケットをかけたあと、持ってきた缶コーヒーをゴトーに渡した。
プルタブを開けて一気に煽るゴトーを見ながら「それに、このまま屋敷に返せばキルア様がなんて言うか……」と胸の不安を打ち明けるとゴトーは少し考えた後ポツリと漏らした。

「ウチで匿うことになっている」
「え……そ、そうなんですか?」
「旦那様にはオレから話は通してある。自衛が出来るまでの間は、此処だ」

ゴトーは缶コーヒーに口をつけたまま寝息を立てるの前にしゃがむと頬を軽く引っ張るがそれでもは目を覚まさない。

「それに、イルミ様が付き人の執事を壊したから1人送らなきゃなんねぇ。ウチだってカツカツだろ。雑用はこいつにやらせときゃ良いんだよ」

「ま、特訓がメインだけどな」と口では悪い風に言いながらもその横顔はキルアに対して見せるような柔らかい笑みだった。
寝ながら緊張感のない笑みを浮かべたに「ったく、危機感も警戒心もないグズだ」と呆れるゴトーはの頭を軽く叩いた。
その手はまるで成長を楽しみにしているかのような優しさが感じられ、カナリアも「そうですね」と笑って肯定した。


2020.10.08 UP
2021.08.02 加筆修正