パラダイムシフト・ラブ2

32

結局ドアは1ミリも動かない。
以前教えて貰った開け方を頼りに引っ張ってみるものの微動だにせず、の表情は疲れ切っていた。
奮闘するの背中を黙って見つめていたゴトーは視線を一点に集中させる。
昨日のは意識が朦朧とする中でもゴトーのコインを止めることが出来た。
決して威力など弱めてなかったのにも関わらず、そのコインはの手の中にあった。
集中力と感覚が研ぎ澄まされたからこそコインをと取られた現実にゴトーは少しだけ可能性を感じ、再度ドアと格闘させて見るがには何の変化も訪れなかった。
ただのまぐれだったのか。
ゴトーがそう思った時だった。

「ゴトーさん……私、これが開けられなかったら……一生このまま、ですか?」

どういう意図の質問かは分からなかったがゴトーは「そうだ」とだけ答えた。

「イルミさんとも……会えない……んですか?」

同じように「当然だろ」と答えると、それを聞いたは大きく深呼吸をし始めた。
頬杖をつきながら見ていたゴトーはその背中を見て大きく目を見開かせ、気づけば口が勝手に動いていた。

「そのままゆっくり腰を下ろしてノブを両手で掴め」
「……はい」
「大きく呼吸をしろ。自分の血の巡りを感じながら大きくだ」
「……はい」
「お前の手は今、何でも出来る。オレのコインを止めたみたいに、何でもだ」
「何でも……」
「そうだ。何でも出来る」

の肩が大きく上下していたのがピタリと止まる。
その時ゴトーは大きな声で「引け!」と叫ぶ。
は両足で踏ん張り、背中を大きく仰け反らせると大声で叫んだ。
まるで屋敷中に響き渡ったのではないかと思うばかりの声にゴトーは目を点にさせたが、それ以外にも点になる理由があった。
ほんの少しだけドアが動いた気がした。
反動で仰向けに倒れたは微動だにせず、ゴトーは直ぐにチェアから立ち上がってに駆け寄ると力が抜けきっている身体を抱き起こした。

「おい」

からは反応がなく、目を閉じとて口を半開きにさせたまま意識を無くしていた。
垂れ下がったの手を見ると痛々しく皮が裂け、血が滲んでいた。
これまで何度チャレンジしても微動だにしなかったドアを少しではあるが動かしたの根性に思わず「出来んじゃねーか」と漏れる。

「で、生きてんのか?」

手首の脈を咄嗟に測ると確かに動いていた。
死んでいないことに安堵していると駆けつけた足音にゆっくりとゴトーは振り返った。

「い、いかがなさいましたか?!」
「……開けやがった。1センチだがな」
「え? し、失礼します!」

駆けつけたのはカナリアだった。
ドアを開けるなり、を抱きかかえるゴトーを見て「ど、どういうことですか?」と眉間に皺を寄せながらに視線を移した。
口からは涎が垂れ、顔色が良くなかった。

「分からん。オーラは相変わらずだだ漏れだが、途中で急に流れが変わった……としか言えねぇ」
「コントロール出来たってことですか?」
「いや、出来ねぇ。が、何かがきっかけで流れが……」

”きっかけ”という言葉にゴトーはもしかしたらとある事に気がついた。
全く成長が無かったにも関わらずは急に人が変わったかのようにオーラを体内に留まらせることが出来た。
その変化が見られたのは、4時間もくもくと1人で戦っていたがゴトーに話しかけた時だった。
あの時を分岐に何かがの中で起こったのは確実と言える。
しかし、その本当の”きっかけ”が何なのかはゴトーには分からなかった。

*****

その日の夜、いろいろ来るだろうと思っていた客人がやってきた。
乱暴に執務室のドアを開けて入ってきたのは次期当主のキルアで、開口一番に「おい! ゴトー! に何してんだよ!」と詰め寄ってきた。

「キルア様、こんな所までいかがなさいましたか?」
「とぼけんじゃねーよ! 何でがこっちに居るんだよ! 親父やじぃちゃんに聞いてもゴトーが面倒見てるしか言わねぇし……カナリアに聞いたら疲れて寝てるって、何してんだよ!」

子供らしく理解できない理不尽なことに腹を立てているキルアを優しい目で見ながらゴトーは「お言葉通りです」とだけ答える。
「意味分かんねーよ!」とゴトーの机を叩いたキルアの顳顬には血管が浮き上がっていた。

「キルア様。ゾルディック家の家業は何ですか?」
「何って……暗殺に決まってんじゃん」

当然の答えにキルアは眉間に皺を寄せた。

「では、この屋敷内で一番その職に向いていないのは誰ですか?」
「何だよ……って言いたいのかよ」

キルアが苛立っているのは分かっていた。
若いうちはまだまだ感情で行動してしまうのをゴトーは理解していた。
世の中には納得が出来ないことの方が多い。
それを理解させないといけないことにゴトーは少々困った表情を浮かべた。

「おっしゃる通りです。この敷地内に居る以上我々が壁にはなりますが、我々が居ない時はご自身の身はご自身で守れるようにならなければなりません。そう言った意味で、突然来られた一般人の様の事を良く思っていない者は少なくないので」
「は? 誰だよそれ。オレがぶっ殺してやる……」

出て行こうとするキルアの腕をゴトーは掴み「お待ちくださいキルア様」と止めた。
抵抗を見せるキルアだったが力では敵わないとわかると大人しくなった。

「……兄貴は知ってんの?」
「勿論。イルミ様の命でもありますので」
「……何だよそれ。鍛えてどうすんだよ。にもいつかはやらせんのかよ? あいつは……ただの一般人だろ?」
「そこまではまだ分かりませんが、才能があれば。ただ、まずは自衛が出来る程度にはなって頂かないと」
「自衛っつーけど、そんなに必要なことなのかよ?」

ゴトーの手を振りほどいたキルアは俯きながら「あいつには……こんなこと、必要ないだろ」と小さく言った。

「キルア様……?」
「兄貴やオレが守ればいいじゃん。ミルキだって外の監視やってるし……あいつが危険に遭うことなんてぜってーねぇじゃん。なのに、なんでそこまで……は何も言わねぇの?」
「……弱音を吐いた所は一度もありません。本人も望んでのことです」

弾かれたように顔を上げたキルアの目は揺れていた。

「なぁ……。も……家業を手伝うとか、ないよな……?」

ゴトーはその質問に静かに目を瞑って答えなかった。


2020.10.14 UP
2021.08.02 加筆修正