パラダイムシフト・ラブ2

39

2週間の間、休むことなく連日ターゲットを殺しているイルミはよくこんなにも仕事を溜め込んだなと呆れながら一人でグラスを傾けていた。
仕事のあと、すっかり行きつけになってしまったバーで一人で飲んでいると隣の席に影が出来る。

「やぁ。良い加減ボクを携帯調達係として使うの止めてくれないかな?」
「だって買い方分かんないし」
「これだからお坊ちゃんは困るなぁ」

片手を出すイルミの掌の上に真新しい携帯を乗せるとヒソカはクスクス笑いながら隣に腰を下ろした。

「で、今回は何が理由で壊しちゃったんだい?」
「……たいしたことじゃないし」
「とか言ってたいしたことあるから壊したんだろ?」
「じゃオレは携帯貰ったし帰ろうかな」
「ごめんごめん」

ヒソカは通りがかったウェイターを呼び止め「いつもので」と言うとイルミに向き直った。

「また弟君の報告?」
「違う」
「あれ? 違うのかい? 最近余裕無さそうな感じがあるからそうかと思ったんだけど」
「余裕? 簡単な仕事ばかりで退屈だよ」
「うん。仕事はね」
「仕事以外に何があるのさ」
「ボクが言ってるのは違うことなんだけど……まぁいっか」

クスクス笑うヒソカを横目にイルミは「何それ」と一言だけ漏らす。

「あ、分かったよ。お姫様から嬉しい連絡があったてつい手に力が入ったんでしょ」
「……は? 違うし。嬉しい連絡って何? いつも通りの近状報告だし勝手に想像しないでくれないかな? そういう所がキモいって言われるって良い加減気が付いた方が良いと思うんだよねオレは」

壊れた携帯からチップを取り出して新しい物に入れるイルミの返答が少し遅れた。
そしていつも以上に口数が多い時は図星を突かれた証拠。
それを見逃さないヒソカは少しだけ目を細めるとテービルに頬杖をつきながらイルミを見つめる。
新しい携帯にチップを入れ終えたイルミはヒソカと目があうと「だからそういう顔がキモいんだって」と顔をしかめた。

「ねぇねぇ」
「教えないから」
「ボクまだ何にも言ってないんだけど」
「どうせ教えてって言うんだろ。だから先に言っとくけど、教えない」

運ばれてきたカクテルがヒソカの前に静かに置かれる。
「ありがと」と短く礼を述べると、ヒソカはグラスに口をつけた。
ディスプレイが光り、携帯に命が吹き込まれたところでイルミは無言でそれを操作した。

「良いもんね。なら直接本人に聞いちゃうから」

その言葉のあとイルミの手が止まり、大きな目が更に大きく見開かれ禍々しい空気がイルミを包む。
サラサラの髪の毛が徐々に広がり、大きな黒の瞳が小さくなり揺れながらヒソカを見つめる。

「は? 本人に直接? 今のもう一度言ってくれる?」
「ちょ、ちょっとイルミ。殺気、出てるよ……?」
「オレの知らないところでに接触したの? ねぇ、そうなの?」
「……まさか。そんな事したらイルミは怒るだろ?」
「怒るを通り越してお前を殺すよ。今、此処で」

いつの間にか出したのかイルミの手には3本の針が握られていた。
それを見たヒソカは苦笑いを浮かべながら「冗談だって」と宥めるとイルミは少しずついつもの目に戻った。
の事となると過剰に反応するイルミにヒソカは小さくため息をつきながら「ボクがそんな命知らずなことするわけないだろ」と言うがイルミは疑いの眼差しを向けながら「どうかな」と答える。

「ちゃんとイルミから紹介してもらうまで待つさ」
「絶対しないから安心しなよ」
「えー、酷いなぁ。ボクもお姫様とお近づきになりたいなぁ。どうせ向こうはボクの事なんて忘れちゃってるだろうしね」
「ヒソカに触れたらが妊娠しそう」
「……ボクを何だと思ってるんだよ」
「歩く変質者以外に何があるのさ」

真顔で答えるイルミに対してヒソカは早々にに口止めしておかなくてはならないと感じた。

「ボクはこう見えても女性には紳士だよ?」
「紳士って辞書で調べてごらん。ヒソカとは真逆の事が書いてあるから。あ、あとさメールで来た画像の保存方法教えて」

何でも完璧にこなしそうなイルミでも機械には疎いらしく、ヒソカが画面を覗き込んで操作方法を教えようと腰を上げると3本の針が向けられた。
思わずヒソカは両手を上げながら「見ないと教えられないよ?」と首を傾げる。

「見ることは許さない」
「流石のボクでも最新機種は見ないと分からないよ」
「こういうのって勘でなんとなるでしょ。色々言われるの面倒臭いから口頭で教えてよ」

見られて困る画像とはどんなものなのかとヒソカは追求したかったが、話しの流れから察するにから何かしらの画像が送られてきたのだろうと思い「人使いが荒いけど、そういう所も君の魅力だよね」と笑った。

*****

夕飯を食べたあとはミルキの部屋に来ていた。
何でもイルミから宛にメールがあったらしいく、読ませてもらうついでにその返事をしたいと言ったところ、珍しくミルキはそれを承諾してくれた。

仕事のメールを一本送るというミルキの横に立ちながらパソコンのモニターをは眺めていた。
話しを聞けば現場に出るのは主にシルバ、ゼノ、イルミでミルキはネット関係が専門らしい。
それを聞いて体型とキーボードとマウスの捌き方で納得出来たは「適材適所って感じですね!」と頷いた。

「イル兄がさ……ニクジャガが良いんだってよ」
「え? 肉じゃが……? やけにタイムリーですね。 まぁ、イルミさんは肉じゃが好きですからね」
「どうせ帰ってくる日に作れって意味だろうけど」
「なら今日よりも更に量増し増しにしないとですねぇ……皆さん予想以上によく食べてくれるので」
「それと……今日作ったことは絶対打つなよ! 先に食ったなんて知ったらイル兄がキレるから。それがメールを送る条件だからな!」

必死なミルキには目を点にしたがその焦りようから何となくだが心情を察した。
おそらく”肉じゃが”という言葉が気になり先に食べてみたいという気持ちが家族の中で意見が合致したのだろう。
それを本人が居ない間に楽しんだと知れば”家庭の味”を気に入ってるイルミがずるいと思うのは間違いない。
は「なら今日のことは内緒ですね」と笑うとミルキは無言でキーボードをに寄せた。

「じゃぁ少し借りますね」

慣れないキーボードのキーを一つずつ打ち込み、特訓のために執事の別館で厄介になっていることやゼノと組手をしてもらったことを打った。
ゆっくりでもミルキは文句を言うことはなく、無言で漫画を読みながらお菓子を食べるが時折画面を見て「そこ間違えてる」と指摘してくれる。
打ち終わる頃には不思議な達成感があり、の口から一息が漏れる。

「終わりました」
「そのだっせー執事服姿でも送れば?」
「え!? い、嫌ですよ! 前に執事の制服は似合わないみたいなこと言われたんで……絶対嫌です」
「いや、送れ。絶対に。じゃないとオレが殺される」
「え? こ、ころ……ど、どういう事ですか? 嫌ですよ恥ずかしいですし!」

が一歩引いて顔を横に振る。
何度か押し問答が続くが、断固として撮影を拒否するにミルキは小さく舌打ちをしたあと人差し指をに突きつけた。

「あぁもう……お前がこの前変な画像送ったせいなんだよ! 赤みが引いた証拠送ってこいとか、制服姿見たいとかイル兄から何度も何度もメールが来て依頼のメールが埋もれるんだよ! 分かったらさっさと撮って送れよ!」
「え、えぇ……!? っていうか何で制服の事をイルミさんが知ってるんですか!? 私一言も言ってないです!」
「うるせぇ! こっちだって預かってる以上報告義務っつーのがあんだよ! ゴトーじゃセクハラになるかもってことでオレに回ってきたんだから、ほらさっさと此処に立てよノロマ!」

ミルキはの腕を掴むとモニターの前に立たせてマウスを素早く動かすとカメラのソフトを起動させた。
モニターにはの引きつった顔が映り、体を硬直させているとミルキは大きな声で「一歩下がれ!」と言う。
それに従うように足が動き、モニターにはの腰までが映る。

「ほら、笑え!」
「む、無茶言わないでください!」

の悲鳴のような声も聞かずにミルキは撮影のボタンをクリックするとモニターにカウントダウンが表示される。
それでも人間の習慣というのは恐ろしいもので即座には右手をあげてピースサインを作る。
表情は硬いが見方によっては笑っているようにも見える写真には撮り直しを求めたが「うるせぇな。ぐずぐずしてたらまた催促のメールが来るんだよ」の一言でそれは拒否された。
そのまま送信ボタンを押されてしまいはミルキの部屋から追い出された。

「ったく……あの女の事になるとイル兄しつこいんだよな……あいつのどこが良いんだよ……訳わかんね!」

イライラした様子でマウスを操作するミルキだったが、ふとその手が止まる。
偏見も持たず、馬鹿にもせず、皆と同様に接してくれるの事は嫌いではない。
いつもなら不要なデータはすぐ消すが、ミルキは口を尖らせながら保存されたの写真を静かな手つきで”バカ女”とつけたフォルダに移動させた。


2020.10.26 UP
2021.08.03 加筆修正