パラダイムシフト・ラブ2

46

太陽の日差しによって目覚めたは包帯で巻かれた手で器用に着替え、荷造りを終えたリュックを背負って部屋のドアを開けた。
スラックスのポケットに入れた4枚のコインが擦れ、まるで”頑張れ”と言っているかのようだった。
階段を降りる途中でアマネとすれ違ったは頭を下げて「おはようございます」と挨拶すると、いつもは無視されていたが今回は呼び止められた。
驚いた表情を浮かべながらが振り返るとアマネは「簡単なもんじゃないから」と言われた。

「……やっと話してくれましたね」
「は?」
「いえ、こちらの話です。また戻ってきたら今度はゆっくりお話し、させてください」
「べ、別に無視してたわけじゃないし!」
「それに忠告もありがとうございます。頑張りますね」
「あ、あんたのためじゃないから! ずっと執事長が面倒見てるから、その時間を無駄にするなって言いたいだけで」
「それでも、ありがとうございます。行ってきますね」

は笑って階段を降り、玄関へと向かった。
外はカラッと晴天で空気が澄んでいた。
吐く息が少しだけ白く、まるで出発の門出を祝ってくれているように思えた。
鳥のさえずりを聞きながら下り坂をゆっくりと歩くとゴトーの姿があった。

「おはようございます。あれ? 門番の方は……」
「今日はたまたまオレだ。っておい、まさか本当にその格好で行くのか?」
「……え? 特訓の一環ですよね? だ、駄目ですか?」
「ぜってー浮くだろ……どこの世界に試験受けるのに執事の格好して受ける奴が居んだよ」
「結構気に入ってるんですけど……あ、リュックの中にはちゃんと洋服が入ってますよ? それより、タバコ……吸われるんですね」
「たまにな」

ゴトーは咥えていた煙草をポケット灰皿に押し付けるとため息を零した。
少し疲れているような表情をしているのに気がつき、は「お疲れですか?」と首を傾げた。

「……どこぞのグズが試験を受けるからな。一本吸わなきゃやってらんねぇよ」
「色々とお世話になりました。腹は括れてるんで、大丈夫です」
「内容も知らねぇやつがよく言うぜ」

ゴトーと立ち話をしていると屋敷の方から気配を感じては振り返った。
姿は見えないが確実に複数名の気配を感じ、はキョロキョロと辺りを見回した。
特訓の成果が現われているの姿にゴトーは「旦那様達がお前を送り出したいそうだ」と小さく言った。

「え?」
「期待されてるってことだろ」
「まさか……冗談言わないでください」
「そのまさか、だ」

見えてきた姿には唇を噛み締めた。

「おい女! 生きて帰ってこいよ! じゃねーとイル兄に殺されるぞ!」
「これ、ミルキ。お嬢さんになんちゅーこと言うんじゃ」
「だって速攻死にそうだし!」
「ミル兄さん、出発の門出に縁起でもない事言わないでください」
。不安かもしれないが、自分を信じろ」

会って早々色々言われの頭はショート寸前だったが、シルバに肩を軽く叩かれた時ハっと我に返った。
こうして送り出してくれることに目頭が熱くなり、思わず目元を袖で抑えた。

「ほれ、ミルがいらんこと言うからお嬢さんが泣いてしまったぞい」
「オレじゃねーし!」
「そもそもミル兄様歩けたんですね」
「カルト! お前兄貴に向かって失礼すぎだろ!」

一人息を荒げているミルキを見て笑うと「笑うんじゃねぇ!」と怒られてしまった。
それでも見送りに来てくれたことが嬉しくて、「ありがとうございます」と言うと顔を背けられた。
そして気になったのはこの場にキキョウの姿がないことだった。

「……あの、キキョウさんは」
「キキョウ様ならずっとそこの木の陰から」
「え?」

茂みの方から扇子が飛んできてゴトーはそれを手で簡単に受け止める。
その時、ガサっと音を立てて顔を出したのはキキョウだった。

「ゴトー! 余計なことを……あ」

とキキョウの目があうと、キキョウは顔を押さえながらまた茂みに隠れてしまった。

「あいつなりにが一時的に居なくなるのが寂しいみたいだ」
「でも私……キキョウさんには……」
「帰ってきたらちゃんと説明してやろう」
「……はぁ」
「あれじゃ。わびさびじゃ」
「わび、さび?」

が首を傾げるとゴトーは一枚のメモをに託した。

「今回の会場だ。これを言えば入れる」
「……弱火で、じっくり……何の事ですか?」
「毎年試験会場は変わるし、合言葉も変わるから調べるの大変だったんだぞ!」
「今までの成果を出せば良いだけじゃ」
「気をつけてな」
「また、ナントカ団子というのを作ってください。美味しかったです」

温かく送り出してくれることに胸が熱くなり、は大きく頷きながら「頑張ります!」と高らかに宣言した。
ずっとその場に居たかったが、あまり長居すると試験に遅れるということでゴトーに門まで引率してもらいながらは山を降りた。
坂道を下る途中、鼻をすするに「泣くな」と呆れたようにゴトーが言う。

「みんな……優しいんですもん……」
「はぁ……そんな調子じゃ落ちるぞ」
「うっ……頑張ります……絶対、受かって来ます……」

ゆっくりと下るなか、門を出た後は空港行きのバスに乗るよう言われた。
そのあとは渡したメモに乗り継ぎのバスが指示してあることを教えてもらい、どこまでも用意周到なことには驚いた。
門が見えてくるとゆっくりゴトーはその扉を開け、の背中を軽く押した。

「此処から出たらもう戻れねぇぞ」 「はい……」
「あとこれを、バッグに付けとけ」

手渡されたのは緑色の綺麗な雫の形をしたチャームだった。
お守りか何かかと思い、はすぐにバッグにつけると揺らして見せた。

「では、行ってきます」
「おい」
「はい?」

呼び止められたは振り返るとゴトーは拳をに差し出した。

「テメェの根性はオレが一番よく知ってる」
「……私、案外負けず嫌いなんです」
「そうみたいだな。負けんなよ、

初めて”グズ”ではなく、ちゃんとした名前で呼んでもらえたことにの目頭がまた熱くなる。
涙を零しながら「……負けません!」と言いながら包帯で巻かれた手を拳にしてゴトーの拳に軽くぶつけた。
タイミング良く門の前にバスが到着し、「さっさと行け、グズ」とまたいつもの調子で言われ、門を閉められてしまった。
は涙を拭いながら停車しているバスに向かって走り「乗ります!」と手を振って乗車した。
これから一人で初めての外を歩き、予想もしない試験という名の大冒険が始まろうとしていた。


2020.11.02 UP
2021.08.03 加筆修正