パラダイムシフト・ラブ2

52

走り始めてもうどれくらい経ったのかには感覚が無かった。
徐々に参加者の中から脱落者が出始め、本格的に自分との戦いになってきた頃、前方に見知った背中があった。
その背中は明らかにスピードが下がり、どんどん後方へと下がってくる。

「レ、レオリオさん!?」

背の高い、スレンダーな青いスーツ姿は間違いなくレオリオだった。
今は汗だくになり、脱水のような表情を浮かべるレオリオの足は徐々に動く事を諦めようとしていた。
もスピードを落とし、とうとう走るのをやめてしまって膝に手をついて息をするレオリオに並ぶとその背中を撫でた。

「大丈夫ですか!? 凄い汗……しっかりしてください!」
……? 離せっ!」
「ぅわっ……!」

弱々しくても男の力。
自分に触れるなと言うようにの肩をレオリオは押した。
よろけたの視界に入ったのはレオリオが持っていた鞄だった。

「さっきお前……変な奴と……」
「あっ……それは……」
「ざっけんなよ……だいたいオレはなぁ……最初から、お前は怪しいと思ってたんだよ……!」
「レオリオさん……」
「それに……自分より弱そうな女に……心配されてたまっかよ!」

レオリオの威嚇するような目がに向けられ、堪らずは伸ばしかけた手を引っ込めた。

「どうせお前も……トンパみてぇに罠に嵌めようって口なんだろうがよ!」
「ち、違います! 誤解です!」
「ごちゃごちゃウルセェ! 二度とオレに構うんじゃねぇ!!!」

雄叫びをあげながらレオリオは全力疾走で走って行ってしまった。
何処にそんな体力があるのかと思ったが、また走り出せた事に安堵しても続こうとしたが置き去りにされた鞄が気になった。
これ以上身体に負荷はかけられないが、人の持ち物が落ちていてそれを見過ごす事は出来なかった。
はレオリオの鞄を胸に抱きかかえて走り出した。

*****

後方を走っていた奇抜な格好をした二人はペースを落とさず、付かず離れずの距離感をキープしていた。
走る中、足取りが覚束ないスーツ姿の男を追い抜かすとヒソカが「あ」と漏らした。

「何?」
「いや、何でも」

その時さらに後ろの方での声が聞こえた。
いつの間にかが自分達より後ろを走っていた事に気がついた二人は顔を見合わせた。
そして「大丈夫ですか!?」と誰かを心配しているような声が聞こえ、「どうする? 待ってあげる?」とヒソカが笑う。

なら追いつけるよ。うちの執事と実践交えながら3時間以上鬼ごっこ出来るレベルだから」
「手助けはしてあげないの?」
「今は必要無いかな」

少し走った後、二人の横を猛スピードで走り抜けたスーツ姿の男を見てイルミはすぐに「あいつはと知り合いなの?」とヒソカに聞いた。
そういうところのチェックは見逃さないイルミに対してヒソカは「お姫様と一緒に会場に来たよ」とだけ答えた。

「ふーん……」
「妬かない妬かない」
「は? 妬いてないし」
「君も走れない振りでもすれば心配してもらえるんじゃ無い?」

ペースを保ったまま走る中、前方に見えてきた階段にヒソカが「で、あれは行けそう?」とイルミに聞くが、答えは無かった。
イルミの口から小さな溜息が漏れた後、イルミは短く「先行ってて」とペースを落とし始めた。
今は手助けが必要無いと言った割には過保護なイルミに「じゃ、お先に」とヒソカはウィンクして走った。
どんどんと抜かして行く参加者を目で追いながらイルミはゆっくりと振り返る。
ズボンのポケットに入れていた携帯電話を取り出して時間を確認すると走り始めてから約4時間あまりが経過していた。
ゴトーの報告では実践ありで3時間は逃げる事は出来ると聞いていた。
コインのプレシャーがなく、ただ走るだけであればなら追いつけるだろうと思ったが、自分の立っている階段をこれから登るとなれば限界を迎える可能性があるとイルミは考えた。
途中で倒れたり、歩きながら登る参加者に混じって遠くの方で小さな影が見えた気がした。

「……あれかな?」

携帯の待ち受け画面で何度も見た執事の格好がゆっくりとだが登ってくるのが見えた。
俯きながら胸に何かを抱えたが登ってくる。
カタカタと揺れるとようやく顔を上げ、はイルミを見た。

「えっ……!? ギ、ギタラクル……さん? 何で? あれ? 前方……えっと、ヒソカさん……あれ?」

汗だくになりながら肩で息をするの目は若干虚ろだった。
半開きに開いた口からは苦しそうな息遣いが漏れ、あまり見た事の無い表情にイルミはカタカタと大きく揺れた。
それが何を意味ているのかには理解出来ず、「私は、大丈夫ですから」と笑ってまた階段を登り始めた。
どこからどう見ても大丈夫ではないその姿にイルミは何も言わず、それでも後ろを気にしながら階段を登った。

「あっ!」

30分ほど登ったところで、の上げた足が上がりきらず、階段に躓いてしまい盛大に転んだ。
それでも胸に抱えた鞄だけは手放さず、数段転げ落ちた後ゆっくりと身体を起こした。
すでに視界には倒れている人も何人かおり、まるでこちらの世界に早く来いと誘っているようにも見えた。
それでもは立つ事、そして登る事を諦めず階段を登ろうとしたが足首に走った痛みに顔を歪める。
どうやら転んだ際に足首を捻ったようだった。

「ギタラクルさん……私に構わず、行ってください!」

前方で振り返るギタラクル扮するイルミはそれでも無言だった。

「私は、大丈夫です。これは……イルミさんのための試験なんです。絶対に……何が何でも私は二次試験会場に、行きます……だから先に……行っててください。これも……届けないと、いけないし……」

は胸に抱えた鞄を強く抱きしめながら痛みに顔を歪めながらも一歩を踏み出した。
そんな痛ましい姿を見ていられるわけがなく、イルミはすぐにの首に手刀を当てた。
意識を手放してその場に倒れこんだだったが、それでも胸に抱えた鞄は離さないままだった。
の手から無理やり鞄を奪った後、をうつ伏せにして脇に抱えると眼鏡が落ちた。
それを拾い上げ、服の装飾品に引っ掛けて走り出そうとした時、バックに付いているチャームが目に入った。
怪しく緑色に光るそれに小さく舌打ちをしながら素早くそのチャームを外して登ってきた階段に向かって投げ落とす。

「……オレと鞄どっちが大事なんだか」

左手に鞄を持ち、右手でを抱えてイルミは階段を颯爽と登り始めた。


2020.11.04 UP
2021.08.05 加筆修正