パラダイムシフト・ラブ2

53

前方に薄っすらと光が見え始め、イルミはやっとかという表情をしながらへたりこんでいる参加者を踏みつけてゴールを目指した。
階段を登り終えると広がっていたのは広大な湿地原だった。
あまり目立たないように隅の方に移動して一度を下ろして壁にその身体を持たれかけさせると、イルミはカタカタと揺れながら目覚めそうにないを見ていた。
ふいに頭上に影が差し、振り返ると「間に合って良かったね」とヒソカが隣にしゃがむ。
の頬に触れようと伸びる手をはたき落とすと同時に、試験官であるサトツが「ヌメーレ湿原。通称詐欺師の塒。二次試験会場には此処を通っていかねばなりません」と目の前に広がる湿原に関して説明を始めた。
この湿原にしか居ないとされる奇怪な動物達は人間をも欺いて食料にしようとする狡猾で貪欲な生き物だと参加者達に伝えると先程までとは違った緊張感が参加者達に襲いかかる。

「十分注意して付いてきてください。騙されると、死にますよ」

参加者達に振り返ったサトツは人差し指を立てて警告する。
その言葉に参加者達は狼狽え、まだ一次試験が終わっていない事に顔色を青くさせていると、階段のシャッターがゆっくりと閉まり始め、ギリギリで間に合わなかった男の「待ってくれ!」という言葉を最後にその出口は固く閉ざされてしまった。

「この湿原の生き物はありとあらゆる方法で獲物を欺き、捕食しようとします。標的を騙して食い物にする生物達の生態系。詐欺師の塒と呼ばれる所以です。騙される事の無いようしっかりと私の後に付いてきてください」

そう説明してサトツは湿原の方に身体を向けた。
ゆっくりと立ち上がったイルミは腰に手を当てて「を眠らせて良かったよ」と首の骨を鳴らした。

「どうしてだい?」
「だってならすぐ騙されそうじゃん。オレの事疑わないし。それにこの広さで目を離した隙に逃げられたら厄介だし」
「君がお姫様から目を離すとは思えないけどね」
「まぁそうだけど」
「……否定しないんだ」
「うん」

そう言う事には素直に肯定するイルミにヒソカを首を傾げると「騙されるな!!!」と反対側の方から男の叫び声が聞こえてきた。
周囲の目がそちらに集中し、イルミは髪の毛を掻き上げながら「試験ってこんなに中だるみがあるもんなの?」と呆れる。
それに対してヒソカが「まぁまぁ。休憩時間って思えば良いと思うよ」と笑った。

「だ、騙されるな……そいつは、嘘をついている!」

そう言って顔を出したのはボロボロになった男で、試験官であるサトツを指差した。
参加者の間でどよめきが起こり、イルミは「が起きる前に終わらせたいんだけどなぁ」と小声で呟いた。

「そいつは偽物だ! 試験官じゃない! オレが本物の試験官だ!」

男は自分を親指で自分を指し、参加者達を混乱させた。
その間、サトツは何も発せずその場から動かず動向を見守っていた。
どちらが本物の試験官なのかわからず動揺する参加者の前で男は「これを見ろ!」とサトツにそっくりな顔をした猿を引っ張り出した。
その猿は白目を向き、赤い舌をだらしなく口から出していた。
流石に参加者達もその猿を見た後では、サトツのことが信じられなくなったようで疑いの眼差しがサトツへと向けられる。

「ヌメーレ湿原に生息する人面猿だ。人面猿は新鮮な人肉を好む。しかし、手足が細長く、非常に力が弱い。そこで自ら人に化けて言葉巧みに湿原に人間を連れ込み、他の生物と手を組んで、食い殺す! そいつは、ハンター試験に集まった受験生を一網打尽にする気だぞ!」

確かにサトツは人間離れした走りを受験生に見せてきた。
ほとんどの参加者が疲労を感じる中、サトツは息を荒げるどころか汗ひとつかいていない。
苦行を成し遂げたことで参加者同士に見えない絆が生まれ、一人が疑えば連鎖反応が起きてまた一人、また一人とサトツを疑う者が出てきた。

「ヒソカ、やっちゃえば?」
「良いのかい?」
「うん。じゃないとが起きるかもしれないから」
「了解」

ヒソカは切っていたトランプのカード6枚を二手に投げた。
男の方に飛んで行った3枚のカードはあっさりと男に刺さり、その場に倒れたがサトツの方に飛んで行った3枚はサトツの指の間に綺麗に収まっていた。
状況的にまずいと感じた人面猿は死んだふりの演技を止め、その場から立ち去ろうとしたがヒソカがもう一枚のカードをすかさず投げる。
容赦なくカードは人面猿の後頭部にカードが刺さり、その場に倒れた。

「これで決定。そっちが本物だね、試験官さん」

ヒソカはサトツを見ながら手に持っていたカードをシャッフルするとサトツは肯定も否定もせず、指で止めたカードをその場に捨てる。
それを見ていた周りからは「やっぱり本物なんだ!」と声が上がる。

「試験官と言うのは審査委員会から依頼されたハンターが無償で任務に就くもの。ボク達が目指すハンターともあろう者があの程度の攻撃をかわせないはずがないもの」
「褒め言葉として受け取っておきましょう。しかし、次からはいかなる理由でも私への攻撃は試験官への反逆行為とみなして即失格とします。良いですね」
「はいはい」

青空で羽を広げていた鳥達が男の身体を目掛けて降りてくると、参加者達の目の前で啄ばみ始めた。
自然の掟とはいえ、実際に間近で見るとグロテスクなものだが食うか食われるか、生きるか死ぬかが繰り広げられているのを見ると改めて自然界が如何に残酷かが分かる。

「私を偽物扱いして受験者を混乱させ何人か連れ去ろうとしたんでしょうね。こうした命がけの騙し合いが日夜行われているのです。現に、何人か騙されかけて私を疑ったんじゃありませんか?」

その言葉に心当たりのある者は誤魔化すように笑い。
そしてサトツはこの先のヌメーレ湿原の中は霧が深く、一度でも試験官を見失うと二次試験会場にたどり着くのは難しいと説明した。

「では参りますよ。付いて来てください」

こうして二次試験会場に向けての後半戦がスタートした。
早々に参加者は動きだし、イルミはと鞄を抱え直すとヒソカに向き直った。

「起きると厄介だからオレは先に行くよ。ヒソカもほどほどにね。どうせやりたいんだろ?」
「……ちょっとだけね。試験官ごっこしてから追いかけるよ。君もこの霧に紛れて……なんて考えないようにね」
「オレはヒソカと違ってちゃんと時と場所を選ぶから。じゃ、また後で」
「はいはい。また後で」

小さく頷くとイルミは走る参加者を横切って先頭集団の方まで走って行った。
その時、ルーキー4人組を追い越しておりその一人が一瞬だけイルミが抱えていた執事服を身にまとったを見て目を大きく見開かせた。


2020.11.09 UP
2021.08.05 加筆修正