パラダイムシフト・ラブ2

63

ビチビチと飛び跳ねる大量の魚を見ながらイルミは固まっていた。
その横で「あーらら」と楽しそうに魚と呼んで良いのかわからない不思議な形をしたナマコなような物を持ちながらヒソカがニヤニヤと笑う。

「お姫様は合格しちゃったみたいだねぇ。うんうん。良いお嫁さんになりそうだ。君のその塊にラップかけてくれたのも彼女じゃない?」
「ヒソカも早く良いお嫁さん見つかると良いね」
「ボクもお姫様みたいな子が良いなぁ」
「は? はオレのだよ?」
「分かってるか包丁を向けないでくれよ。で、どうするの? その大量のお魚」
「……消し炭」
「には出来ないだろ?」

手当たり次第見つけた魚を捕まえたは良いが、肝心のは既に合格していた事にイルミは目を細めた。
今まで自分の背中を追っていた者が気がつけば自分より前に居る。
戦闘力もなく、力も無ければ、自分が居なければすぐ死んでしまうような人間に先を越された事に少しばかり苛立ちがあった。
知らないところで見違えるほどこの世界に溶け込んでいるを見ながらイルミは包丁を握り、一思いに魚の頭を切り落とした。

「わーお。君って料理は大胆に行くほう?」
「オレはさっさと合格したいだけ」
「その三角形の中に入れるんだっけ?」
「そう。絶対これで正しいから」

切り落とした頭を無理やり三角形の米の塊に押し込んだイルミはどこか満足気だった。
本当にそれが正解ならスシを食べる人種の美的センスをヒソカは疑った。
既に何人かがメンチに料理を持って行っているらしくその度に「こんなの食えるか!」と厳しい言葉を受けていた。
その横のは苦笑いをしたり、口元を押さえたり、この世のものとは思えない物を見ているような表情をしていた。

「じゃ行ってくる。お先に」
「はいはい」

未だにに続く合格者が現れない中、イルミはさらにおにぎりから魚の頭が生えた物を皿に乗せて採点を待つ列へと並んだ。

*****

「これも違う! 食えるか!!!」

これでメンチが皿を投げたのは何人目だろうか。
も横で見ながら”こりゃ無いわ”と思う物もいくつかあったが、どれもこれも独創的で自分では思いつかない物ばかりだった。
決してふざけているわけじゃなく、本気で”寿司”がわからない故の料理だと思うと若干アートにも見えてきた。
そんな中、カタカタと揺れながら皿を置いた人物に目を奪われた。

「ったく、いつになったらまともなスシが食べれるのかしら」

メンチが皿にかぶさっている蓋を開け、もそれを覗き込むように椅子から身体を浮かせて前屈みになった。
皿の上に乗っていたのは紛れもなくおにぎりだった。
しかし、ただのおにぎりでは済まされず、魚の頭が飛び出していた。
一体どこからその発想が出てきたのかわからずは思わず笑ってしまった。

「これはおにぎりよ!!! でも具が違ーう!!!」

案の定メンチはその皿を放り投げ「米から魚の頭って明らか可笑しいでしょ!」と的確な事をイルミに言う。
何か言うでもなくカタカタと揺れながらまたキッチンに戻ろうとするイルミをが慌てて呼び止めた。

「ギタラクルさん! あの、眼鏡!」

振り返ったイルミは自分の服の装飾品に引っ掛けていた眼鏡を見た後に視線を戻した。
を運ぶ時にそこに引っ掛けたは良いが、返すのを忘れていたイルミは小さく手を叩いた。

「ブハラさん、彼が私の眼鏡を預かってくれてるので貰ってきますね?」
「ん? うん。良いよー」

はブハラに断りを入れると席から立ち、イルミに駆け寄った。

「無くしたと思ってたんですけど、ギタラクルさんが持っててくれたんですね。有難う御座います」

愛用の眼鏡が返ってきた事で笑みを浮かべるにイルミはただただカタカタ揺れる事しか出来なかった。
「気色悪いわ!」というメンチの声を聞きながらはブハラの事を一瞬警戒した後、イルミだけに聞こえるようにある事を言った。

「寿司は一口サイズです。魚は刃を寝かせて切り身で、ワサビを添えると良いと思います」

ポカンとしているイルミには「一次試験助けてくれたお礼です」と笑うとブハラに怪しまれないよう早々に椅子へと戻った。
小さくガッツポーズを見せながら口で”頑張って”と形作るにイルミは小さく頷いた。

*****

殆どの参加者の皿がメンチの手によって放り投げられたが、ある人物の番でそれが終わった。
自信満々な顔をしてメンチの前に立ったハンゾーはにウィンクを飛ばすと「どうでぃ! これが寿司でぃ!」と皿の蓋を取って見せた。
見た目は完璧な寿司の形をしておりこれにはも小さく「おぉ!」と声を上げた。

「ふーん。ようやくそれらしいのが出てきたわね」

メンチも心なしか嬉しそうで初めて以外の参加者の寿司を口に運んだ。
運命の瞬間だった。
も固唾を飲んでメンチの反応を待ったが、口の中で味わった後メンチはあっさりと「ダメね」と言った。
空の皿をハンゾーに突き返されながら「美味しくないわ。やり直し」と止めの一言を言われてしまってはハンゾーも納得がいかなかった。

「な、なんだと!? 握り寿司ってのは飯を一口サイズの長方形に握ってその上にわさびと魚の切り身を乗せるだけのお手軽料理だろうが! こんなもん誰が作ったって味に大差はねぇべ!」

ほぼ答えを言ってしまったハンゾーにも笑うしかなかった。
それを聞いていた参加者達は自分が作った物が間違っていると気が付き早々にキッチンへと戻っていった。
自分の発言が最大のヒントになってしまったことに慌てたハンゾーはさっさと元場に戻って新しいものを作りに行こうとしたが、「ちょっと待ちなさいよあんた」とメンチに止められた。

「あ、ヤバイよ」
「え? ヤバイ?」
「メンチの悪く癖が出るよ」

メンチは顳顬に青筋を立てながら「お手軽? こんなもん? 味に大差はない?」ハンゾーに詰め寄るとメンチは表情を引きつらせるハンゾーの胸ぐらを掴んだ。
寿司がそもそもまともに握れるようになるには10年の修行が必要な事と、素人が形だけを真似たところで味は天と地ほども違う事を力説すると止めておけば良いものをハンゾーは「そんなもんテスト科目にすんなよ!」と反論してしまう。
メンチの怒りのメーターを振り切らせるには十分な言葉で、散々説教されてしまい解放された頃には「料理は心だ……」と呟きながら自分のキッチンへと戻っていった。

「メンチは熱くなったら味に妥協が出来なくなっちゃうんだ」
「……でも、料理人さんが味に妥協したらそれは料理人さんじゃないですよ」
「そうなんだけど、これはあくまでもテストだからさ。多少は大目に見ないと……合格者が君だけになっちゃうよ」
「まさか……ハンゾーさんのヒントもありますし、皆……だ、大丈夫ですよ」

雲行きが徐々に怪しくなってきた二次試験後半には不安を抱きながら皆の閃きに期待した。
ハンゾーが呟いていた”料理は心”で作るものであると気が付き、”美味しく食べて欲しい物”を作れるよう祈った。


2020.11.30 UP
2021.08.05 加筆修正