パラダイムシフト・ラブ2

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伸び切った足場に一歩を踏み出すと恐怖が一気に押し寄せてきた。
ステージへ向う途中、後ろから「無理すんなよ!」というキルアの声が聞こえ、は小さく頷いた。

って……あんなに度胸ある女だったのかよ」
「人は見かけによらないとは、この事か」
「オレの兄貴が連れてくる女だぜ? その辺の女と一緒にすんなよな」
「でも……大丈夫かな。オレはちょっと心配だよ」

ゴンの言葉に3人が同時に頷く時、はステージに登った。
しかし不思議と嫌な気はしなかった。
違和感のような物を感じながらは「よろしくお願いします!」と頭を下げると、同じようにステージに登ったベンドットは笑った。

「挨拶をされるとは思わなかったぜ!」
「い、一応礼儀として……」
「そうかい。それじゃ勝負の方法を決めようか」

の目が険しくなる。
やはり勝負のルールは参加者同士で決める事になるらしい。

「オレはデスマッチを提案する!」
「なるほど。デスマッチ、ですか」

は腕を組みながら考えたが、その提案に最初に抗議を上げたのは予想外にもレオリオだった。

「おい! ! 止めとけ! お前……本当に死ぬぞ! デスマッチの意味分かってんのか!? 死ぬまでやりあうんだぞ!」
「そ、そうだ! 此処は何か違う方法を!」
「いや、良いんじゃね?」
「キルア?」
「さっきまですんげービビってたけど、今は冷静で落ち着いてる。何か考えがあるのかもな」

確かに勝負の方法は恐ろしいが、リッポーが言っていたのは”相手に負けを認めさせたら勝ちとする”という事だ。
タイミングが重要だが、殺される前に負けを宣言すればこの勝負は終わる。
よって死ぬ事は無い。
は考える振りをしながらベンドットを盗み見る。
実践経験は無いが、明らかに分かる事はベンドットから”本当の恐怖”が感じられなかった。
ゴトーとコインから逃げる特訓をしていた時は本当に殺されるかと思うぐらい、禍々しい雰囲気が感じられたが今はそれが感じられなかった。
”殺し”に関して言えばゾルディック家の方が上だという事をは直感的に理解し、「では、デスマッチで行きましょう」と提案された勝負方法を承諾した。
男が構えると、は目を頭ながら何度も「逃げるだけ」と呟く。
その背中を見てキルアが「マジで考えあんのかよ」と零した。

「おい……キルア、本当に大丈夫か……?」
に武芸の心得はあるのか?」
「いやねぇと思うけど……」
「雰囲気が変わったね」

4人の視線を感じながらはゆっくりと目を開けて改めてステージの広さを確認した後「いつでもどうぞ」とベンドットを挑発した。

「ならこっちから行くぜ!」

ベンドットは床を力強く蹴ると飛んだ。
はそれを見ながら距離を確認し、先ほどまでベンドットが立っていた所まで走った。
ベンドットはが立っていた所に着地し、拳を床にめり込ませたがは反対側に逃げて首を傾げていた。

「スピードならゴトーさんのコインの方が早かったです」
「くそ……!」
「私は攻撃をする術がないので、勝負に勝ちたければ私を捕まえてください」
「舐めやがって!」

接近戦に持ち込もうとするベンドットが走る。
その間は視線を逸らさずにベンドットを見ながら「逃げるだけ」と呟き、ひらりと交わす。
空を切る拳を目で追いながら逃げるはまるで鬼ごっこをしているようだった。
付かず離れずの攻防戦に苛立ちを見せるベンドットに対しては汗ひとつかかずに立ち、小さく「逃げるだけ」と呟き続ける。
鬼ごっこが始まって30分が経過しようとしていた。
はその間手は出さずに、ただひたすらに逃げるだけだった。

「おい、女。これじゃ埒があかない! そう思わないか? 逃げてばかりでは俺の刑期が短くなるだけだぞ?」
「……私はただ逃げるだけですから。パワーでは絶対に勝てないので、疲れた所をちょんっと突くつもりです。こう見えて持久力は少しだけ自信があるんです」
「お前……何処の出だ?」
「何処……かは言えませんが、今はとある家族のお屋敷に住まわせて貰っています」

ベンドットはそれを聞くと「それは殺し屋か?」とに尋ねると、の眉が一瞬寄り、無言を貫いた。
肯定と取ったベンドットは笑いながら「そいつは奇遇だ!」と笑い始めた。
気でも狂ってしまったのか。
そう思った時、男は憎しみの籠った笑みを浮かべながら拳を握りしめた。

「俺の相棒はゾルディックって性の奴に廃人にされて死んだんだ」
「……ゾルディック?」
「知ってるか? あの家族にはとんでもねぇキチガイが一人居んだよ。一般人だろうがなんだろうが容赦なく手をかける恐ろしい奴だ」
「……誰ですか、それ。皆さん良い人ですし、殺しは仕事って言ってましたよ。無差別にそんな事……しませんよ」
「それがするんだよ。ただ、名前は知らない。なんせあの場から逃げなきゃ俺も廃人にされていたからな! まぁ、結局サツに捕まってこの通りだが」

の中で揺らぐものがあった。
心当たりがあるとすれば一人しか居ないが、こんな形で真実を知りたくなかった。
ごくりと生唾を飲み込みながら「お喋りなんかしだして休憩ですか?」と勝負に戻そうとするが男は動かない。

「お前がその一族の知り合いってことは、此処で復習をするチャンスって受け取って良いんだろうな?」
「……私なんかじゃ復習にもなりませんよ。それに、したところであの人達は痛くも痒くもないと思いますよ」
「そうかもしれないが、これは俺の自己満足だ!」

ドンと床を蹴る男の移動速度は先ほどよりも加速していた。
もすぐに反応するが、寸での所で拳が眼鏡に当たって吹っ飛んだ。
視界が少しだけぼやけるが、それでもは迫る拳の気配を捉えながら足を動かして交わし続けた。

「あいつは! 俺の相棒を!」

空を切るパンチは重たく、一瞬でも当たれば終わり。

「あのクソロン毛の男が! 俺の相棒を!」

ベンドットが高く飛んだ時、の集中が途切れた。
ベンドットが話していたのはイルミの事だとこの時ハッキリ分かった。
それまで動いていた足が途端に重くなり、は転んでしまいすぐに体勢を整えたが体が動かなかった。
目の前に迫る巨体には咄嗟に「わ、私の負けです!!!」と叫ぶが、すぐに衝撃がの脇腹を襲う。
目の前が真っ白になるような痛さに脳が停止した。
の体は吹っ飛び、四隅の立つポールの一つにぶつかるとそのまま身動き一つせずに倒れた。
好都合と思ったベンドットが足を動かす瞬間、キルアが大声で「止めろ! 動くな!」と叫んでベンドットの動きを制する。

「おい! 試験官見てんだろ!!! 負けを認めたんだからこっちの負けだ!!!」

ベンドットは天井を見上げるとニヤリと笑った。

「いや、俺の提案はデスマッチだ。どちらかが死んで初めて勝負がつく。邪魔しないでもらおうか」
「テンメェ……にこれ以上触れてみろ、ぶっ殺すぞ……」

伝わる殺気には薄っすらと目を開け、力が入らない腕で身体を支えながら起こすともう一度「私の、負け、です」と言った。
そして、相手側の入り口に掲げられたプレートに”1”と表示され、は意識を手放した。


2020.12.22 UP
2021.08.05 加筆修正