パラダイムシフト・ラブ2

83

徐々に太陽は沈み始め、とキルアは泥だらけになりながら大きな木の幹に腰を降ろした。
肩で息をしながらはキルアを見て、「さっきの銃声……一発だけだったね」と唾を飲み込みながら問いかけた。
キルアは少し考えながら「相当のやり手か、返り討ちのどっちかだろ」と服の裾についた葉っぱを取った。

「でもあれ以降、誰かが戦ってるような気配は、ないね」
「まぁうまーくやってるか初日は様子見って奴らがほとんどじゃね? 動くとしたら、明日だろ」
「そう、だよね……」

本当はすぐにでもギタラクルが自分のプレートを奪いに来ると思っていた。
しかし、異様な視線を感じたのは川辺に居た時ぐらいでそれ以降は何も感じない。
何処かで様子を見られているのだろうか。
そんな不安を胸には背負っていたリュックを前に抱え、中からタオルを取り出した。

「はい、キルア君」

まだ使っていないタオルをキルアに差し出すと「え、何?」と不思議な顔をされた。

「頬、泥がついてるよ」

は自分の左頬を指さす。

「いいよ。だって此処、ついてるぜ?」

今度はキルアが自分の右の頬を指さした。

「私は良いんだよ。キルア君の方が先でしょ?」
「ぉわっ!」

服の肩で頬を拭おうとするキルアの腕を引き、はキルアを捕まえると真新しいタオルを優しく頬に押し当てた。
突然のことに声を上げるキルアだったが、は優しい手付きで泥の汚れを拭う。

「な、何だよ突然……!」
「今、肩で拭こうとしたでしょ? 駄目だよ。洋服を汚すのは良くないし、落ちなくなったら大変でしょ?」
「だからってこんな……子供扱いすんじゃねーよ!」
「私から見ればキルア君は子供同然です。未成年は黙って年上の好意に甘えれば良いって教わらなかった?」
「……知るかよそんなの」
「はい、取れました」

キルアのふわふわの頭を優しく撫でた後、すぐに開放するとキルアはそっぽを向きながら小さく「サンキュ」と言った。
口では強がるが、しっかりと礼を言えるキルアには「どういたしまして」と返す。
辺りは暗くなり始め、これ以上の移動は危険だと提案するキルアの意見に同意し、第四次試験一日目は幹に寄り添って夜を明かすことになった。
静かな森は少しだけ不気味だったが、木々の間から見える夜空は東京のそれとは次元が違うほどに澄んでおり、星達が瞬いていた。
元居た世界では決して見れない光景にはため息を付きながら「ねぇ、キルア君」と問いかける。

「キルア君もその、お仕事とかに行ったりするの?」
「オレ? つまんねーからもう止めた」
「止めたの?」
「うん。別に対して面白くねーし。でもまぁ、そのおかげで此処まで残れてるんだけどな」

キルアは自分の手を見ながら「幻滅した?」とに尋ねる。
は首をゆっくりと振りながら「そんなことないよ」と答えた。

「誰にだって事情はあるし、職業としてなりたっているなら……それを否定する権利は誰にもないもの」
「……お前ってホント変わってる。普通ビビるとかさ、何かあんだろ?」
「前の世界に居た私だったら、怖がってたと思う。でも、今は理解しているよ。キルア君の場合は暗殺が家業なんだもん。それが認められているってことはこの世界では必要な仕事なんだろうなって思ってるよ」
「必要……かは分かんねーけど」
「それを否定する権利は私にはないし、誰にもないよ」
「でもオレ達家族って……」

最後の言葉は消えたが、”人を殺してるんだぜ?”と言ってるように聞こえた。
暗殺という家業を生業としているのなら、その表現は間違ってはいない。
しかし、それは闇雲に殺しているわけではなく、金という対価があってのこと。

「世の中色んな意見の人が居るけど、私は決してゾルディック家の人達が悪いようには見えない。じゃなきゃ自宅が観光スポットになるなんて、ないでしょ」
「あれはただのネタだろ」
「ネタだとしても、認知されてて、逃げも隠れもしないってことは、言わないだけで皆に認められてるんじゃないかな?」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ」

はタオルをリュックにしまうと夜空を見上げながら大きく両手を伸ばした。
肩がパキパキと鳴り、一日の疲れが徐々に体に現れ始めていることに歳を感じた。
背中も少し痛みだし、そろそろレオリオから貰った痛み止めが切れ始めたていた。
の表情が少しだけ歪んだのを見てキルアはすぐに側に寄った。

「お、おい? 痛むのか?」
「少しだけ、ね。でも大丈夫。安静にしてれば大丈夫だから」
「まだ薬あんの?」
「うん。リュックの中に……大事なものだから内ポケットに入れてあるよ」
「分かった。開けるぜ」

キルアはリュックの中から薬の入った小瓶を取り出し、もう一つを取り出して表情を曇らせた。
その手には小瓶以外に一枚のトランプのカードが入っていた。

「おい、これ……あいつのじゃね?」
「あー……そう、だね。ヒソカさんから貰ったんだよ」
「……”寂しかったら電話して”? お前、あいつとどういう関係なわけ? 何でこんなの持ってきてんだよ」
「いや、あの……お守りって言うか、なんていうか……ほ、他にもゴトーさんから貰ったコインも持ってきてるよ!」

に向けられるキルアの目が一層鋭くなる。
「だからってこれはいらねぇだろ」と声も低くなり、は小さく息を飲んだ。
どうしてこの兄弟達はテンションが下がるとこうも圧が強くなるのか。
は痛む背中を庇いながら「大事な物だし、何かあった時に役に立つかなって……」とフォローのつもりで言った言葉がキルアの何かにスイッチが入った。

「はぁあ!? これが大事!? んなわけねーだろ! 大体何かあった時って何だよ! オレが居るだろ! オ・レ・が!」
「ま、待ってキルア君落ち着いて! 誰かに見つかっちゃうよ!?」
「そんなときゃ全員ぶっ殺してやるよ! んなことより何ではそんなにヒソカを気にするんだよ! あいつから出てる殺気はその辺の奴らとは桁が違うんだよ! が関わっちゃいけねぇ人種な!?」
「わ、分かった! 分かったから! 順番に話すから落ち着いて!」

は肩で息をするキルアを座らせ、そもそもこの世界に来ることになった経緯を初めて他の人に話した。
冴えない人生で出会ったイルミはヒソカのイタズラにより日本に来た事や、向こうの世界からこちらの世界に来た時に会ったこと、執事の屋敷で生活していた時に様子を見に来てくれた事を教えると最初は険しい表情をしていたキルアも徐々に複雑な表情へと変わっていった。
の話を聞き終えるとキルアは頭を掻きながら「つまり……」と言いにくそうに考えを言葉にした。

「あいつのイタズラのおかげでは此処に居るって事?」
「まぁ、極論言えばそうなる、かな? あの時、ヒソカさんが違う人に指輪を渡していたら私は……此処には居ないと思う」
「……他に隠し事は?」

その言葉にの心臓が痛む。
他に隠していることと言えば、自分を狙う参加者の存在だった。
此処で言うべきなのか、言わないべきなのか。
の瞳が小さく揺れるとキルアは「友達……いや、家族なら隠し事は無しだぜ?」と真っ直ぐな瞳でを見つめる。

「えっと……」

純粋で、真っ直ぐな心で自分の言葉を聞いてくれるキルアにこれ以上隠し事は良くないと感じたは素直に自分を狙う相手がギタラクルである事を話すと決めた。

「実は、ね」

森の奥から鳥達が飛び立つ音が聞こえた。
近くに参加者が居る事に気がついたとキルアは小さく頷き、「まだ歩けるか?」とキルアが手を差し出す。

「大丈夫」
「なら移動だ」

痛む背中を抑えながらは懸命に足を動かしてなるべく遠くへとキルアと逃げた。


2021.02.17 UP
2021.08.05 加筆修正