パラダイムシフト・ラブ2

92

は壁に身を寄せながら時折ピクピク動くゴズの体を凝視していた。
ふいに頭上に影が落ち、恐る恐る見上げると「何してるの?」とイルミが首を傾げていた。

「ちょっと腰が抜けて……」
「ちゃんと殺した?」
「そ、それは……分かりません」
「確認した?」
「して、ません……」
は甘いなぁ」

イルミはゴズを見るとそのまま足を腹の下に入れて思い切り蹴り上げた。
軽々と飛んだゴズの体はゴロゴロと転がり、仰向けで倒れるとピクリとも動かなかった。
の心臓がドクンと大きく脈打つ。
本当に死んでしまったのだろうか。

「死んだみたいだね」

過程はどうあれ最後に手を出したのは自分だ。
頭を引っ叩いたのが最後の一撃になったのであれば、間違いなくゴズを殺したのはになる。
は視線を自分の手に落とすと、その手はじわじわと襲ってくる恐怖と罪悪感によって小刻みに震えていた。

「プレート、取らないの?」
「……え?」
「だってが殺したんだからの物だろ? それとも何? オレが貰って良いの?」

この試験は参加者からプレートを奪って6点を稼がなくてはいけない。
最悪の場合、参加者を殺してプレートを奪う必要性がある。
改めてこの試験の残酷な内容と、そうまでして試験をクリアしたいと思う意志を試されているような気がした。
頭では分かっていたはずが心が追いつけない。
が何も言えないでいるとイルミはから離れ、ゴズの体に近づくと体を弄りだした。
震える手で顔を覆うとの目から涙が流れた。
初めて人の命を奪うという重みがの心に重くのしかかり、猛烈な吐き気がこみ上げてくる。
体を丸め、壁に頭を擦り付けると冷たさを感じた。
その冷たさはまるで人の温もりを奪うような、そんな冷たさだった。

「これで分かっただろ? に殺しは向かないって。だからライセンスも必要ないってこと」

投げかけられた言葉には何も言い返せなかった。

*****

ひとしきり涙と嗚咽を吐き出した後、は一人でぼんやりと洞窟の天井を見上げていた。
「死体と一緒に居るのも嫌でしょ」と言ったイルミはゴズの体を軽々と担ぎ上げて外へと出て行った。
あれからどれくらい経ったのだろうか。
足元に転がる3枚のプレートを見るとまた吐き気がこみ上げてくるような気がした。
ゴズという男は純粋に戦いを楽しんでいる男だった。
自分よりも強い男と戦いたい。
男ならそう思うのかもしれないがにはその心理が理解出来なかった。
自分のプレートとターゲットと思われるプレート、そして関係のないプレートがゴズの衣服の中から発見された時、イルミはため息を吐きながら「参加してる奴らなんてこんなもんだよ。6点集まったところで保守に回るような奴は居ない」と言っていたのを思い出した。
イルミはこの3枚は試験終了までを守る身代わりだと言う。
もし誰かと遭遇したら戦闘を回避するためにをプレートを渡してやれば良いと提案された。
自分の命はたった3点なのだ。
それでも無いよりはましだと思えたは恐る恐るプレートに手を伸ばした。

「……重い」

プレート自体はただのプラスチック製で重さなんて無いに等しいが、このプレートが人の命だと思うと途端に重たく感じた。
なんの特技も無ければ、何かが凄く優れている訳でも無い自分はこの重さを背負えるほど強くはない。
はプレートを握りしめ、自分の胸に押し付けた。
ゾルディック家の人たちは試験の内容を何処まで知っていたのだろうか。
確かに死者が出るとは言っていたが、本当に自分に突破出来る代物だと思って勧めたのだろうか。
もしかしたら暗に”出て行け”と言っているのではないだろうか。
屋敷を離れる前に、家族総出で見送りに来てくれたのはただのサービスだったのか。

嫌な事を考え始めると今までの事が全てマイナスに思えてきた。
想う気持ちがあるからと言って、実際にその通りに実行出来る人も居ればその逆も居る。
所詮自分は後者だったのだ。
ふいに顔を上げ、洞窟の入り口の方を見ると外から帰ってきたイルミが姿を現した。

「イルミ、さん」
「あれ? いつのまに止められるようになったの?」
「……何の、事ですか?」
「いや、気がついてないなら良いや」

イルミはの前にしゃがむとじっと見つめてくる。
黒目に移るの顔は虚ろだった。

「で、どうする?」
「私は……人の命がこんなにも、重いものだとは……思いませんでした」
「重い? そうかな? 他人だよ?」
「他人でも命は重い、ですよ。このプレートの持ち主達が、どんな生活をして、どんな事を思ってこの試験に参加していたかは分かりませんが……その思いを……私が、摘み取ったんです」

静かに響くの声は今にも消え入りそうだった。

「私に……そんな権利なんて……ないはずなのに」

握りしめたプレートが少しだけ形を歪ませる。
重くのしかかる人間の死にはゆっくりと目を瞑る。
たった数十分前までは息をして、生きていた人間はもう冷たくなってこの世で呼吸をすることが出来なくなってしまった。
その権利を奪ったのは、紛れもなく自分だ。
その現実には押し潰されそうになっていた。

「殺らなきゃ殺られるよ」
「そう、なんですけど……」
は家から出るべきじゃない。はただ居てくればそれで良いんだよ、オレはね」

この世界のことはまだまだ知らないことだらけだ。
本当にそれが正しいことなのだろうか。

「馬鹿みたいに笑って、カテイノアジを作ってれば良いんだよ。人を殺すより簡単な事だろ? どうしてこんな簡単な選択が出来ないわけ?」
「私だけ守られてるなんて……不公平だから……」
「不公平? 出来ないんだから仕方ないだろ? 根本的に向いてないんだってば」

出来る奴が出来る事をすれば良いというのは何とも合理的な話ではあるが、の中では納得出来るものではなかった。
だからと言って稼業を手伝えるのかと聞かれれば、自信がない。
ライセンスを獲得出来なければゾルディック家の敷居を跨ぐ資格がないのなら、一生跨ぐ資格は得られないだろう。

「ライセンスが無ければ認められないんだっけ? ならオレが持って文句言う奴等は全員殺してあげるよ。それに元々はオレのために参加したわけだしね」

イルミの言葉には小さく頷いた。

「どうせ次で最後なんだから、オレがの分までやってあげるから」

試験は次で最後になる。
次に進む参加者達は是が非でもライセンスが欲しい参加者ばかりだ。
その参加者達は自分よりももっと明確な理由があってこの試験に参加しているであろう事を考えれば、自分が試験から退く事で他の誰かがライセンスを獲得できるのであればそれも悪くないと思ってしまった。
こんな中途半端な気持ちで参加していたら他の参加者達に申し訳ない。
は俯きながらため息を吐き、小さな声で「リタイア、します」と零した。

「そう。それで良いんだよ。は良い子だね」

ゆっくりとの頭に乗せられたイルミの手が優しく撫でる。
その時、イルミの口元が少しだけ緩んでいたのをは見ていなかった。


2021.07.23 UP
2021.08.05 加筆修正