パラダイムシフト・ラブ2
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この決断で本当に良かったのか。
は膝を抱えながら目の前に置かれた果物をただただじっと見つめていた。
食べないと体力が持たないのは分かってはいるが、そんな事など気にもなら程には自分で下した決断に揺らいでいた。
「これで、良かった……んですかね?」
「何が?」
「此処まで来たのに、リタイアして……良いんでしょうか」
「良いに決まってるじゃん。そもそもが此処まで残れたのが意外なんだよ。ライセンスなんか無くたってそれだけで十分凄いって言われるよ」
「……そうでしょうか?」
「うん」
果たして本当にそうだろうか。
ライセンスが取れたらゴトーから最後の1枚のコインをもらえる約束をしているだけに、尻尾を巻いて帰るのが心残りだった。
本当なら胸を張って帰りたい所だが、今のにはその元気がない。
ゴズの姿が頭に焼き付いて食欲が湧かず、は重たい体を倒して体を丸めて寝転んだ。
「食べないの?」
「食欲が……無いので」
「でも後4日あるよ? ずっと食べないで居る気?」
「……どうでしょうかね」
自暴自棄になりかけている自分に嫌気がさしては寝返りを打ってイルミに背中を向けると小さな声で「困ったなぁ」と聞こえた。
ゴズと会う前に覚悟はしているはずだった。
自分が殺らなきゃ殺られる。
しかし、実際に自分が手を下すと精神を一気に蝕まれた。
「はどうしてそこまで頑張るの?」
「え?」
「オレが居るし別に良いじゃん。執事で悪く言う奴が言うならオレに言えば良いだけだから。そしたら殺してあげるし」
「……そういう問題じゃ無いんです」
はゆっくりと目を瞑って心の中で”そうじゃない”と呟く。
力で解決することは簡単な事ではあるが、その後は後遺症として絶対に溝が生まれる。
が望んで居るのはそんなことでは無く、自分も一人の人として見てもらえて、イルミの隣に立って恥ずかしく無い人だ。
暗殺一家である以上、きっとスキルを持っている人が優遇されるのだろうが、ゾルディック家は何も出来ないを最低限の身の振り方が出来るようにと育ててくれた。
やはりこのまま尻尾を巻いて帰れば恩を仇で返すことになるのではないだろうかと考えていると、背後でイルミが動く気配がした。
「オレはちょっと離れるけど、は絶対に此処に居るんだよ」
質問系ではない命令系な言い方には何も言わなかった。
衣服の擦れる音が聞こえ、立ち上がった気配を背後で感じながらはただじっと待っていた。
程なくして顔だけで背後を振り返るとイルミの姿は其処には無く、は重たい身体をゆっくりと起こした。
転がる果物を見ながらは桃のような形をした果物を指で突いた。
少しだけ転がったそれは途中で止まるのを見てまるで自分みたいだと小さく笑った。
最初は順調に進んでいる気がして、このまま行けばライセンスも夢じゃ無いと思ったが思わぬところで立ち止まってしまった。
「……どうすれば良いんだろう」
そう呟いても止まった果物は動かなかった。
*****
ヒソカは木の幹に背中を預け、枝の上に足を乗せていると一瞬きが揺れた気がした。
予想していた人物の気配にヒソカは小さく笑いながら「お姫様を一人にして平気なの?」と問いかける。
「多分大丈夫だけど、だいぶキてる」
「純真無垢なお姫様に一体何をさせたんだい?」
「殺させた」
「……またそんな事して。でも実際に殺したのはイルミだろ?」
一息をついて枝に腰掛けたイルミは足をぶらぶらさせながら「うん」と頷いた。
静まり返る森の中で二人の声だけが静かに響く。
「だってあいつ、の首絞めるんだもん。オレは最初に言ったんだよ? に触れたら大変なことになる、って」
「それでお得意の針をぶっ刺したわけ?」
「そうだよ。その後ちょっとだけ操作してにトドメを刺させたんだけど、人を殺した事に罪悪感を感じてるみたい。でもおかげでリタイアしてくれるみたいだから結果オーライだろ?」
「君って本当に残念なイケメンだよね」
暗闇の森ではお互いの位置関係は把握し辛いが、ヒソカは容赦なくポケットからトランプのカードを取り出して投げた。
「暗闇で投げないでよ」とイルミの声が聞こえ、ヒソカはクスクスと笑う。
「イルミはさ、何でお姫様にライセンスを持って欲しくないんだっけ?」
「は? 要らないから」
「何で?」
「何でって……そんなもの持ったら親父達やライセンスが無いとアクセス出来ないサイトに入るためにミルキとかに良い様に使われるかもしれないじゃん。それに、に殺しなんて絶対出来ないだから持ってても意味無いし。本人はライセンスがあれば認めてもらえるとか言ってたけど、認めない奴なんかはオレが殺せば良いだけだし」
「つまり、イルミはお姫様を外に出したくない、わけだ」
だんだん面白くなってきたヒソカはもう一枚カードを投げる。
「自分の見える範囲に囲っておきたいわけだね? 誰にも知られず、誰にも触れさせないように」
「……ヒソカは何が言いたいの?」
投げたはずの2枚のカードが飛んでくる気配がしてヒソカは咄嗟に指で挟んで受け止めた。
手元に戻ってきたキングとクイーンのカードを撫でていると「誰かが持てば良いだけで、何もが持つ必要はないから」と少し苛立った声が聞こえてヒソカはますます楽しくなってきた。
「ライセンスを持つ事で他に興味が行くのが嫌なの?」
「別にそうは言ってない。けど、別に持たなくても良いよね?」
「ふーん。ねぇ、それ何て言うか知ってる?」
「何?」
ヒソカはカードに唇を寄せて目を瞑った。
どうしてこの男はこんなにも感情に一直線のくせに、肝心のその感情の”名前”を知らないのだろうか。
「独占欲って言うんだよ」
やや間があった後、イルミから「バカじゃないの?」と言われてヒソカは笑いすぎて枝から落ちそうになった。