パラダイムシフト・ラブ2

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「独占欲とか意味分かんないんだけど」と拗ねたように言うイルミにヒソカは笑いを堪えていた。
どうしてこの男はこんなにも感情に疎いのか。
殺気には人一倍気が付くくせに”好意”となるとこんなにも鈍くなる。
それが面白く、ヒソカは手に持っていたカードをズボンのポケットに戻した。

「お姫様が他の人と交流を持つのが嫌って言うなら、それは独占欲だとボクは思うんだよね」
「だから嫌って言ってないし。必要が無いってオレは言ってるの」
「お姫様の交友関係はイルミが決める事じゃないだろ?」
「いや、オレが決める事だね」

自信満々に言うイルミはその後「だからライセンスも必要ない」と頑なに意見を曲げない姿勢を見せる。
こうなっては袋小路だ。
どうやったらイルミに”自分の気持ち”に気がついてもらえるのか。
そしてそれに気がついた時、イルミはどうなってしまうのか。
自分本位で他人の事を一切考えないイルミがもし”好意”に気がついたら、イルミという人間はどう壊れるのか。
一人でクスクス笑っていると横から「キモいんだけど」と辛辣な言葉が飛んでくる。

「イルミはさ、お姫様が大事かい?」
「は? 急に何? そんなの当たり前じゃん」
「ならこんな所で油売ってちゃ駄目だよ」
「何で? なら大丈夫でしょ。どうせ動く気も起きないだろうし」
「それでも気をつけた方が良いよ。この試験に参加してる女性は2人で、お姫様は色んな意味でとても目立つからね」

ヒソカは小さく笑った後に「誰かに襲われちゃうかもよ?」とイルミの方を見ながら言うと気配が動き、一瞬にして空気が変わった。
先程までの友人間で共有するような空気から一変して仕事の話をしているような殺伐とした冷たい雰囲気に空気が変わる。
獲物が餌に食いついた瞬間とはこの事を言うのだろう。
ヒソカは「君が居なくなった瞬間を狙う男なんていくらでも居るだろね」と補足すると暗闇の中で針が飛んできた。
右の頬に刺さるすれすれで針を挟んで止めたヒソカは「危ないなぁもう」と笑う。

「可能性あるのって誰」
「さぁね? そこまでは分からないよ」
「……ちょっと見てくる」
「ねぇ、イルミ」

ヒソカは指の間に挟んでいた針で遊びながら声を落とす。

「お姫様が誰かに触れられるのはそんなに嫌かい?」

相手の返事を待つ前にヒソカはその針をお返しと言わんばかりにイルミに向かって投げた。
真っ直ぐに飛んで行った針を恐らくイルミは難なく捕らえただろう。

「オレだってまだ触れてないんだから当然だろ」
「え……まだ?」

その言葉を最後にイルミの気配が消えた。

*****

心残りはあるがリタイアを決めたは壁に手をつきながら洞窟の出口へと向かっていた。
リタイアを決めたのだからもうイルミの監視はないはずだと思い、少しでも安全な場所へと向かうために足を動かした。
外は真っ暗で何も見えないが、何となくの気配で草木を別け、目的が無いまま森の中を彷徨った。
時々聞こえる小動物の鳴き声に驚きながらも足を進めると、大きな切り株を見つけた。
そこに腰掛け、一息ついた後、は身を丸めた。

「ちょっと……疲れちゃったなぁ」

ポツリと零した独り言は静かに消えるものだと思っていたが、違った。

「ならボクが肩でも揉んであげようか?」
「ぎゃ!」
「静かにしてね。今見つかるとボクにとってとっても厄介な事になるから」

いつの間にか背後に人が居た。
叫び声を上げそうになったところで口を手で塞がれては心臓が口から飛び出しそうになった。
聞き覚えのある声には目を見開き、耳元で囁かれた「こんな夜中に一人で居たら危ないよ?」という言葉に目を泳がせる。
他に人の気配は感じられない。
は口を押さえている手に軽く触れて自分が暴れない事を意思表示するとその手はすんなりと離れた。

「やぁ、お姫様。一人で散歩なんて危ないじゃないか」
「ヒ、ヒソカさん……何で、何で此処に?」
「んー? イルミに頼まれてね、を保護しに来たんだよ」
「……イルミさんに? それは……今度は本当なんですか?」

ヒソカには前回嘘をつかれた事があるだけには簡単には信じられなかった。
振り返って疑いの眼差しを向けると、ヒソカは「今度は、本当さ」とクスクス笑っていた。

「信用出来ません。イルミさんの事だって……嘘だったし……」
「ボクはただの愛を試しただけさ」
「……わ、私は一人でも平気です。私の命が狙いだって言うなら……3枚のプレートがあるんで、見逃してください」
「プレート? 興味ないね。ボクはイルミの頼みで保護しに来ただけだから」
「絶対嘘……ですよね? 保護って……仮にそうだったとして、イルミさんは……何をしているんですか?」

は切り株から降りて逃げる体制に入るが、隙が無い。
暗闇でお互いに見えないはずなのに、何故かヒソカには自分が視えているような気がした。
不気味な雰囲気に肌がピリピリと痛むのを感じての額から冷や汗が流れる。

「昨日の昼間に一人の女性参加者がレイプされてたのをボクがたまたま見ててね、さっき会いにきたイルミにその事を話したらが犯される前にそいつを殺すって言って聞かないんだよ」
「……レイプ……? まさか、だって……これは試験で、その……そういう目的の人は、居ないんじゃ?」
「男なんてそんなもんさ。あ、別にその参加者も決して弱い奴じゃなかったんだよ? でも、やっぱり男の力には敵わなかったんだろうね。ヤられた後に殺されてたよ」

ヒソカの言葉を聞いての身体が震えた。
今は誰が死んだや誰が殺されたなんて話は聞きたくなかった。
自分もその男と同じように人を殺めてしまった事実は変わらない。
その事を知っているのかヒソカは小さく「でものは正当防衛だもんね」と零し、わざと足音を鳴らしながら近づいてきた。
本当は一刻も早く離れて一人になりたいのに体が言う事を効かず、まるでその場に根でも張っているかのように動けなかった。

「ボクはがやった事を責めたりなんてしないよ。むしろ、凄いじゃないか」
「す、凄くなんか……全然ないです……だって私は……ゴズさんの命を……」
「イルミは褒めてくれなかったのかい?」
「……褒められるような事じゃ、ありませんし」
「そうかな? ボクは凄いと思うよ。自分の身を自分で守ったんだ。偉い偉い」
「でも……」

甘い言葉に気が狂いそうになった。
人の命を奪う事は決して褒められた事ではないのは誰が考えても分かる事で、は俯いた。
リュックの中に入れた3枚のプレートが途端に重く感じ、は唇を噛み締めた。

「今日はゆっくり休んだ方が良いよ。疲れただろ?」

その言葉には無言で頷くと浮遊感が身体を襲った。
もう自分はリタイアする身なのだ。
何処に連れてかれるのか分からないまま、はゆっくりと目を瞑った。


2021.10.02 UP