パラダイムシフト・ラブ2

95

が目を覚ますとすっかり太陽は顔を出しており、辺りには見慣れない光景が広がっていた。
空腹の音がやけに響き、恥ずかしくなって腹を隠すが人の気配は感じられなかった。
開けた広場の先には綺麗な青色の海が広がっている。
カモメらしく鳥達も空を舞い、まるで時が止まっているような気がした。
これが全て夢だったらどんなに良いだろうか。
はゴズの頭を叩いた手を見つめながらため息を吐くと、背後から草木を分ける音が聞こえた。
警戒しながらそちらを見ているとひょっこりと姿を見せたのはヒソカだった。

「起きたのかい?」
「あ……はい。あの、此処は?」
「島の最北端。スタート地点からはだいぶ離れているから此処なら安全だよ」
「そう、ですか……」

は膝を抱え、そこに顔を埋めると目の前にしゃがんだヒソカがニコニコと笑っていた。
何が面白いのか。
ヒソカの作り笑いのような笑顔を見ていると何処か居心地が悪かった。

はこのままで良いのかな?」
「え? こ、このまま……とは?」
「尻尾を巻いて試験をリタイアするってことさ」

ヒソカの言い方は何処か棘があるように感じたが、リタイアは自身が決めたことだ。
どんな世界にも合う、合わないというのはある。
たまたま殺しの世界が自分には合わないだけで、イルミは身を引くことを大事になる前に教えてくれたに過ぎない。
そう思っていた小さく「もう、決めたことですから」と弱々しく返した。

「まだ3日もあるのに?」
「私に……殺しに慣れろって……言いたいんですか?」
「殺しを生業とする家族に囲まれて”殺し”から目を背けられるほどこの世界は甘くないよ、お姫様」

ヒソカの言葉はまるで”その気がないなら離れろ”と言っているように聞こえた。

「平和な暮らしを求めることは悪いことじゃないさ。けど、それはイルミと一緒には実現出来ないこと。なんせ彼は根っからの……殺し屋だからね」

ゆっくりと立ち上がったヒソカを見上げると逆光でその表情は見えなかった。

「本当にイルミと、いや、この世界に足を突っ込む気で居るならボクは歓迎するよ」

その時、ヒソカは何かをの足元に向かって投げる。
爪先に当たったそれは軽く、コロコロと転がるそれを目で追うと静かに面を露わにさせた。
三桁の数字が書かれたそれは願ってもない代物で、思わずは目を点にし、もう一度ヒソカを見上げたがやはりその評定は影に隠れて見えなかった。

「え、これって……」
「生憎ボクには必要無い番号でね。欲しいなら君にあげるよ」
「……でも、私が持つ権利なんて」
「君が持つ3枚のプレートと、このプレートを背負うって言うならボクは今後も友達として接するけど、背を向けて帰るって言うなら……その背中を切り刻みに行くからね」
「え……?」
「結果はどうあれ此処まで来たのは君の意思じゃないか。ちょっとショッキングな事があったぐらいで逃げるようじゃ、君はイルミの隣に居るべき人間じゃないよね」

影に隠れていた顔が薄っすらとだけだが見えた。
その表情は笑顔と呼ぶべきものなのだろうが、を見下ろす目だけは笑ってはいなかった。

*****

は大きな丸い石に腰掛けながら118”と書かれたプレートを手にして見つめていた。
ただでさえ3枚のプレートだけでも重いのに、こんなプレートを勝手に置いていかれては後に引けなくなってくる。
大きなため息をつきながら少しだけ目を細めるとヒソカに言われた言葉が頭の中に響き、思わず弱音が溢れる。

「……リタイア、するんだけどなぁ」

膝を引き寄せ、そこに顔を埋めながら唇を噛み締めた。
ヒソカが去る時、気になる事を言っていた。
イルミから聞いたのかヒソカはがゴズにとどめを刺した事を知っており、本当に留めを刺したのはではなくイルミであるとヒソカは言っていた。
イルミの使う針は刺さったら最後で死の運命からは逃れられないと言う。
には殺しの適正はない、と思わせて試験からリタイアさせるのがイルミの目的だろうと語るヒソカには首を傾げながら「なら何で……他の試験では助けてくれたりしたんですかね?」と問うとヒソカは不敵な笑みを浮かべた。

”愛じゃない?”

試験にはルールはあるものの、最終試験に近づくにつれて危険な内容になっているのは確かだ。
最終試験の内容がどんなものか分からないがこれ以上危険な試験が待っているのであればいっそをリタイアさせようとイルミは考えたのかもしれない。
その結果、の意志を折る方法として選ばれたのが殺しの経験が那いにゴズを殺させて恐怖心と挫折を植え付けることだったのではないだろうか、ともヒソカは言っていた。
もしそれが本当なのだとしたら、なんて回りくどくて分かりにくい優しさなのだろうかとは思った。

手の中にあるプレートはヒソカから貰ったものではなく、勝手に置いていかれたものだ。
ならこのプレートが誰の手に渡ろうがの知った事ではないが、このプレートがあれば合格点はキープ出来る。
しかし、の中では試験をリタイアする事は決まっていた。
別に尻尾を巻いて逃げるわけではない。
誰かに言われたからリタイアするわけでもない。
自分の中で、自分はやっぱり人を殺すという行為は出来ないのだと分かり、このまま行けばイルミがライセンスを持つ事になり、自分が持っていても意味はないと理解した上でリタイアするのだ。
そういう気持ちだったのに、脳裏にちらつくのは最後に見送りをしてくれたゾルディック家の顔や一緒に試験を乗り越えてきたキルアを始めとしたゴンやクラピカ、レオリオだった。
キルアと別れる間際で自分はキルアに何て言ったか。

”キルア君! 私は、大丈夫! 最終試験、絶対に会場で会おうね!”

は手に持ってプレートを強く握りしめると、少し軋んだような音が聞こえた。
それはまで自分の葛藤を表しているかのような小さな悲鳴だった。


2021.10.02 UP