あなたの元に永久就職

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運命的な出会いの後は仕事にならないぐらい惚けてしまったは自宅に帰ってからもその余韻に浸っていた。
背が高く、どこか日本人離れした顔と腰に来るような落ち着いた声を思い出すと頭から湯気が出そうだった。
スーツを格好良く着こなし、映画でしか見かけないような蔓なしのゴーグル型の眼鏡の奥に見えた切れ長の目に「うあ、あぁあああ!」と枕を抱きしめながらベッドの上で転げ回った。

「めっちゃかっこ良かったなぁ……また来ないかなぁ……!」

バイトを初めて早3ヶ月経つが、あんなイケメンの客は今まで見たことが無い。
もしかしたら一見さんかもしれない。
いやいやもしかしたら自分がバイトに入っていない時に来ている限定的な常連客かもしれない。
そう思ったら居ても立っても居られず、スマホに手を伸ばしてバイト仲間のグループチャットに”謎眼鏡かけた背の高いイケメンサラリーマンのお客さんが今日来たんだけど知ってる?”とメッセージを送った。
それに対する返事はすぐに返ってきた。
皆暇なのかと思いながらはスマホを両手で握りしめ、返ってきたメッセージを読んだ後に「まじか」と一言呟いた。

どうやらの読みは当たったようでその客は定期的に来るようで来店時間は昼が多いらしく、度々チャットで流れてくる”ロバート”がその人物らしいことを初めて知った。
確かに自分の非番の日に”ロバート”という名前が飛び交っていたのを思い出した。
その時はただ”ハーフっぽい人でいつも惣菜パン買ってくカッチリしたリーマン”という情報しかなく、まさか今日来た客がそうだとは微塵も思わなかった。
すかさず”私もロバートにまた会いたい!”と送ると”狙ってんのかよ”と痛い所を突かれた。
イケメンで人生の先輩ならお近づきになりたいと思う所だが、まだまだ大人の魅力と言う物が分からないのか”あの謎眼鏡取ったらおじさんかもよ?”や”背高いし彼女いるっしょ”や”さんは就活に専念した方が……”とやる気を折られる内容が続々と送られて来た。

「就活就活言いやがってくそぉ……」

実質そうなのだが、東京に来てから初めての胸のトキメキには顔をしかめながらハンガーにかけてあるリクルートスーツを睨む。
エリートっぽい相手に就職難民の自分が相手にされるわけが無いと分かってはいるものの、なんとか声をかけられないかと考えるがこれといって策は無い。

「はぁ……でも目の保養だわ、ロバート……」

近づけないなら見るだけでも良い。
それぐらい容姿はのハートのど真ん中を射抜いた。
枕元に鎮座しているブサイクなクマのぬいぐるみを見ながら「また会えるかなぁ」と呟くが勿論返事は返ってこない。

*****

2社の面接を終えたは今回も手応えが無かった。
そもそも1社目が筆記試験は無いと聞いていたが適性テストが有り、結果は自分でも芳しく無い物だった。
その余韻を引きずってしまった2社目の面接では面接官の質問に頓珍漢な答えを出したような気がして今回も駄目だと思いながらバイト先へと向かい、”CLOSE”の札が掛かっていても御構い無しにドアを押すと軽いベルの音が鳴った。

「面接お疲れーっす。どうだったって聞くまでもなさそっすね」

レジ閉めをしていた比較的シフトが被る大学2年生の男の子に「察してくれありがと」とレジカウンターに倒れこんだ。

「また駄目だったんすか?」
「そうだよ……どうせまた駄目だよ」
「でもその会社にロバート勤めてたらどうします?」
「ちょっともう一回履歴書送ろうかな!!! 面接リベンジさせてくれるかな!?」
「いや、無理っしょ」

ケラケラ笑いながら電卓を叩く学生を見ながら「私もロバートと同じ会社に入りたいよぉ!」と嘆くと「カウンターに乗るんじゃねぇ!」と奥の方から怒号が飛んできた。

「あ、店長居るの?」
さんの面接の手応え聞きたくてさっき来たんすよ」
「てーんちょー! 聞いてくださいよぉー!」

顔は怖いがバイトの学生達のことを自分の子供のように叱ってくれて、気にかけてくれる店長の元へと走ると「スーツで入るな馬鹿娘が!」とまた怒られてしまった。
結局愚痴るだけ愚痴って帰る間際に「余りもんだ」と売れ残ってしまったパンを貰い、は目を潤ませながら「てんちょぉおお」とハグを求めたが拒否された。

袋に入れてもらったパンを持ちながら帰路を歩いていると遠くの方で鉄パイプか何かが崩れ落ちる音がした。
とても大きな金属音で何かしらの事件かもしれないと思ったは一瞬立ち止まった。
これは見に行くべきか、無視して帰るべきか。
しかし、もし人が下敷きになってそれがニュースになって放送され、最悪死亡したなんて事になったらと思うとは「えぇええ……でも怖いしなぁ……」と地団駄を踏みながら迷った。
最悪な事に人通りが少ないこの路地では今現在、しか居ない。
一瞬戻って見に行こうかと思ったが、これがもし殺人事件かなんかで犯人に見つかったりして自分も殺されて次の日ニュースにでもなって放送されたらと予想するとは目を瞑り、「よし、帰ろう」と大きく頷いた。

歩き出したは良いが、何かが後ろから走ってくる音が聞こえた。
の足も自然と早くなり、「何!? 何なの!? 私追いかけられてる!?」と最終的に走った。
背中から伝わるぞわぞわするような嫌な気配に涙目になりながら走るが慣れないヒールで足が覚束ない。
その時、足首を捻り盛大に転けると抱えていたパンの袋が宙に舞い、地面に着地すると中身が飛び出した。
鈍器が何かを殴る音がした後、グチャという音には思わず顔を上げると革靴が飛び出したパンを踏んでいた。
ゆっくりと目線を上げるとグレイッシュベージュのスラックスと背広が見え、は思わず息を飲んだ。
目の前の男の手には大鉈のような物が握られ、包帯のような物がぐるぐるに巻かれていた。
異様な雰囲気を纏う男が大鉈を一振りすると地面にベチャっと何かが付着した音が聞こえ、は「ふえぇ……」と情けない声を上げながら男から目が離せなかった。
どこかで見たことがあるような背丈、髪型には嘘だと思いたかった。

「怪我はありませんか?」

腰にくるような落ち着いた声にの脳が覚醒する。
振り返った男を見上げながらは「ロバート……さん?」と複雑な感情に押しつぶされそうになりながら絶対に本名ではないと思うがその名前を呟かずにはいられなかった。


2020.12.16 UP
2021.10.27 加筆修正